赤と青の間
COLORFUL LOVE & DOLCE Little Episode
道明寺は、紅茶よりもコーヒーを好んで飲む男だった。
最初はブラックで。でもカップ半分くらいになると必ず砂糖をスプーン一杯入れた。
「俺様の舌が味の変化を求めるんだよ」と毎回偉そうに言っていた。
あたしは心の中で、いつも「ふーん、変な奴」と呟いて、でもそれだけで終わらせていた。

あたしは知らなかった。
それが、見栄っ張りのあいつのついた「嘘」の理由だったことを。


本当の理由を知ったのは、あいつがニューヨークへ行ってしまってから。
英徳のカフェテリアでF3とお茶をしていた時だった。
なんでそんな話になったのかは覚えていないのだけれど、西門さんが言ったのだ。

「あいつ全然変わんねえよなあ。態度のでかさも人使いの荒さも。そういや、無理してコーヒー飲んでるところも」

あたしは驚いた。
道明寺はコーヒーが好きなのだとずっと思っていたから。
でも三人は笑いながらそれを否定した。

「本当は苦手なんだよ。あいつは舌がお子ちゃまだから」

言われてみれば、ひどく納得できる。

最初の一口を飲んだあとの大袈裟なくらいの渋い顔。
味の変化を求めてるといって入れてた、スプーン一杯分の砂糖。

あたしは、くつくつと笑った。

なんだかとても可笑しかった。
見栄っ張りの道明寺が。
あいつのついた嘘の理由を信じ切ってた自分が。
可笑しくて可笑しくて、あたしはしばらく笑いが止まらなかった。


その日はいつもよりも道明寺の話をすることが多くて、あいつのバカさ加減にさんざん笑ったのを覚えている。
そしてカフェテリアを出たら、すっかり陽が傾いていた。

他愛もないことを話しながら歩いて行く三人の後ろを歩きながら、あたしは空を見上げていた。
夕暮れ時の、青と赤が出会って混ざって溶け合ったその空色が、息が詰まるほど綺麗だった。
足を止めて魅入る私。
ふと、道明寺の顔が浮かんだ。
そして、思った。

あたし達も、いつかなれるだろうか。この空のように。
お互いの色を失うことなく、でも混ざって溶け合って、そしてひとつに。
くだらない意地を張らなくていい、自然な二人に。
いつの日か、そんなふうになれるのだろうか。

考えても考えても、確信も自信も湧いてこなかった。

(そもそも道明寺はあんな淡い色の男じゃないし、あたしだって違うじゃない。てことは最初から無理なのかしら? いやいやそうじゃなくてさ。あたしが思ってるのはそういうことじゃなくて……)

心の中で、自分に言い訳する自分がいて、なんだかさみしい気持ちになった。


「牧野?」と声をかけられたのは、ちょっぴり落ち込んだその時だった。



   ***



ハッとして見れば、ほんの少し先からあたしを見つめる美作さん。

「どうかした?」
「う、ううん」
「ならいいけど。さっきから立ち止まって空を見るばかりで一向に歩いてくる気配がなかったからさ」
「ああ、ごめん。空がきれいだなーって思ってみてたの」

あたしの言葉に美作さんは空を見上げ、そして「ああ、たしかに」と目を細めた。
その視線を追うように、再び空を見上げるあたし。
そこに、再び美作さんの声がする。

「あんまりにも熱心に見上げてるから、なにか美味そうなものでも浮かんでるのかと思ったら、そういうことじゃなかったんだな」

情緒の欠片も感じられないその言葉にハッと視線をおろすと、美作さんはすでに空なんて見上げていなくて、あたしを見てニヤニヤしていた。

「あのさ、そんなわけないでしょ?」
「いやわかんねえぞ。俺には見えなくても牧野になら見える場合も――」
「あるわけないでしょ。バカじゃないの?」
「あはははは」

美作さんは爆笑して、それから「冗談だよ」と言った。
「もうっ」と膨れて横を向いた私の耳に届く声。

「このままうちでメシ食うことになったんだけど、牧野もこないか?」
「ん? 美作さんの家?」
「そう。おまえ今日バイト休みだろ?」
「うん」
「類がキッシュを食べたいんだと」
「キッシュ?」
「そう。うちのシェフがつくるやつ、美味いんだよ。牧野はまだ食ったことなかったよな?」
「うん、ない」
「来いよ。な?」

聞いているだけでお腹が鳴りそうなほど美味しそうだと思った。
カフェテリアでさんざんお茶を飲んだにも関わらず。
いやそれ以前に、美作さんの誘いは、頷く以外の選択肢がすっと消えてしまう不思議な魔法だ。いつだって。

