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硝子の靴
CLAP STORY (COLORFUL LOVE -Extra Story- view of MIHO)
1
 美作商事本社ビル、最上階より四つ下の役員フロア、奥から二番目の専務執務室。
 おそらく階下で働く本社の社員でもあまり訪れる事のない――ましてや、子会社の入社一年目の社員なんかには縁もゆかりもないこの場所で、私は今、主である美作専務に柔らかな笑みを向けられていた。

「紹介するね。木下美穂さん。あたしの一番仲良しの同僚。それから……なんだか今更改まって紹介するのもなんだけど……美作あきら、さん。――あたしの、彼」


 人生って何が起きるかわからない。誰と誰が出会って、誰と誰が親しくなって、誰と誰が想いをひとつにして、心を寄せあうか。
 社内で一番仲の良い同僚の謎に包まれていた恋人が、親会社――美作商事の専務だったなんて。つくしの愛しの彼が、誰もが憧れる美作商事の御曹司、美作あきら専務だなんて。
 ――こんなことって、本当にあるのねえ……。
 目の前には、恥ずかしそうに頬を染めてはにかむつくしと、蕩けそうなほど甘くて優しい笑みを浮かべた美作専務。
 驚きを通り越して感動を覚えた私は、思わず感嘆の溜め息を漏らした。





 遡ること三時間半前。
 十五時で仕事を終えた私とつくしは、今日オープンした近くのカフェに寄ろうと話をしながら会社を出た。この後、ようやく海外出張から帰ってきた恋人と会う予定のつくしは、携帯電話を手にメールを打ちながら私の隣を歩いていた。
 そのつくしが、携帯電話をパタンと閉じると同時にピタリと足を止めて私を呼び止め、そして思い詰めた表情で言ったのだ。

「美穂。……今日、あたしの彼氏に会ってほしいの」

 全ては、この一言から始まった。





 *





「え、ちょっと待って。だってこれから――」
「この後、彼と会うって話したでしょう?」
「うん。迎えに来てもらう予定だったけど、こっちが早く終わったから彼の会社の近くまで行くって言ってたよね? で、その前にあたしと今日オープンのカフェに行くのよね?」
「うん。だから、もしその後予定がなければ、美穂も一緒に――」
「待って待って。それってさ……それって、私に彼を紹介してくれるってこと?」
「うん。……イヤ?」
「嫌じゃないよ、もちろん。嫌じゃないけどさ……」

 それは俄かには信じられない、自分の耳を疑いたくなるような話だった。
 目の前で、おそらく相当な固い決意を胸に、けれどどこか不安げに私を見る同僚、牧野つくしには、学生時代からお付き合いをしている恋人がいる。
 一つ年上で、年中忙しくしていて、海外だって飛び回っちゃうエリートサラリーマン。それを聞いただけで羨ましくなってしまうのだが、話を聞く限り、その彼はとんでもなく優しい人で、恋人であるつくしをとてもとても大切にしているのだから、それはもう羨ましいを軽く通り越して、もはや夢のような話だ。
 それなのに……そう、問題はここから。
 それなのに、つくしはそんな素敵な恋人がいることをひた隠して、日々を送っている。
 現在、会社の中でその事実を知っているのは、私と、偶然その話の最中に通りかかって知ることとなった平野部長の二人だけ。あとは誰ひとり、つくしに恋人が居ることすら知らない。

 余談だが。平野部長は温厚で紳士的なとても素敵な人で、社内に上司人気ランキングがあったなら、おそらく常にトップを独走するだろう人物。部長という役職に就いているがまだ三十代前半。眼鏡の奥の瞳が優しげでカッコいいと評判で、男性としての人気も高い。憧れている女性社員は数知れず、相当真剣に狙ってる人だっている。
 けれど私は、部長には一年前から同棲中の彼女がいるという情報を得ている。部長にその話を振っても「恥ずかしいからあまり訊かないでくれ」とはにかむばかりだ。そんな謙虚で照れ屋なところも魅力の一つなのかな。私には単なる「理解あるステキな上司」でしかないのだが。

 話を戻そう。
 とにかくつくしは、そんな素敵な恋人がいるにも関わらず、そのことを誰にも言おうとしないのだ。訊かれないから言わないのではない。訊かれても「彼氏はいません」ときっぱり言い切る。
 つまりは、とにかく隠したいのだ。その存在を。
 私に対しても、つくしはずっと「彼氏はいない」と言っていた。けれど私は、つくしには彼氏がいると確信していた。

