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孤独なミッドナイトブルー
COLORFUL LOVE
1
 秋は足早にやってきて、足早に過ぎ去るようだ。
 コートを出そうか、否、まだ早いか、と悩んでいたのはまだつい最近なのに、あれよあれよと季節は進み、日に日に増していく寒さはここ一週間ほどですっかり定着。まさに「コートの手放せない季節」となっていた。

「もうすっかり冬なんだねえ」
「ん?」

 美作商事本社ビル近くにあるレストラン。二人で使うには少々広すぎる個室で、あきらとつくしは久しぶりのランチデート真っ最中。
 一口食べるたび「ああ、美味しい」と溜め息を零しながら料理を堪能していたつくしが唐突に発したその言葉に、あきらが顔を上げる。目の前の彼女の視線は、通りに面した大きな窓の外――コートに身を包んだ人々が、寒そうに肩を竦めて歩いている光景に向けられていて、なるほど、と腑に落ちた。

「すっかり冬だな、あっという間に」
「あ、美作さんもそう思う? ついこの間だよね、紅葉見に行ったの。あの時は、秋真っ盛りって感じだったのに」
「もう十二月だもんな」
「本当に早い。この調子だと、寝て起きたら来年になってるんじゃないかなって思うくらい」

 つくしの言葉に小さく笑って、パスタをきれいに巻きつけたフォークを口に運んだあきらは、再びパスタを巻き取りながら、「それいいな。寝て起きたら来年で、しかも仕事がすべて片付いてたら最高かも」と溜め息交じりに呟いた。
 その呟きに、つくしは視線をあきらへと移す。

「仕事、相変わらず大変そうだね」
「片付けても片付けても、片付いた分だけ増えてく気がする」
「それじゃ終わりが見えないじゃん」
「ほんと、それ」

 訊くまでもなく、あきらが毎日仕事に追われていることを、つくしはもちろん知っていた。 紅葉を見に行ったあの週末から半月以上が経つというのに、あれ以降、まともに顔を合わせたのは今日が二度目。あの頃すでに十分「超多忙」だったあきらだが、あれからさらに多忙を極め、最近では電話一本もらうことすら躊躇われる毎日が続いていた。
 あの週末から、あきらが丸一日きちんと休めた日はおそらくない。そのすべてが朝から晩までとは言わないものの、休めて半日が限度。海外とやり取りをしているとかで、仕事の終わりが深夜だったり、朝方だったり、ということが増えた。
 その影響だろうか。今から一週間くらい前、つくしの部屋に突然やってきたあきらが開口一番「さすがに限界だ」と吐露して、上がり込むなりソファで転寝を始めたことがあった。


 早朝――つくしの目覚ましアラームが鳴るよりも早い時間だった。あきらから電話が来た。
 何の前置きもなく「これから行く」と告げてきた。普段のあきらから考えれば、らしくない一方的な連絡だったが、久々に会えるのが嬉しくて、一緒に朝ごはんを食べられるだろうかと、冷蔵庫を覗いてあれこれメニューを考えながらウキウキと待っていた。だが、現れたあきらは全身に疲労を色濃く滲ませていて、つくしがお茶を淹れるよりも早く、ソファでウトウトし始めた。

「美作さん、こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ。ベッド入ったら?」
「うーん……うん、そうさせてもらう。牧野も一緒に行こう?」

 声を掛けたつくしにあきらは気怠げな様子で答えて、ソファからもそりと起き上がると、ふらふらと移動してそのままベッドへ潜り込んだ。もちろんつくしを道連れに。

 三時間後に目を覚ましたあきらは、幾分すっきりした顔で、つくしに「おはよう」と告げた。
 あきらに付き合う形で二度寝をしたつくしは、先に目を覚まして――当然だ、夜中だってぐっすり寝てたのだから――閉めたままのカーテン越しに届く弱い光の中、彼の隣で本を読んでいた。
 あきらの声に「おはよう、よく眠れた?」と返しながら、読んでいた本をパタンと閉じる。

