01-05 / 06-10 / 11 / 12
硝子の靴
CLAP STORY (COLORFUL LOVE -Extra Story- view of MIHO)
11
 ふと……本当にふと、美作専務はつくしにどんなタイミングでどんなところに惚れたのだろう、と思った。
 つくしの元彼は美作専務と同じようなお金持ちでどこかの企業の御曹司で、そしてきっと美作専務も知る人なのではないかと、私は勝手に思っている。どれもこれもきちんと確認した事項ではないけれど、そう考えると全てが私の中でストンと納まるから。
 それを前提に話を進めてしまうと……もしそうなら、美作専務もやっぱり出会った頃はつくしとはただの友人で、どこかの段階でつくしを好きになったことになる。友人としての感情が愛情に変わる瞬間なんてよくあることだし、その可能性が一番多いのだから別に不思議はどこにもないのだが、なんとなく、本当にふと知りたくなったのだ。
 私は手にしていたフォークを静かに置くと、美作専務に話しかけた。

「あの、美作専務」
「ん?」
「不躾なことを訊くようですが……つくしのどこに惹かれたんですか?」

 フォークとナイフを操る美作専務の手が静かに止まり、その視線が真っ直ぐに私に向けられた。穏やかな、とても穏やかな表情だった。

 私と美作専務は、もう二時間近くもこうして同じテーブルに向かっている。時間だけのことを言えばもう何時間も一緒にいる。目が合った回数なんて数え切れない。それでもやっぱり、この人に真っ直ぐ見つめられていることを改めて意識すると、心臓の鼓動が自然とワンテンポ早まってしまう。なんだかそんな自分がとても恥ずかしいのだけれど、ここまで端整な顔と向き合う機会など滅多にないんだから仕方がない、と心の内側で自分に小さく言い訳をする。
 そして私は、黙ったまま私を見つめ続ける美作専務に、もう一度質問を繰り返そうか、言葉を足してみようか、はてまた聞かなかったことにしてくれと言おうか……とにかく何か声をかけたほうが良いだろうかと考えていた。もしかしたら、それは本当に不躾な質問だったかもしれないから。
 表情からして怒っていることはないと思う。けれど呆れられた可能性は多大にある。「そんなこと聞いてどうするの?」と。
 ――あー。やっぱり取り消そう。いくらなんでもぐいぐい行きすぎよね。
 あまりにも優しく自然体に受け入れてくれたから、誰にでもある越えてはいけない一線に気付かなかったのかもしれない。「すみません。やっぱり、」そう言いかけた矢先、美作専務の口が動いた。

「どこに惹かれたか……うーん……」

 専務は宙を見つめ、五秒間、動きを止めた。それから柔らかにつくしの席に――今はつくしのいないその席に、視線を移した。

「さっき、電話が掛かってきて慌てて飛び出していっただろ?」
「はい」
「相手は優紀ちゃんっていう牧野の親友なんだけど……その親友からの電話に、自分の膝に置いていたナプキンのことも忘れて飛び出して行った。そういうところ、かな?」

 美作専務が口にしたそれはとても抽象的で、ああそうか、と納得するには難しすぎた。「どういうことですか?」と再び訊ねるよりも先に、美作専務は言葉を重ねる。それだけでは理解出来ないだろうことを最初から予想していたように。

「自分のことより人のことに一生懸命。いつでも真っ直ぐで何の計算もなしに思うままに動く。……そういうところに惹かれているんだと思う。……まあそれは、言葉にするなら、だけど」

 そこには、言葉に出来ないもっとたくさんの想いがあって、様々な想いが重なって愛へと変化していることが窺われた。でもそのすべてを聞かなくても、美作専務がどれほど大きな想いを抱え持っているかはわかる。いや、そんなことは聞く前からわかっていた。けれどこうして言葉で聞くと改めて実感出来て、それが私はとても嬉しかった。
 私はきっと、美作専務のつくしへの想いをきちんとした言葉で受け止めたかったのだと思う。それはまるで「うちの娘を本当に幸せに出来るんだろうね?」と初めて紹介された彼氏に迫る父親のように。
 そして私は今、大きな安堵を得た。心がすっと軽くなって、胸の内に抱えていた想いが自然と声になっていく。

「少し失礼なことを言うかもしれません」
「何?」
「美作専務、先週のパーティーで大木社長の娘さんをエスコートされてましたよね?」
「ああ、うん」
「私、それを見た時、すごくお似合いだなあって思ったんです。素敵だなあって見惚れながら、やっぱり王子様は本物のお姫様を選ぶんだなって考えてました」
「本物のお姫様って、大木社長の娘のこと?」
「魔法で作られたお姫様じゃない、生まれついてのお姫様です」

 それは、同じ世界、近い世界に生きる女性、自分の生きる世界にすんなり順応出来る女性。
 少なくとも大木社長の娘は、そういう女性だ。あの時点で私は彼女の素性を全く知らなかったけれど、それでも私やつくしよりもずっとずっと美作専務の生きる世界に近いところに生まれ育っているだろうことは察せられた。そして素性を知って、やっぱり、と思った。
 私の言いたいことは伝わったと思う。美作専務は小さく頷いた。

