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東雲色に漂えば
COLORFUL LOVE
1

 心地良い温かさを感じながら、つくしはふと目を覚ました。
ぼやけてた視界が徐々にはっきりしてくると、そこには自分の家のではない、けれど見覚えのある真っ白な天井が広がっていた。
 ここはどこだったろうかと、ぼんやりとした頭で思考を巡らせていると、すぐ隣から聞こえる規則正しい寝息に気付いた。

 ――ああ、そうだ。あたし、あのまま寝ちゃったんだ。

 心地良い温かさは、この腕に包まれているから。
 そのことに気付いた時、ぼんやりとした頭はすべてを理解して、穏やかな優しさに満たされていくようだった。





 *





 年明け早々、滋の呼びかけで新年会が開かれた。
 ここ数年、年中行事化していた新年会。今年はみんなの予定が合わずに中止となっていた。けれどどうしても諦めきれなかった滋が、「どうしてもやりたいから、協力して」とつくしとあきらに話を持ちかけてきた。
 協力も何も話は簡単で、準備は全部自分でするから美作邸を会場として貸してほしいというのだ。「なんでうちなんだよ、おまえのとこでやればいいだろ」と言うあきらに「だって、私のところよりも、みんな慣れてるし寛げるでしょう?」とあっさり答える滋。
 たしかに、みんなで集まる時はその半数以上が美作邸で、誰もが居心地がいいと感じている場所であることに違いはない。しかも、あきらの面倒見の良さは周知の事実。滋があきらの家でやりたいと言う理由が、つくしにはよく理解できた。
 そしてあきらは「なんで俺の家?」とぶつぶつ言いながらも、最終的には了承した。口でどう言おうとも、真剣な様子の滋の頼みを断ることなんてないだろうと思っていたつくしと滋は、顔を見合せて笑った。

 その後の滋の行動は早かった。「料理はうちで用意させるよ」と言うあきらに――結局、やっぱり面倒見がいいのだ――「それじゃあ悪いから、大丈夫!」と、自ら料理や飲み物の手配をして、みんなに招待メールを送った。

 次の日、驚くべきことが起きた。
 滋の送った『明日、新年会やるから来てね。場所は美作邸。時間は一日中いつでもどうぞ!』というなんとも急でアバウトなメールに――あきらは「一日中いつでもどうぞ、って誰の家だよ」と嘆いていた――、なんと、司を除く全員が集合したのだ。
 ニューヨークにいる司が来れないことは最初からわかっていたけれど、まさか他に誰一人欠けることなく集まるとは、言いだした滋さえも思っていなかった。
 桜子が「忙しいだのなんだの言っても、結局なんとかなるってことですね」と皮肉めいたことを言っていたが、本当にそうだと思った。
 それぞれ予定をやりくりしただろうけれど、特に総二郎なんて初釜の準備で忙しいだろうに無理したのだろうけれど、それでもこうして集まれることを、滋はもちろん、その場にいる誰もが嬉しく感じただろう。
 新年会は、飲んで騒いで大盛り上がりとなった。





 *





 つくしの記憶は、飲んで騒いで、の途中でぷつりと途切れている。
 多分、彼らと一緒になって騒ぎ、ワインを口に運ぶうちに眠ってしまい、あきらがベッドまで運んでくれたのだろう。お酒にはそんなに強くない上に、実は寝不足だったつくし。あっという間に酔って眠ってしまったに違いなかった。

 ――美作さんに、迷惑かけちゃったかな。

 つくしを包み込むようにして眠っているあきらの顔を見ようと、そっと身体を動かした。
 窓からレースのカーテン越しに入ってくる薄明かりに浮かび上がるその寝顔は、とても同じ人間とは思えないほど整っていて、なんて綺麗なんだろうと思わず見惚れる。