「じゃあ、ごちそうになります」

あたしの返事に、美作さんがふんわりと柔らかに笑った。
穏やかで優しい、美しい笑顔だった。
その向こうに広がる空と、溶け合うような。

「……美作さんは、ひとりであの色が出せるのよね」
「ん?」
「ほら、あの色」

美作あきら――個性がぶつかり合う彼らの中で、この世に原色以外の柔らかな色があることを教えてくれる、大人な存在。

「赤でもなく青でもなく……混ざって溶け合って、でも濁らないって不思議よねえ」
「……で、俺があれを出せると?」
「そう」
「……それは、どう解釈すればいいんだ?」
「褒められたと思っていただければ」
「そっか。……じゃあ」

「ありがとう」と笑った美作さんの笑顔は、やっぱりとても綺麗だった。





   ***





「つくし?」

ふいに名前を呼ばれて振り向くと、そこには書類を持った美作さんが立っていた。

「あ、おかえりなさい」
「ただいま。……どうかしたか?」
「あ、ううん。良い眺めだなーと思って」
「……ああ、なるほど」

「ならいいんだ」とあたしを見つめるその顔に、笑顔が浮かんだ。


今日は夕方から美作さんの執務室で結婚式の打ち合わせをすることになっていた。
仕事を早退して来たまでは良かったけれど、一時間もしないうちに緊急の会議が入ってしまった。
「一時間で終わらせてくるから」と出ていく彼を見送って、あたしはのんびりとお茶を飲んでいた。窓の外に広がる景色を眺めながら。
そして、ほんの少しだけ物思いに耽っていた。
けれどそれは、会議が終わって戻ってきた彼をほんの少しだけ不安にさせたようだ。
もしかしたら、部屋に入ってすぐに「ただいま」とか「お待たせ」なんて言葉を言ったのかもしれない。
それにまるで反応しないあたしがいたのかもしれない。
「ならいいんだ」と笑ったその一瞬前、彼の顔には小さな心配が張り付いていたから。

彼はどこまでも優しい人。
ずっと変わらない。
あの日も、そして今も。


「ねえ美作さんもこっち来てよ」
「ん?」
「空の色がすっごく綺麗なんだよ」

夕暮れ時の、青と赤が出会って混ざって溶け合った空の色。
あの日と同じ色の空が、窓の外に広がっている。

溶け合い広がるあの色を持つあなたと共に歩ける幸せが、今ここにある。
Fin.

【キミの瞳に映る色】

「ただいま。待たせたな」

予想に反して、執務室はしんと静まり返ったまま、なんの音もしなかった。
俺の頭の中でだけ「おかえりなさい」と愛しい笑顔が零れる。

呼び出したのは俺なのに、会議が入ってしまったことを怒ってるのだろうか。
一時間と言ったのにそこから十五分も過ぎてしまったから、待つことに疲れ果ててしまっただろうか。
それとも他に……。

ソファにいるはずの彼女がそこにいないことで過剰とも思える心配が脳裏を過って、俺の意識は一秒でも早く彼女の姿を、と躍起になる。
でも何のことはない、その姿は窓辺にあった。

「つくし?」
「あ、おかえりなさい」
「ただいま。……どうかしたか?」
「あ、ううん。良い眺めだなーと思って」
「……ああ、なるほど」

ようやく見れた彼女の顔に笑顔が浮かんだから、それだけで俺は安心して、「ならいいんだ」と微笑んだ。


「ごめんな、遅くなって」
「ん? ああ、なんだこんなに時間経ってたんだ」

「全然気づかなかった」と隣に並んだ俺を見上げて彼女は言った。
その笑顔があまりにも愛しく思えて、そっと抱き寄せて頬を撫でると、彼女はくすぐったそうに身を捩った。
もちろん、抱き寄せた瞬間に「ひゃあっ」と驚くのも忘れない。
何年付き合っても、婚約しても、そういうところはまるで変わらない。
それさえも、愛しい。

「美作専務、ここは執務室ですよ?」
「わかってますよ」

そんなやりとりに、彼女がくすくす笑う。

「でも、ちょっとだけ」
「ちょっとだけ?」
「そう。ちょっとだけ充電」

「ふうん」と柔らかに漏らして、そして大人しく身を預けてくる。
変わらない部分と、変わった部分。
そのどちらも、とてもとても愛しい。

「綺麗な空だな」
「でしょう? なんか懐かしくて」
「……」

彼女が思い描く懐かしい空は、いったいいつの空だろう。
俺は……――。

答え合わせはこれからゆっくりやればいい。
でもきっと、同じ空を――同じ色を思い描いているはずだ。

キミの瞳に、その懐かしい色が見えたから。

web拍手 by FC2
2013.05.16 赤と青の間
inserted by FC2 system