「だから私、まあそうだよな、って妙にすんなり納得出来て、でも、なんだかガッカリもしたんですよね」
「俺に?」
「一般庶民の私は、やっぱりシンデレラに憧れますから。王子様が普通にお姫様を選んでしまったら、ほとんどの女性には出る幕がないっていうか、一パーセントの可能性も生まれないっていうか……それってつまらないじゃないですか。童話のシンデレラだって、王子様がシンデレラを見つけられずに普通のお姫様と結婚してしまったとしたら、何百年も語り継がれるようなお話にはならない」
「それはそうだな」
「はい。でもそれが現実なのかなって。世の中の女性が揃って目をキラキラさせちゃうようなシンデレラストーリーなんて、そうそうあるもんじゃないんだなって思ったんです」

 それはそれで仕方がないとも思った。
 童話の「シンデレラ」に出てくる王子様は、シンデレラが残したガラスの靴を頼りに運命の人を探し出すことが出来た。けれど、そう毎回上手くいくとは限らない。どんなに探してもみつからないこともあるだろう。探したくても手掛かりがないこともあるだろう。王様や家臣に反対されて身動きが取れないことだってあるだろう。そうしたら王子様は、やっぱりお姫様と生きる道を選ぶ。そうするしかない現実だって、きっときっといっぱいあるに違いないのだから。

「でも、あったんですよね。シンデレラストーリー。それも、私のすごーく近くに」

 会社での位置的に言えば、隣の席に。
 仲良しの同僚の恋人が、正真正銘の王子様だった。同僚のつくしは、シンデレラになろうと歩き出していた。

「昼間聞いた時は驚きました。本当に。驚きすぎて大声上げましたから、カフェで」
「そうなの?」
「はい。それから、心配が湧きました。現実を生きるつくしは、童話のように一瞬でお姫様になれるわけじゃないから。でも、つくしの想いとか考えとかいろいろ聞いて、実際に専務とつくしと一緒に時間を過ごして、つくしならきっと大丈夫って思えました。美作専務が傍にいてくれたら、つくしはシンデレラになれる。きっときっと幸せなシンデレラになれるって、そう思いました」
「……」
「だから、今はすごく嬉しいです。専務とつくしが二人で歩いて行く未来が、すごくすごく嬉しくて、すごくすごく楽しみです」

 私の話をじっと聞いていた美作専務の顔に笑みが浮かんだ。

「木下さんのようにきちんと理解してくれる同僚がいて、牧野は幸せだよ。もちろん俺も。すごく嬉しいよ。ありがとう」

 専務の柔らかな微笑みは、私に安堵と喜びを与えた。私こそそんな風に言ってもらえてとても嬉しい。私の言葉足らずな想いをきちんと受け止めてくれてとても嬉しい。
 身体中に温かな想いが広がり、私も自然と笑顔になった。
 美作専務がワイングラスを傾けるのを見つめながら、私は「あー、良かった」と再びデザートを食べ始めた。

 目の前の美作専務が、突然「ぷっ」と噴き出すように笑ったのは、フォークを三回程口に運んだ時だった。何かを思い出したのか、顔をくしゃっとさせて。肩を小さく揺らして。

「あの、どうかしましたか?」
「ああ、ごめん。いや、ちょっと昔のことを思い出してね」
「昔のこと、ですか?」

 美作専務は頷いて話し出した。

「シンデレラって和訳だと『灰かぶり姫』って言うの、知ってる?」
「あー、そうでしたっけ。……うん、でも言われてみれば聞いたことがあるような気もします。でもそれがどうかしましたか?」
「昔、牧野が全身ゴミまみれだったり泥まみれだったりしている姿を何度も見たなあって思い出したら、なんだか可笑しくてさ」
「つくしが?」

 驚いて目を丸くした私に、専務は「くくくっ」と小さく笑いながら頷く。
 プロムと呼ばれる高校卒業時に行われるダンスパーティーに泥だらけで現れたことや、専務の家の庭で焼き芋をしていてどういうわけかつくしだけ落ち葉まみれ灰まみれになっていたこと……専務は本当に楽しそうに話してくれた。

「それは正真正銘の灰かぶり姫……いや、灰かぶり娘ですね」
「あはは。まあその全部が楽しく笑っていられる思い出ばっかりじゃなくて、牧野に言ったら『誰のせいでそうなったのよ』とか言われそうなこともあるんだけどさ。やんちゃだった、なんて言葉じゃ片付けられないくらいのことをやりまくってたから」

 苦笑する美作専務とつくしが共有している思い出は、一晩中語っても語り尽くせないくらいに濃くて深いものなんだろうと思う。
 ゴミや泥や灰にまみれたつくしと、ジェットコースターのような恋をしていたつくしと、美作専務と生きることを選んだつくしと……私の知っているつくしの過去はまだ本当に少ない。けれど、誰もがそうであるように、つくしのここまでの道のりも決して平坦でなかったことがわかるから――むしろすごく大変なことがいっぱいあったような気がするから、そんな過去の良い事悪い事すべて含めて、その先で今二人が手を取り合って歩こうとしているのだと思うと、それだけで胸がいっぱいになる気がした。
 専務室でつくしが言っていた言葉を思い出した。