 恋人同士の関係になって、一年が経つ。
 司とつき合っている時は、男女が想いを通わせたその先に待ち受けていることに無知だった部分もあり、受け入れられそうになかったたくさんのことがあった。けれど年月がつくしに現実を知らせたのか、それとも相手があきらだったからなのか、あの頃に比べたら随分とスムーズに、自然な形で無知で無垢な少女を脱した。
 何度も夜を共にし、何度も肌を重ねて、何度も何度もこうしてあきらの腕からその整った顔を見ているのに、もう何度も実感しているのに、見るたびに見惚れてしまうのはなぜなのか。こうして眠るあきらの顔を見つめる時間が、とても愛おしい。
 規則正しい寝息を聞きながら、長い睫毛が落とす影を見ているだけで、愛しさが胸の奥から溢れる気がした。

 ふいに、見つめていた影がぴくりと動き、瞼が開いた。
 焦点が合うのを待つかのように、あきらは何度か瞬きをして、ゆっくりとつくしを見る。目が合った途端、つくしは妙な気恥ずかしさを覚え、思わず身体を仰け反らせる。そして慌てた様子で口を開いた。

「あ、えと、お、おはよう」

 そんなつくしに、あきらは小さく笑みを浮かべると、少し離れた彼女の身体を腕の中に引き戻す。
 再びあきらの腕に包みこまれたつくしは、仰け反って離れたのは自分自身なのに、引き戻された腕の温かさに、ああ良かった、と安堵していて、そんな自分に少し驚き呆れた。

「おはよ。……って、まだ暗いな。今、何時?」
「あ、何時だろう。確かめてなかった」

 あきらの口からふっと息を吐いたような微かな笑い声が漏れて、「そっか」と小さな呟きが続いた。

「いつ起きた?」
「ついさっき。……あ、ごめんね。もしかして、あたしのせいで目が覚めちゃったとか?」
「いや、そんなことはない。なんか視線は感じたけど」
「え!?」
「くくっ。嘘だよ。たまたま目が覚めただけ」
「……なんだ」

 再びあきらは、くくくっ、と声を押し殺して笑うと、今度は深い息を吐いた。
 薄暗い部屋の中に、時が止まったような沈黙が流れる。
 ただ、あきらの指がつくしの髪を梳く規則正しいリズムが、時の流れを教えてくれている。優しく撫でるように梳かれる髪が、すらりと長いその指先からはらりとこぼれ落ちるたび、心地良い沈黙が深くなっていく気がした。
 つくしは、昨夜のことを謝らなければと思ったが、この心地良い沈黙を自分の発する声で終わらせてしまうのは忍びなく思えて、出かかった言葉を飲み込んだ。

「……どうした?」

 耳元に、囁くようなあきらの声が響く。「え?」とつくしは顔をあげる。

「今、何か言いかけただろ?」
「……なんでわかるの?」

 決して声を出したりはしていない。独り言が思わず口をついて出てしまうことがあることは、自分でもわかっているけれど、今は絶対に口に出していない。
 だって、沈黙を守りたいと思ったのだから。

「もしかして美作さんて、エスパー?」
「違うよ。息を吸い込んで、吐き出す寸前で止めたような気がしたから」

 事も無げに「だからそう思ったんだけど、違ったか?」とつくしの顔を覗き込むあきら。
 この人の優しさは、こうした洞察力のひとつずつが積み重なって混ざり合って生まれてくるのかもしれないと思った。
 繊細で鋭くて、優しい。

「あ、えっとね。昨日、迷惑かけちゃったかなと思って」
「迷惑って?」
「みんな、すごく楽しそうだったのに――あっ、もちろんあたしもすごく楽しかったんだけど。あたし、すぐに酔い潰れちゃったよね、きっと。ここまで運んでくれたの、美作さんでしょう?」
「そうだけど……そんなの当然だろ。俺が、類や総二郎におまえを運ばせると思うか?」
「いや、そうなんだけど――」
「それに、酔い潰れたっていうのはちょっと違うな。たいして飲まないうちに、ソファでグラス握りしめたまま眠ってたんだよ。前の晩、あんまり寝てなかったせいだろ? 別に誰にも迷惑なんてかかってないさ」
「あ、うん。多分そうなんだろうけどね……」

