「そういえばつくし、何時に出るつもり? というか、何時からなの?」
「それがよくわかんないのよね。場所自体は三時くらいから貸し切ってるらしいんだけど……どうしよう。逆にここって何時までいなきゃいけないのかな?」
「出入り自由らしいから何時でもいいんじゃない? そうですよね? 平野部長」
「……」
「……ダメだ。完全に違う世界にいっちゃってる」
「どうかしたの? 平野部長」
「さあ。でも最近ぼーっとしてる時が多い気がするのよね。なんか考え込んでるっていうか」
「やっぱり相当疲れてるんじゃないの? 忙しかったし」
「そうねえ。徹夜もしてたみたいだし、疲労度は私達の比じゃなかっただろうね」
「連休くらいはゆっくり出来たのかな?」
「この感じだと出来なかったのかもね。……ま、しばらくしたら戻ってくるでしょ。そっとしておこう。というか逆に、この隙に抜け出しちゃう?」
「あははは。隙って。平野部長から逃げるわけじゃないんだから」
「それもそうか。あははは」
十二月二十八日 本年業務最終日。
仕事納めのその日は、午後から社内のカフェテリアで納会が催されていた。
そのカフェテリアの片隅、他の社員が盛り上がる場所からは少々離れた静かなテーブルで、つくしは同僚の美穂と、この後に予定されている仲間内のパーティーへ行くために、どのタイミングで抜け出そうかとコソコソ話し合っていた。
正確には、パーティーはつくし個人の予定。美穂はまったく関係ないのだが、どうせなら自分も同じタイミングで抜け出して帰ろうと目論んでいる。
そしてもっと正確には、その静かなテーブルは、もともと部長の平野が、文字通り一人静かにグラスを傾けていた場所で――納会だけあってアルコールも多種多様に用意されていて、平野はワインを飲んでいた。美穂が手にしているカクテルも本日二杯目。つくしはこの後のこともあるので飲んではいなかった――つくしと美穂は、内緒話ならここがいいだろうと後から押しかけていた。
なのでその場所には二人きりではなく、平野がいる。けれど平野は何やら先程から物思いに耽った様子で、つくし達の話などまるで耳に入っていないようだった。
でもそれは二人にとって特段困ることではないので、気にせず二人だけで盛り上がっている。あくまで、コソコソとではあるけれど。
「うーん、ホントに何時に行こうかな。……みんな、何時に来るんだろ?」
誰かから連絡が入っていたりはしないだろうかと携帯電話を取り出してみるも、誰からも着信はなし。メッセージの受信も、なかった。
パーティーの話が浮上したのは昨日の午前中。正式に行くことになったのは、昨夜、日付が変わるくらいのことだった。
首謀者は――なんて言い方をしたら怒られるかもしれないけれど――類と総二郎らしい。
他に誰が来るのかとか、詳細はつくしの耳には届いていない。
――桜子と滋さんと……道明寺はまだニューヨークだっけ? 年末に帰ってくるとか言ってたっけ? 優紀はもしかしたら西門さんに声掛けられてるかもなあ。
つくしの予測出来るメンバーはそれくらいで、おそらくその中の誰かが欠けることはあっても、それ以上増えることはないだろう。結局のところ、いつもの内輪のパーティーなのだから。
それにしても、言い出したのが類と総二郎で、あの二人が最初から最後まで二人だけで全ての段取りをするかなあとつくしは疑問に思っていたのだが、案の定、場所の確保はあきらがしたことを、本人の口から聞くこととなった。
手配をしたのはもちろん、つくしとあきらが参加するかどうかを決める前の話。
自分は行かないかもしれないのに、場所を選んで予約をして、きっと彼のことだから料理なんかの手配もしたのだろうと思ったら、その面倒見の良さに、つくしは思わず笑みが零れてしまった。
「結局は美作さんが動くのね、こういう時って」
「もうお決まりだからな。類は元々面倒臭がって自らやるなんてことのないやつだし、総二郎も女のことにはマメだけど、他は人任せなところがあるし」