「不安より何より、ずっと美作さんと歩いていけるんだって思ったら……この人と歩く人生を選べるんだって思ったら、幸せのほうが大きかったの」

 そう言ったつくしの笑顔が浮かんだら、胸の奥が熱くなって、ふいに言葉が零れた。

「美作専務」
「うん?」
「つくしに、一生解けない魔法をかけてあげてくださいね」

 口に出して初めてわかる。私はそれを心から望んでいた。

「私、つくしはガラスの靴を履かずに抱えているタイプのお姫様だと思うんです。もし割れちゃったら困る、落としたら困る、そんなことを思いながら。例えばそこに誰かが石を撒いたとしても、それでも硝子の靴は大事に抱えて裸足で歩いていくと思うんです。ダンスを踊りましょうと手を取られても片手にはしっかり靴を抱いているんです。だから、十二時になって家に帰らなきゃいけないって時でも、硝子の靴は落としていかない。……そんな子だって思うんです。だから……」

 とても曖昧な言い方かもしれない。けれど美作専務になら伝わる。
 そんな私の思いに間違いはなかったと思う。美作専務は深く頷いて、「木下さんは本当に牧野のことをよくわかってる」と笑った。

「大丈夫。俺は何があっても牧野の手を離したりしないよ。たとえ十二時に帰らなきゃと言ってもね。握ってくれと差し出したのは、俺の方だから。……それに魔法は一生解けたりしない。だって俺は――」

 そこで言葉は止められた。
 続きの言葉を待つ私は、じっと専務の顔を見る。専務の視線は再びつくしの座っていた席に向けられて、それから愛しそうに細められた。

「俺は、牧野に魔法をかけてなんていないから」

 それは予想外の言葉だった。けれどそれよりも何よりも、その美作専務の表情に、私は瞬きを忘れるほど魅入ってしまった。愛しさが溢れて零れ落ちるような、あまりにも美しい、本当に美しい表情だった。
 やがて専務の視線がゆっくりと私に向けられる。

「牧野は今も昔も、灰かぶり娘のままだよ。姫じゃなくてね」

 愛しさの溢れる美しい表情から零れ落ちるその声はどこまでも甘やかで、私は全身に鳥肌が立つような感覚を覚えた。
 専務が驚くほど端整な顔立ちをしていて、とんでもなく格好良いことなんてずっと前から知っている。今日だって幾度となくドキドキさせられてきた。けれど、今私が見ている専務は、そのどの瞬間よりも美しい。
 美しいなんて、男性に多用する言葉じゃないかもしれない。でもそれ以外の言葉が見当たらない。溢れる愛が色香となって薫り立つような、そんな甘くて優しい空気に私はふんわりと包み込まれていた。
 再び専務の声が流れ出す。

「童話のシンデレラは、魔法のかかった状態でお城へ行って、そして王子様と出会った。……でも俺は、そうじゃない。出会った時も友人になった時も、好きになった時も。ずーっとあのままの牧野つくしなんだ」
「だから、つくしに魔法なんて必要ないと?」
「うん。だって変える必要なんてないだろ?」

 美作専務の言う事は、ひどく尤もだと思った。けれどどうしても私の中に疑問が残る。それでいいのだろうかと。

「美作専務は、つくしが専務と結婚して今とはまるで違う世界の住人になっても、今のままのつくしでいいと思ってますか? 大丈夫だって思ってますか?」
「木下さんはダメだと思う?」
「いえ、ダメとは思いません。私は今のつくしがとても好きだし、ずっと変わらず居てほしい。だけど、それでは生きにくくはありませんか? どんなに嫌でも面倒でもその世界に順応していかなかったら、やっぱりどこかで辛くなったりしないかなって」
「そうだね、俺もそう思うよ」
「だから私は――」
「うん、わかってる。だから魔法をかけてほしいって言ったんだよな?」

 私はこくりと頷いた。
 美作専務が今のままのつくしを好きになったことくらい、私にだってわかっていた。けれどそのままでは、これから生きようとしている世界ではあまりにも無防備すぎる気がしたから、だから魔法をかけてあげてほしいと思った。
 美作あきらという人は、望めばどんな魔法だってかける力を持っている。そう思ったから。
 専務は笑顔で頷いた。

「木下さんの言いたいことはちゃんとわかってる。でも……無理なんだよ」
「無理? 美作専務でも?」
「うん。牧野は……――牧野には魔法なんてかからないから。牧野つくしは牧野つくし以外の何者にもならない。きっと『美作つくし』になっても、心はずっと変わらない。雑草の土筆なんだ。ずーっと」
PREV / NEXT
2011.03 硝子の靴
inserted by FC2 system