 あきらの言うことは、どれも尤もで適確だ。
 目が覚めた時から、体内にアルコールが残っているような不快感は一切感じていないのだから、たいして飲まないうちに眠ってしまったのは確かだろう。寝不足のことも、本を読み始めたら止まらなくて、一晩かけて読みきってしまったことを話してあったから、心配して見ていてくれたに違いない。そして、運んでくれたのがあきらであることも、確かめるまでもなくそうだとわかっていた。
 けれどつくしには、目覚めた時からひとつだけ気になることがあった。
 ただ、どう聞いていいのか、聞かないほうがいいのか、ちょっと迷っていた。

「牧野?」

 つくしの迷いなどお見通しなのだろう。
 さりげなく促してくれるあきらに、つくしは話を切り出す。

「……うん。えっとね」
「うん?」
「……あのね。あたし、どうしてここに寝てるの?」



 つくしは、あきらと付き合う前から――それこそ、司と付き合っていた高校生の頃から、この邸で何度も泊まらせてもらっている。
 特にこの数年――司と別れた直後などは、本当に毎日のようにあきらに連れられここへやってきては、そのまま泊まらせてもらう日々を送っていた。立ち直ってからはさすがにそんなことはなかったが、仲間で集まるとなれば、たとえ他の場所で会っていたとしても「最後は美作邸」というのが暗黙の了解みたいになっていて、やっぱり泊まらせてもらう回数はかなり多かった。
 そんな時は、それぞれがいつもだいたい決まった客室を使わせてもらっていた。誰かが決めたわけでもなんでもなかったけれど、自然とそうなっていき、いつの間にか固定化した。だからつくしにも泊まり慣れた客室があって、あきらと付き合うようになってからも、みんなで泊まる時にはその部屋を使っていた。
 そのたびに「付き合ってるんだから、あきらと一緒に寝ろよ」と総二郎に言われ、みんなもそれに同調した。けれどつくしには、恥ずかしすぎて、とてもじゃないけれどそれは出来なかった。
 あきらは、そんなつくしの気持ちを知っていて、何も言わず好きにさせてくれた。
 だから今までは、他の場所でつくしが眠ってしまっても、あきらがその部屋に運んでくれた。

 けれど、今日は違ったのだ。
 あきらの部屋で朝を迎えることは幾度となくあったから、目に飛び込んできた天井にも見覚えがあったし、隣にあきらが寝ていることにも違和感はなかったけれど、よくよく考えてみたら、二人きりじゃない時にここで目覚めるなんて、今までにはないことだった。



「どうして、いつもの客室じゃなくて、美作さんの部屋に寝てたのかなって……ちょっと気になったの」

 嫌だったわけではない。多少の恥ずかしさはあるが、やはりあきらの腕の中は安心するし、とても幸せを感じる。
 でも、気になった。
 途中でぷつりと切れている記憶の間(はざま)に、どこか判然としない夢のような感覚が残っている。だから余計に。
 あきらはゆっくりと瞬きをして、そして目を細めて笑った。

「美作さん、あの……?」

 あきらはゆったりとした動作で髪をかきあげると、そのまま視線を天井に向けた。

「やっぱり覚えてないか」

 聞き逃してしまいそうな程、小さな声だった。けれど、つくしにはしっかり聞こえていた。
 靄に霞む記憶の間が、少しずつ鮮明になろうとしている。それをつくしは肌で感じずにはいられない。
 顔が熱くなっていく自分がわかる。
 そんなつくしの顔を見て、あきらは小さく息を吐くと、今度はきちんと向き直って告げた。

「いつもの部屋に運ぶって言ったら、ここがいいって言ったんだよ。だから、ここで寝かせた」

 その瞬間、ふわふわと宙に浮いた感覚と優しい声が、甦った。




「牧野、いつもの部屋でいいか?」
「いつものって……?」
「……なんでもない。ゆっくり休めよ」
「うん。……美作さん」
「ん? どうした?」
「厭。いつもの……じゃ。」
「ん?」
「美作さんの部屋が、いい」
「……。あいつらも泊まっていくぞ? いいのか? 俺の部屋で」
「いい。一緒にいたい」
「……ああ。一緒にいような」
「うん」
「牧野」
「ん?」
「抱いてもいいか?」
「……うん。いい」
「……今すぐ、だぞ? 抱きたい。今すぐ」
「――うん……」

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2009.01 東雲色に漂えば
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