「昔からずーっとよね。みんなすっかり甘えちゃってる。……あたしもなんだけどさ」
「あはは。まあ別にいいんだよ。また俺がやるのか、とか厭な顔してみせてるけど、実のところ然程でもないし……あいつらにはそれが読まれてるんだ」
「長いつき合いだから?」
「そ。長いつき合いだから」
あきらの部屋のベッドの中。
愛し合った余韻が残る汗の引いた素肌を寄せ合いながら、二人でクスクスと笑った。「二次会の手配もしておかないと、ここに傾れ込むとか言い出すかなあ」なんて思案顔のあきらを見ながら、楽しみだなあ、とつくしは胸を躍らせた。
そのあきらも今日は仕事納めで、つくしと同じように午後は納会らしい。ただしあきらの場合は、その合間に他の仕事も幾つか入っているようだったけれど。
それでもいつもと比べればものすごく余裕のある半日だと笑っていた。
――美作さんにメールして、何時に抜け出すか訊いてみようかな。
こちらの納会がいつでも抜け出せるとなれば、あとはあきらに合わせるのもいいかもしれない。
つくしは手にしていた携帯電話であきらにメッセージを送った。
「……にしても、盛り上がってるわねえ」
美穂がポツリと呟いたのは、メッセージを送信し終えたつくしが携帯電話をテーブルに置こうとしたその時だった。
「え? 何が?」
「ほら、見てよ。新宮部長がイケメンの隣でご満悦よ」
その視線を追うと、部下に厳しいことで有名な女部長が、満面の笑みを浮かべて同じテーブルに座る若い男性社員達と盛り上がっていた。いや、盛り上がっているのは新宮部長で、周囲は驚いているのか呆れているのか、少々笑顔を引き攣らせているようだった。
「新宮部長って昔から無類のイケメン好きらしくてさ……ほら、美作専務のことも相当気に入ってるじゃない?」
「ああ、うん。噂できいたことある。しかも社内一の情報通なんでしょ?」
「そうそう。で、当然のことながら社内のイケメンにもいち早く目を付けていてさ。イケメンは自分の部署に優先的に配属させてるって有名なのよ」
「え、それ本当なの?」
「だって見てよ。同じテーブルに座ってるのはほとんど新宮部長のところの所属だし、社内でも人気のある男ばっかり」
言われてじっくり見てみれば、たしかに美穂の言う通りだった。
「凄いわよねえ。キャリアウーマンでイケメン好き。……新宮部長、絶対に一生独身だわね」
美穂は感心したように呆れたように、ひとつ大きく息を吐く。
つくしは、そんな部長のこともさることながら、その情報を掴んでいる美穂に感心していた。
一体どこからどうやって情報を集めてくるのか、美穂は本当にいろんなことを知っていた。そうした情報や噂話に疎いつくしは、ほとんどの情報を美穂から得ていて、おかげで自分では何も動いていないのに、いろんな話を知っている。
「うちの部署の先輩達がさ、ああだけはなりたくないのよね、って力込めて言ってたことがあってさ。あれには笑っちゃったなあ」
その時のことを思い出して楽しそうに笑う美穂。
その笑顔を見ながら、つくしはぼんやりと思う。
この先、あきらの婚約や結婚にまつわる様々な噂が飛び交って、万が一にもその核心に触れられそうになった時、やっぱり美穂がいち早く耳にして、誰よりも的確に打ち消してくれるんだろうなあと。きっとそんな日が来るんだろうな、と。
「これからもよろしくね、美穂」
言葉はぽろりと零れた。言ってしまったつくしさえも驚くほど自然に。
美穂はきょとんとした表情でつくしを見つめ、やがて笑顔で頷いた。「何が?」などとは一度も訊くことなく。
なんと勘の鋭い同僚だろうと、驚くほど感心して、そしてそっと感謝した。
今朝、つくしは部長の平野と話をした。
出社してきたばかりの平野に話があると告げると、すぐに会議室へと呼ばれた。
そこでつくしは、自分の出した結論を平野に告げた。