薄紅の風ゆれて
COLORFUL LOVE view of AKIRA

三月三十一日。
研修先のイギリスから日本に戻って驚いたのは、街のあちこちから春の匂いがすることだった。
日本を発った時には、まだまだ冬の匂いが残っていて、春はその足音くらいしか感じられなかったのに、それがこの十日間で急速に変化を遂げていた。
季節の廻りはこんなにも早いものだっただろうかと眺めていたら、薄紅色の木が目に止まった。

 ( ああ、そうか。桜の花が咲いたんだ。 )

春の匂いの中心に桜の開花があることに気付いたら、驚きは納得に変わり、タイムラグを感じていた心が落ち着いた。



日本へは、向こうで合流した親父と一緒に帰ってきた。
親父の帰国は、入社式に出席することがメインらしいが、他にもいろいろあるみたいで、半月くらいはこっちにいると言う。
「おふくろも絵夢も芽夢も、すごく喜ぶよ」と言うと、「家にはそんなに居られないだろうけどな」と笑った。
そうは言いつつも、親父のことだ、彼女達をたくさん甘やかせて喜ばせるに違いない。
そして、親父本人がそれを一番楽しみにしていることは、持ち帰った土産の量と嬉しそうなその顔を見れば一目瞭然だった。
俺はそんな親父の横で、牧野に会うことばかりを考えていた。


イギリスでの研修は、予想通りの過密スケジュールで、かなりハードなものだった。
高校を卒業してすぐに渡米した司、大学に入った頃から少しずつ仕事に関わり始めた類と総二郎、そんな幼馴染を目の当たりにしながら、俺は「学生のうちは、学生である時にしか出来ないことを優先させろ」という親父の方針で、あまり仕事に関わることのない学生生活を送った。
けれど、さすがに何もしないわけにはいかないような気がして――それは、焦りと言えるほどのものではなかったのだが、やはりあの三人の影響は多分にある気がする――、一年前、大学四年になった春くらいから、月に数回ではあるけれど、会社に顔を出すようになっていた。
小さい頃から、親父の跡を継ぐのは当然のことだと思っていて、それを嫌だと思ったこともなかったし、その仕事に興味もあった。
だから、社会に出ることにも抵抗はなく、来るべき時が来たという感じで、しっかりやっていこうと気合いも入っていた。

研修とはいえ、俺に与えられる課題はどれも難題で、ある程度のレベルを要求された。
寝る間も惜しんでそれらと取り組む毎日は、かなり大変だったけれど、微かな手ごたえと大きな遣り甲斐を感じた。
同時に、これから先、もっと大変でもっと過酷な日々が待っていることが容易に想像出来て、考えただけで眩暈がしそうだった。
でも、「ジュニアとして生まれたから」ではなく、俺自身が選んでこの道を進むんだ。
そんなふうに思いたかったし、そう思えた気がする。

ただ、それとは別次元で、いつも頭の片隅に、牧野のことがあった。
どんなに忙しかろうが、どんなに目の前の仕事に集中しようが、彼女のことを想う自分がいつも存在していた。
そしてそれが、俺の意欲に繋がっているんだと感じた。


付き合い始めて三ヶ月、こんなに長く離れたのは初めてだった。
大学を卒業したら、否が応でも自由の利かないことが増える。会いたいのに会えないことも出てくるだろう。牧野に寂しい想いをさせることも多いかもしれない。だから、一緒にいられる今は、とにかく一緒にいよう。時間が許す限り一緒に過ごそう。
そんな風に思って、この三ヶ月を過ごしてきた。
けれどそれが正しかったのか――よくわからなくなった。
空港に見送りに来てくれた牧野は、どこか所在なさ気で、ぽつんと寂しそうにしているように思えた。
顔は笑っているけれど、心は笑っていない。
そんなふうに思えて仕方なかった。
思わず総二郎に『俺が帰るまで、牧野を頼む』とメールをしてしまった程、気になった。
イギリスに着いてすぐに携帯をチェックすると、牧野からメールが届いていた。