 理由は、幾つかある。
 まず、つくしはいつも同じネックレスをつけている。プラチナチェーンに小さな一粒ダイヤの極々シンプルなものなのだが、つくしの肌に溶け込むようにそこに存在している。つくしは時折そのダイヤをひどく愛おしそうに触る。
 それから、誰かが有名ブランドの新作バッグを持っていたり、雑誌で話題の服を着ていたりしても全く興味を示さないのに、時々それよりもずっとお洒落で触り心地のいいストールを巻いていたり、明らかに革の質が良さそうな靴を履いている。おそらくそれらはかなりの高級品。でも全く厭味がなく、悪目立ちもしない。つくしが普段身につけている様々な物から考えて、自分でお金を出して買ったとは到底思えない。だがとにかくつくしによく似合う。どれもこれもよく似合う。それを選んでる人は恐ろしい程センスがいいと思う。
 そして、「安くて美味しいカフェテリアが社内にあって嬉しい」なんて心底幸せそうな顔をするつくしなのに、時々お昼は一人で外出する。本人は「銀行とかいろいろ行くところが」などと言っているが、食べることの大好きなつくしが何も食べずに帰ってきてるとは思えないし、だからと言ってうちのカフェテリアより高い外食をホイホイするわけもない。それより何より、帰って来た後のつくしはどこかほんわり幸せそうなのだ。銀行でお金を下ろしてホクホクしてる、なんてのとは違う。明らかに何か幸せになることがその時間にある。

 ……まあ、他にも多々あるが、これくらいにしておこう。
 とにもかくにも、私はつくしに彼氏がいると確信していて、でもつくしは誰にも言いたくなくて……だから私は、いつか打ち明けてくれるその日まで、その確信は胸に秘めておこうと決めていた。

 けれど、世の中そんなにうまくはいかない。結局私は、自分からその口火を切ってしまったのだ。
 きっかけは、本当に小さな出来事だった。



 私達が所属する部署は三つの課に分かれていて、全体では三十人強の社員で構成されている。男女比はほぼ半々なのだが、女性社員は全員独身、しかもほとんどがフリー。――つまり、恋人が居ない。私が見る限り、結構美人揃いだと思うのだが、どういうわけか揃いも揃って常に「どこかにイイ人いないかしら?」と呟いてしまう程、欲しているのに相手が居ない。
 私もそちら側の人間なのであまり偉そうなことは言えないが、「彼氏居ない歴数ヶ月」の私なんてまだマシだ。しかも「今はまあ居なくてもいいか」なんて思っていたりもするから、彼氏が何年もいなくて「昨日街をふらっと歩いたらカップルばっかりで、ワザと間を通ってやろうかと思っちゃった」なんてことを笑顔で言ってしまう――でも目が全く笑っていない――「彼氏居ない歴数年」の方々と一緒に考えることも出来ない気がする。
 そしてそんな状態だから余計なのかもしれないが、信じられないくらいに合コンが多いのだ。当然のことながら、その誘いは私やつくしの元にもやって来る。

「ねえねえ、近々合コンがあるんだけど……」

 一番最初に誘われたのは、入社して十日目、新入社員全体での研修を終えて部署に配属されて五日目。実に、部署の歓迎会よりも早い時期だった。
 この時は、私もつくしも参加した。――実はこの時は私にも別れる寸前ではあったものの一応彼氏がいたのだが、断っていいものか迷いに迷って断る勇気を持てずに参加した。聞けばつくしも同じだったらしい。ちなみにそれが、つくしが参加した最初で最後の合コンだ。
 それから一ヶ月に一回、いや、それ以上のペースで合コンの誘いがある。
 私は、他に用事がなければ大抵は参加している。
 理由は三つ。
 一つ目は、そういう賑やかな席が好きだから。先輩達は美味しい料理のお店をチョイスしてくれるから、それだけでも満足。
 二つ目は、人間観察が好きだから。あまり良い趣味とは言い難いかもしれないが、初めて出会う人というのは本当に面白くて、いろんな会話から相手を推察するという行為がやめられない。
 三つ目は――最初と今では少し変化した。
 最初は、こんなに回数があるのにどうして誰にも恋人が出来ないのか、という単純な疑問を抱いたから。けれどこの疑問は、数回参加して解消された。どの合コンも、カッコいいなあと思う人は必ずいるのだが、そういう人は大抵人数合わせに連れて来られただけで特定の相手が既にいる。そして他は、ハッキリ言えば、その他大勢から抜け出せない感じの人ばかり。もちろん。そんな中にも素敵な人はいる。話せば楽しい人も多いし、つき合えばそれなりに良い時間を過ごせるんじゃないかと思われる人もいる。けれどそこへ発展しないのは、女性側のプライドと理想の高さが邪魔しているからだろう。目の色を変えて相手を探している割には――少なくとも私にはそう見える――それを表に出さず、妥協もしない。表に出さないのはいいが、妥協しないのはどうかと思う。
 会がお開きになった後、みんなで駅までの道を歩いていると、誰かが必ず言うのだ。