「悪かったな、突然押しかけて。しかもそのまま爆睡して」
「ううん。疲れてたんでしょ」
「ようやく半休をもぎ取ったんだけど、そのためにちょっと無理して仕事詰め込んだもんで、連日の睡眠不足が祟ってこのザマです」

 申し訳ない、と照れたような笑みを浮かべて、あきらはつくしを抱き寄せた。

「ものすごく疲れた顔してたから、ちょっとびっくりしたよ。でもよかった、顔色良くなったみたい」
「あー、いやもう本当に連日寝不足で」
「そしたら三時間くらいの睡眠じゃ足りないんじゃない? もう少し寝る?」
「うーん」
「それとも、お腹空いた? なんか作ろうか」
「うーん」

 どちらにも曖昧な返事しか返ってこないその顔を、抱き寄せられた腕の中から見上げると、あきらは数秒の思案の後、つくしの目を見て微笑んだ。

「両方を一気に解決したいんだけど、付き合ってくれる?」
「……いいけど、どうやって?」
「こうやって」

 言いながら、あきらは身体を反転させると、つくしに覆い被さった。
 驚いて思わず目を丸くするつくしの髪を梳いて柔らかく口付けると、熱を帯びた眼差しで真正面からその視線を捉える。

「牧野を食べたら一気に解決する」
「た、食べるって――」
「一番足りないのはおまえなんだもん。仕方ないじゃん」
「……」
「だから今は大人しく俺に喰われて」

 囁きと共にカプリと耳朶を甘く噛まれて、つくしは赤くなるよりも先に、全身を震わせた。

 陽の光の中の情事というのは、なぜにこうも妄りがましいのか。
 言葉通り、あきらにたっぷりと喰われたつくしは、何度も昇り詰めて疲れ果てて、その腕の中で意識を手放した。どうやらあきらもいつの間にか眠ってしまったようで、次に二人で目覚めた直後、いったい今はいつなのか、何時なのかと大いに慌てた。
 結果的に二人そろって眠っていたのはほんの数十分だとわかり、安堵したあきらとつくしは顔を見合わせてゲラゲラ笑った。


 それが紅葉デート後、一度目の逢瀬。
 殆どの時間をベッドで抱き合って過ごし、会話らしい会話はあまりなかったのだが、それはそれで互いにたっぷり満たされた。
 思い返すとあまりの恥ずかしさに身悶えしたくなるつくしだが、でもその時間が、それまでの会えなかった期間に膨れた寂しさを埋めてくれたのも事実。だから、またあんな時間が過ごせたらいいな、と密かに思っていた。

 でも、そう簡単に事が運ぶわけがない。結局そんな時間は、あれきり持てないまま、今日が二度目の逢瀬。
 雰囲気から察するに、どうも一度目のようにはなりそうもない。
 途切れがちな会話と、今一つ冴えないあきらの表情。これはますます状況が悪化しているのではないかと感じながら、つくしは思いきって切り出した。

「美作さん、今日はこれから時間あるの?」
「いや……あー、そうだ、ごめん。まだ言ってなかったな。今日のタイムリミットは、あと三十分なんだ」
「……そうなの?」
「うん。このあと、会社に戻って会議。遅れるわけにいかなくってさ」
「そっか。……なら、さっさと食べなきゃね」
「ごめんな、牧野」
「ううん、仕方ないよ」

 そう。仕方がない。つくしは十分にわかっている。
 だから、出来るだけ笑顔で、出来るだけ何でもないことのように、いつもと同じ調子でさらりと言って、つくしはサラダにフォークを突き刺した。

 つくしは知っている。
 あきらが忙しいことを。
 そんな中でも、日々、自分を気にかけてくれていることを。
 自分との時間をなんとか作ろうとしてくれてることを。
 それでも最近少し、自然と落ち込んでしまう瞬間が増えてきたことを。
 わかっているのに、寂しさに負けそうになってしまう自分がいることを。