――――

差出人:牧野つくし
件名:いってらっしゃい
本文:美作さんが帰ってくるの、楽しみに待ってるね。

――――



メールを送信した牧野が、笑っているのか、泣いているのか――その文章はどちらにも取れて、心が揺れた。
とにかく声を聞きたくて電話をした。
思ったよりも明るいその声に、ほんの少し安堵して、そしてたまらなく会いたくなった。

イギリスに居る間、電話は数回しか出来なかったけれど、声を聞くだけで安心して、届いたメールを読むだけで笑顔になれた。
俺はこんなに単純だったのかと、そんな自分に少し呆れて、恥ずかしいような嬉しいような、なんとも複雑な気持ちになった。

寂しさと会いたさは、日に日に募った。
帰ったら真っ先に会いに行こう。会って、思いきり抱きしめよう。
そう決めていた。
だから、ようやく会えると思うと嬉しくて、何をしていてもどこか落ち着かない俺がいた。


親父が一緒だったこともあり、空港には家から迎えの車が来ていたが、家に帰るつもりのない俺は、それに乗ろうか迷っていた。
先に車に乗り込んだ親父は、そんな俺を見て、「どこへ向かえばいいんだ?」と、意味深な視線を投げかけてきた。

 ( そうだ。この人は、とんでもなく勘が鋭いんだった。 )

観念した俺は小さく肩を竦め、車に乗り込みながら運転手に、きっと言わなくてもわかっているだろう行き先を告げた。

 ( もうすぐ会える )

そればかり考えて。





「あ、ここで降りるから」

そこは、牧野のアパートへつながる細い路地の入口だった。
普段、もっとアパート近くまで車を進めている運転手は、「ここでよろしいのですか?」とミラー越しにちらりと俺を見て、頷くのを確認してから車を止めた。

「今日、家には戻るのか?」
「うーん……まだわからないけど、多分戻らないかな」

そうか、と親父は小さく笑みを浮かべて、それから俺の顔をまっすぐに見た。

「あきら、わかってると思うが――」
「明日は午前十一時から入社式。いろいろ準備もあるし、早い時間には帰るよ」
「そうだな。それと、明日からは――」
「新入社員とはいえ、俺は親父の息子だ。そのことが周知の事実だってことはよくわかってる。甘えは許されない。仕事はしっかりやる。早く一人前になるように頑張るよ」

俺の言葉に、親父は満足そうな笑みを浮かべた。
じゃあ行くから、と車を降りた俺の背に、再び親父が言葉を投げかけてきた。

「あきら」
「ん?」
「ひとつだけ、覚えておいてほしいことがある」
「なんだよ」
「仕事をきちんとするのは、当然のことだ。それはおまえだけなくて、社員はみんなそうだ。おまえは、それ以上のことを求められる。一人前になる以上のことをな」
「うん」
「でも、だからといって仕事のことだけ考えて突っ走ればいいってもんでもない。プライベートだって同じくらい大事だ。すべてを犠牲にしたところで、いい仕事なんて出来やしないんだから。仕事と同じくらいプライベートを大事にしなさい。それが俺の、美作商事の社長としてのポリシーだ。休暇はきちんと取るように。家族や守るべき人のことは自分以上に大切にするように。いつもそう言っている。立場によって責任の重さも違うし、思い通りにならないことだってもちろんある。けれどその基本的スタンスは、役員だろうが社員だろうが契約社員だろうがパートだろうが、美作商事で働く人間はみんな一緒だ。――もちろん、あきらも。」

あんまり気負い過ぎるなよ、と言った声がとても優しかった。

俺は親父が、とても好きだ。小さい時から、ずっと。
海外を飛び回っていて家にいないことの多い親父だけれど、いつだって家族を大切に思ってくれている。
どんなに離れていても、時々しか会えなくても、いつもそれを感じることが出来た。
そういう親父を尊敬していて、すごくすごく好きなんだ、俺は。