「今日も、美作専務(専務になる前は部長だったけど)のような素敵な人はいなかったわねえ」

 ――そんな簡単にいるわけないでしょ。理想が高すぎだよ。
 毎回心の中で突っ込んでしまう私の顔は、その瞬間、確実に無表情、もしくは頬が引き攣っているに違いない。そんなことでは一生恋人なんて出来ないだろうと心の奥底で毒づきながらも、そんな先輩達がとてつもなく可愛く思えて、なんだかやけに親しみが湧いてしまっている。
 ……ということで、今現在の三つ目の理由は、そんな可愛い彼女達に、いつの日か運命の出会いはやって来るのか、それが気になるから。誘われた合コンには出来るだけ参加して、その瞬間を今か今かと待っている。
 悪趣味だと顔を顰める人もいるかもしれない。けれど、先輩からの合コンの誘いを断るのもなかなかの労力だし、参加すれば喜んでもらえるのだし、これくらいの秘かな楽しみは持たせてもらってもいいだろうと、勝手に思っている。

 が、しかし。一ヶ月に一回以上のペースで誘われるこの合コンを、相当な労力を使って毎回断っている同僚が、牧野つくしだ。
 ごくごく普通に「その日は予定が入っていて」「すみません、お金がなくて」なんて理由が通用したのは最初だけ。「あまり興味がないんです」をそのまま受け止めてもらえたのもその後の数回のみで、最近は「彼氏いるの?」と毎回のように訊かれている。もちろん「いませんよ」とつくしは否定する。「どうしても無理?」「すみません」のやりとりを数回繰り返し、そしてようやくなんとか諦めてもらう……ということを毎回している。そのやりとりが耳に入る度に、私はつくしに恋人がいるだろう確信を深め、げんなりして溜め息を吐く横顔に同情してきた。
 でも、数週間後にクリスマスを控えた十二月の合コンの誘いは、その横顔に同情しているだけでは済まないほど激しかった。
 ここが勝負だといつもより気合いが入っているらしい先輩達は、どうしてもどうしてもつくしに参加してほしいと、それこそ土下座しそうな程の勢いで誘い続けたのだ。何日も。
 朝一番に顔を見た途端「おはよう、ねえ、合コンのことなんだけど――」と言い、書類を置いて行く時も「考えておいてね」と囁き、お昼には「考えてみてくれた?」と気を引くように小首を傾げ――女相手にそれをやっても無理だろうと、私はやっぱり秘かに突っ込む――、退社時には「明日まで待つからもう一度考えて見て」と目の前で手を合わせる。
 さすがの私も、そのあまりにも度を越すしつこい誘いにちょっと引き気味だった。
 つくしが誘われ始めて四日目の昼休み、やっぱり前日までと同じようなやりとりが目の前で繰り広げられていて、気付けば私は口を挟んでいた。

「つくしは本当に行く気ゼロみたいですよ。それよりも他の部署の人とか誘ってみたらどうですか? 無理矢理連れて行ってつくしだけカッコいい人ゲットしたらどうします? 悔しいじゃないですか」

 イチかバチかだったのだが、その言葉はどうやら先輩の心に響いたらしい。数秒考えて、「たしかにそれもそうなのよね」と他の部署の人のところへと歩き去った。その後ろ姿を見送る私に向かって「ありがとう」と声をかけてきたつくしに、私はポロリと言ってしまった。

「つくしは彼氏がいるんだから、そう言えばいいのに」

 しまった、と思った。決してこちらからは口を出すまいと決めていたことなのに。それでももう後には引けない、と覚悟を決めた。「いるんでしょ?」と小さく問うと、つくしはいつもと同じように「いない」と言いかけたようだった。けれど私は言葉を畳み掛けた。

「つくしを観察した結果、私の中でそういう結論になったの。どう考えてもそれ以外に正解はないなーって。……違った?」

 私があまりにも真剣に見つめたからだろうか、観念したかのように小さな笑みを浮かべて、それから俯きがちに、小さく小さく頷いた。

「美穂の言う通り。学生時代から付き合ってる人がいる」
「やっぱりね。ずっとそうだろうと思ってたよ」
「ごめんね。ずっと嘘ついてて」
「ううん。そんなのは全然いいよ。これだけ居ないって言い張るからには、きっと何か話せない理由があるんでしょ? だから今まで追求しないでいたんだし」
「美穂……」
「私こそごめんね。本当は今だって言うつもりなかったんだよ。でもあのしつこい誘いに毎日困り果ててるつくしみてたら、私のことくらい頼ってくれてもいいんじゃない、って思っちゃったんだよね」
「……うん。助かった。ありがとう」
「ううん」
「あのね、美穂――」
「あー。大丈夫。もちろんこれからも無理矢理訊き出すつもりなんてないよ。だから安心して」
「……ありがとう。美穂」




 あの時の、ホッとしたつくしの顔は今でも良く覚えている。あれこれ知りたくないのかと言われれば、もちろん知りたい。でもその時の私は、つくしが恋人の存在を認めてくれただけでとても嬉しかった。
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