 つくしは知らない。
 無意識のうちに溜め息を吐いてしまっている自分を。
 そんなつくしを、あきらが心配そうに見つめていることを。
 やるせなさに、思わず零れそうになる溜め息を、なんとか押し込めていることを。




 それからきっちり三十分で、あきらは会社へと戻っていった。
 じゃあ、と手を振り別れた後、人混みに消えていくその後ろ姿を見つめていたつくしは、「はあ」とひとつ溜め息を吐くと、さてこれからどうしよう、と考えながら、歩き始めた。


 今朝早くに「今日、一緒にランチしようか」と連絡が来た時は、本当に嬉しくて、大学の講義が朝から三コマ連続で入っていたのだが、午後一番の講義は休もうと早々に決めた。
 一限の途中であきらから連絡が入った。指定された待ち合わせの時間がつくしの予想よりも早かったから、次の講義を受けずに大学を出た。一限の講義を一緒に受けていた友人達に「いいなあ、羨ましいなあ」とほんの少し揶揄われながら。
 足取り軽く待ち合わせ場所に向かう途中、遅れる旨の連絡が入った。一度、二度……少しずつ時間がずらされ、結局会えたのは、最初の予定より一時間半も後だった。

 予めあきらが予約していたレストランの個室。先に入って待っていたつくしの前にようやく現れた彼は、「ごめん、こんなはずじゃなかったんだけど」と不本意そうに呟いた。仕事を前後に振って無理やり時間を作ったのだが、なかなかうまく片付かなかったと申し訳なさそうに謝るあきらに、つくしは「大丈夫だよ」と笑って見せるしかない。
 本当は待ちくたびれて、吐いた溜め息は数えきれないほどだったけれど、こんなことなら二限に出てから来ればよかった、なんてことも思わなかったわけじゃないけれど、それはすべてきれいに隠した。
 あきらは必死にこの時間を捻出してくれたのだ、自分のために。それがわかるから。

 目が合った途端、椅子に座るつくしにするすると近づいてきたあきらは、真横に立つと背を屈め、流れるような仕草で彼女の後頭部に手を添えると、その唇にキスを落とした。
 ほんの短い挨拶程度のキスなのに、ふわんと漂ったあきらの纏う香水の甘い匂いと触れ合った唇の感触と、そして耳元に囁かれた「やっと会えた」の一言が、つくしを一瞬で幸せにした。
 くすぐったくて、照れくさくて、嬉しかった。


 あの瞬間、抱えたその気持ちに嘘はない。無理やり思い込んだわけでもない。
 たしかにつくしは満たされた。
 それなのに、あきらと別れて街を歩くつくしの心は、もう寂しさに萎んでいる。
 ずっと一緒にいられるなんてことは、つくしも考えていなかった。でもこんなに早くこの時間が終わるなんて、正直思っていなかったのだ。もう少し一緒に居られるはずだと勝手に思い込んでいた。食事だけでなく、あともう少し二人で笑いながら過ごせる時間があるだろう、と。
 この寂しさは、そんな勝手な思い込みの代償。タイムリミットを告げられた途端に、それまで美味しいと思えていた料理から何の味も感じられなくなってしまったのも。

 別れ際、あきらはつくしを抱き寄せ、「一緒にランチ出来て楽しかったよ」と耳元に囁いた。「ごめんな、ゆっくり出来なくて」とも。
 あきらの温もりが嬉しくて、でも逢瀬の終わりが寂しくて、吐き出せない感情が胸の奥に痞えた。
 次はいつ会えるのだろう。電話じゃなく、メールでもなく、直接あきらの顔を見て、あきらの温度を感じられるのは、いったい何日後なのだろう。

「……やめた」

 思えば思うほど心が冷える。考えたって思い悩んだって、結局なるようにしかならないのだ。何をどう望もうと、今それはあきら次第なのだから。
 つくしは無理やり思考を停止して、重い足取りで大学へと向かった。バイトまでの時間をどうにか潰すために。
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2019.04 孤独なミッドナイトブルー
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