「ありがとう。親父」

頷く親父に、俺も頷き返した。

「ところで、いつか紹介してもらえるのかな。この路地の先のお嬢さんは」
「……やけに決めつけてるな」
「それ以外に何がある? おまえのお気に入りの店があるとでも言うのか?」
「……」

悪戯心たっぷりの視線を投げてよこした親父に、俺はひとつ息を吐く。

「いつか……。まあ、俺が振られなければ、ね。……でも、」
「でも、なんだ? もう振られそうなのか?」
「いや、そうじゃなくて。……まさかこの先に、豪邸があるとか思ってないよな?」
「豪邸? 豪邸がないと問題でも?」
「……いや。問題がないなら別にいい。俺的にはまったく問題ない」
「じゃあ、楽しみに待っているぞ。『すごくすごく小さなお家に住む、元気で明るくていつでも春で、ワケありじゃない』……だったかな? そのお嬢さんと仲良くな」

その言葉に俺の動きは止まり、意味を理解しようと頭をフル回転させているうちに車は走り去っていった。
数秒後、ようやく意味を理解した俺は、とてつもなく恥ずかしくなって、顔も身体も燃えるように熱くなった。そして、くらくらと眩暈がして頭が痛くなった。
誰が親父に話したのかは、すぐにわかった。
おませな双子の妹達だ。
それに、毎日連絡を取っているおふくろも話しているのかもしれない。

「――はぁぁぁ……あいつら……」

思わず独り言が零れる。
絵夢と芽夢はどんなに頑張っても正確に話すことは無理だろう。
おふくろだって、知っていることはそんなに多くないはずだ。
いったい何をどう話しているんだろうか。
親父はどこまで知っていて、どこまで理解しているんだろうか。
だいたい「いつでも春」ってなんだよ。名前のことか?土筆のことを言ってるのか?
いや、それよりも「ワケありじゃない」って……なんだよ、それ。誰に何を聞いたっていうんだ、あいつらは。
牧野がワケありかと聞かれれば、昔付き合ってたマダム達のようなワケありではないけれど、庶民の牧野は、美作的には違う意味でワケありなような気もするんだが……。

考えれば考えるほど深みに嵌まって、今度こそ本当に頭痛がしそうだった。

「はぁぁぁ……」

なんとも言えない脱力感を覚えて、思わず大きな溜息を吐いた。


そんな気分から抜け出せたのは、通り沿いの洋菓子店を視界に止めた時だった。
思わぬ展開に忘れかけていたが、ここで車を降りたのは、この洋菓子店に寄るためだった。
「ここのワッフル、すっごく美味しいんだけど、あたしにはちょっと高いんだよね。だから特別な時だけ買うの」と言っていた牧野を思い出したから。
肩の力がすっと抜けた。

 ( まあいいや。もう考えるのはやめよう )

ワッフルを買って牧野の家へ行こう。イギリスで買ってきた紅茶を淹れて、二人でゆっくり過ごそう。 他愛もない話をして、笑い合おう。春の匂いを感じながら、牧野の笑顔を見続けよう。

思うだけで、自然と顔がほころぶ俺がいた。




小さな紙袋を手に細い路地を歩いていく。
あちこちに桜が咲いていて、街全体が淡く色づいているように見える。
ふんわりと柔らかな、本当に穏やかな春。
時折、風に乗った花びらが舞っていて、それを何気なく目で追っていた。
もうすぐ牧野の住むアパートがあることを感じながら。

その時。
ひらひらと舞い踊る花びらの向こうに、人影を見つけた。

 ( ――牧野。 )

思わず足が止まる。
薄紅色の街を見て春を感じているのだろうか。窓辺に佇むその表情は、とても優しく柔らかだった。
親父の言ってた「いつでも春」は、妹達が「つくし」という名前から連想して言ったことに違いないだろう。
けれど、今の牧野の表情は、淡いけれど深く穏やかな春を思わせた。
それは、初めて見る牧野の表情だった。と思う。

イギリスに居る間に掛ってきた総二郎からの電話を思い出した。

『牧野に会ったよ。元気にしてたから、安心しろ。あいつ、なんか変わったな。丸くなったというか、柔らかくなったというか。うーん……底が深くなったというか、幅が広くなったというか。女は不思議な生き物だよなあ』

あまりにも微妙な言い回しで、その時は何が言いたいのかよくわからなかった。
『あきら、とうとう抱いたか?』なんて、最後はからかい半分のことを言い出したから、研修中にこっそり出ていた電話ということもあり、それ以上は突っ込まずに電話を切った。
けれど、今じっくりと考えてみれば、総二郎は、今みたいな牧野の表情を見たのかもしれない。

 ( きっとそうだ。 )

それであんな風に言っていたんだと納得して、そして、ちょっと嫉妬した。
誰にも見せずに独り占めしたくなる、そんな表情だった。


春のような牧野を一秒でも長く眺めていたくて、ゆっくりゆっくり歩いた。
牧野は俺に気付く気配もない。
このまま見つめ続けたい俺と、会って抱きしめたい俺。
勝つのはやはり後者だった。

玄関に回り、チャイムを押す。
ほんの少し間をおいて、「はーい」と聞こえたその声に、俺の胸はドキリと鳴った。

「俺。……ただいま。」

一瞬、辺りは静まり返り、それからパタパタと足音が聞こえた。
そして再び静まり返って数秒後、ガチャリとドアが開いた。
なぜか、そーっと顔を出した牧野は、先ほどまで見ていた窓辺の彼女と同一人物とは思えない程、緊張しているような固い表情で俺を見た。
俺の胸の高鳴りとは少々温度差を感じる牧野の動作と表情。

「よぉ」
「……びっくりした」
「ん?」
「まさか、こんなに早い時間に帰ってくると思わなかったから」
「ああ……ダメだった?」
「ううん。ちがうの。そうじゃなくて……――」

その瞳が一瞬揺れて、言葉に詰まった牧野は俯いてしまった。
真っ先に笑顔が見れるだろうと勝手に思っていた俺は、そんな牧野の反応に戸惑った。
部屋に誰かいるのだろうかと覗き見たけれど、そんな気配はない。何かあったのだろうかと考えるけれど、今さっきまで穏やかな顔で窓辺に立つ牧野を見ていたのだから、それも想像しにくい。
アパートの階段を駆け上がり玄関のチャイムを押すまで数十秒。
その間に何かあったとも思えず、戸惑う以上に心配になった。

「牧野?」

どうした、と言葉をかけようとしたその時。
牧野の手がすっと伸びてきて俺の服の裾を掴むと、そのままドンと俺の胸に頭を押しつけた。

「牧野……?」

見下ろした視界に映る指先が、ほんの少し震えていた。
その時、わかった。
固い表情も、揺れた瞳も、震える指先も――すべては俺を待っていた牧野の言葉にならない想いだった。
胸に頭を押しつけた牧野から、それがダイレクトに伝わってきて、安堵と共に俺の中に広がった。
「部屋に入っていいか」と耳元に問うと、すぐに小さく頷いた。
俺は牧野を抱き寄せるようにして部屋へと入り、後ろ手でドアを閉め、そのまま牧野を抱きしめた。ぎゅっと。
腕の中の牧野は、やっぱり小さく震えていて、時折ぐすりと鼻を啜る音が聞こえた。

「ごめんな。あんまり電話出来なくて」

首が左右に振られた。
言葉はなかった。

「変ったこと、なかったか? 大丈夫だったか?」

今度は、頷いた。
やっぱり言葉はなかった。

「寂しかったか?」

先ほどよりも小さく頷いた。
一呼吸おいて、再び訊く。

「……会いたかったか?」

一呼吸おいて、今度は深く頷いた。
牧野の気持ちがたくさんたくさん込められているのがわかった。

「そうか」

髪を梳くように頭を撫でてそれきり黙ると、腕の中から声がした。

「……ちょっと、何よそれ」
「ん?」
「そうか、って何よ」

緩めた腕の中からくいっと顔をあげた牧野は、涙で潤む瞳はそのままに、頬をぷうっと膨らませた。

「何よ、って何が?」
「美作さんはどうだったのよ? あたしにばっかり聞いて、そうか、で終わらせるなんて、そんなのずるい」

顔を赤くして必死に訴える様子があまりにも可愛くて、俺は思わず再びぎゅっと抱きしめた。
そして髪に唇を埋め、囁く。

「俺も寂しかったよ。毎日ものすごく忙しかったけど、いつも牧野のことが頭の片隅にあった。早く帰って会いたい、抱きしめたい。そればかり思ってた」
「……」
「だから、今こうしていれることが、すっげー嬉しい」

牧野の腕が俺の背中に廻り、ぎゅうっと力がこもった。
そして、震える声がした。

「……――おかえりなさい。」

俯いている牧野の声はとても小さかったけれど、愛しいその言葉が俺の中に大きく響いた。
滲み出る愛しさとは、こういうことを言うのかもしれない。
開いた窓から時折吹き込む春風に、ゆるゆる揺れるカーテンを見ながら、牧野の温もりを感じた。






「春だねえ。もうこんなに桜が咲いてる」
「あんまり上ばっかり見てると、転ぶぞ」
「大丈夫だよ。あ! あそこの木、すごい咲いてる。美作さんも早く行こう!」
「はいはい。今行くから」




 ***




腕の中で泣いていた牧野はしばらくして顔をあげると、「次の出張の時は、もう泣かないから」と言った。

「なんで?」
「だって、これから数えきれないくらい出張に行くだろうし、その度に泣いてなんていられないじゃない」
「別に泣いてもいいのに」
「いやよ。そのかわり、あたしも来年就職したら、バンバン出張に行っちゃうんだからね」
「マジで!?」

真剣に驚いて、「いったいどんなところ狙ってんだよ」と言うと、「あはは。嘘よ」と楽しそうに笑った。
騙された、と力が抜けて「おまえなあ」と怒ったけれど、笑う牧野に俺も笑顔になった。
ああ、この牧野を見たかったんだ。と心底嬉しかった。

お土産のワッフルと紅茶に更に笑顔を広げた牧野は、すぐにほんの少し瞳を曇らせた。

「何時までいられるの?」
「なんで?」
「忙しいんでしょう?」

そんなこと今まで聞かれたことがなかったから、なんでだろうと不思議に思ったけれど、すぐに答えに行き当たった。
牧野は、司の彼女だった。自由の利かないことばかりだった司の。

「制限時間は、明日の朝」
「え? 明日?」
「入社式があるから、それまでには帰らないと。でもそれまでは無制限。ここに泊るつもりなんだけど……」

「ダメだった?」と聞くと、牧野はほんのり頬を染めて、首を横に何度も振った。
瞳の曇りが一気に晴れて、嬉しそうに、笑った。

「じゃあ、お花見に行こうよ。この辺をぶらぶら歩くだけでもきっと綺麗だよ」
「そうだな。天気もいいし。さすがに明日からは忙しくて花見どころじゃなさそうだし」
「うん!」




 ***




そうして俺達は、桜に誘われるままに歩いている。

明日から、四月。
明日から、新しい日々へと踏み出す。



「美作さーん!はやくーっ!」

桜の木の下に、春のような牧野の笑顔。
俺を呼ぶその声も、ふんわり色づく春の音色。
あっという間に駆けて行く牧野が、ふわりと吹き抜ける春風に重なった。

「あんまり遠くへ行くなよ、牧野」
「行かないよ。ほら、見て見て! ここの桜が一番綺麗じゃなあい?」

はたして牧野はわかっているだろうか。
その背に呟く俺の、その言葉の本当の意味を。


どこまでも吹き抜けて、そしてここに戻っておいで。
俺はその行く先を、絶対に見失わないように目を凝らして見ているよ。

Fin.
After Word ―あの春の陽だまりの―
2009.01 薄紅の風ゆれて
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