クリスマスが終わったら
2008 CHRISTMAS

最悪だ――。

はああ、と盛大にため息をつき、頬杖をついて目を閉じた。
腕時計の秒針が確実なテンポで時を刻むカチカチという音がやけにはっきり耳に響く。
ゆるりとした時間の流れる中でなら心地良いこの音も、今の俺には、脱力感と疲労感を増長させる以外の何物でもなかった。

( どうして、こんな時に限って――。 )

考えたところで答えなど出ず、答えが出たところで解決するものでもなく。
黙ってシートに身体を沈めているしかなかった。




「イヴはみんなでパーティーしよう」

誰が言い出したのか、とにかくこれは二ヶ月も前からの決定事項だった。
社会人になって五年、多忙の度合いは年月を追うごとにレベルアップしていて、昔のように全員で集まるというのはなかなか難しくなっていた。
だからこそ、クリスマスくらいはみんなで大騒ぎするのもいいかもしれないと、きっと誰もが思ったのだろう。
総二郎と類はスケジュールを空けたと言っていたし、ニューヨークにいる司も帰ってくるという――ということは、言いだしたのは司なのか?――。
もちろん俺も、スケジュール調整は万全だった。
イヴの一週間前までは。

突然、ロンドンへ行かなければならない事態に陥った。
ロンドンにある美作の会社でトラブルが起きたのだ。
このトラブルばかりは、他の人間に任せておくことはできない。親父か俺かが行かなければならないとすぐに悟った俺は、迷わずロンドンに飛んだ。
早く行けば、早く帰ってくることが出来る。
イヴのパーティーにはきっと間に合うだろうと予測を立てて。

ところが、なかなか物事は思い通りにいかないもので、現地に入ってみれば日本で聞いていた以上に状況は悪かった。
様々な手段を講じてはいたものの、これといった成果も出ないまま、一日、二日と時間ばかりが経っていく。
どうしたものかと頭を抱えた。
けれどやるしかないのだ、そうしなければいつまでも終わらない。
思い直した俺は、寝る間も惜しんで事態の収拾に駆けずり回った。
ようやく目処が立ち、ほっと一息つけた時には、すでにイヴ当日になっていた。
それも、ロンドン時間の。


( 間に合わない。最悪だ――。 )

全身の力が抜けた。
俺はひどく疲れていたが――そりゃそうだ、ここ数日まともに眠っていない――、どうあがいてもパーティーに間に合わないという事実が、余計に俺を疲れさせた。
しばらく座った椅子から動くこともできない。
周りの連中が、トラブルがすべて片付いたという安堵感と、クリスマス気分で湧き上がっている中、俺一人だけが暗い顔で頭を抱えていた。
「大丈夫ですか?」と声をかけられて、ようやく頭をあげると、秘書が心配そうに見ていた。

「まだ何か問題がありましたか? もうこれで大丈夫かと思われますが」
「いや、トラブルは完璧に片づけた。完璧にダメになったのは、俺のプライベート」

思わず言ってしまったその言葉に、秘書は一瞬眉間に皺を寄せ、それからすぐに何かを察したように頷いた。

「すぐに飛行機の手配を致します」

そうだ、とにかく日本へ帰らなければ。ここにいても、何も始まらない。
その想いだけで、俺は動き出した。
急いで会社を出て空港へ向かい、日本行きの飛行機に飛び乗った。


出発前に、さんざん電話をしてきていた仲間達に連絡を取ることにした。
パーティー中であろう総二郎に電話をすると、3コールで繋がった。

『やっと連絡ついた。あきら、今どこだよ』
「悪い、総二郎。まだロンドンだ」
『・・・はあ!? もしかして、まだ片付いてないのか?』
「いや、ようやく片付いた。これから日本に帰るところだ」
『マジで? ずいぶん手間取ったな』
「ああ、まいった。ずっと連絡できなくて悪かった」
『それはいいけど……じゃあ、今日は無理だよな』
「ほんと、悪い」
『ったく、こんな時に』

( それは、俺が一番思ってるさ )

電話の向こうから、酔っ払っているらしい滋の大声と、それを宥めている桜子の声、それから、なんだか怒鳴り散らすような司の声が漏れ聞こえてきて、なんだかその楽しそうな様子に、ほんのちょっとだけ切なくなった。

『まあ、仕方ねえよな。気をつけて帰ってこいよ』
「ああ、サンキュー」
『牧野がえらく心配してたぞ。おまえがもう何日も寝てないみたいだって』

牧野と付き合いだしたのは、夏の始めのことだった。
司と牧野の関係が終わったのは、牧野が大学を卒業した直後だった。
約束の四年を過ぎても一向に戻る目処の立たない司と、これから社会人になる牧野。
司は牧野に「ニューヨークへ来い」と言い、牧野はそれを断った。
そして二人は別れの道を選んだ。
五年という歳月の中で、会った回数は片手に収まるほどしかなく、最後の一年は電話やメールさえもほとんどなくなっていた。
それでもお互い想い合っていることに間違いはなかったし、別れた直後の落ち込み様といったら凄まじく、ずいぶん心配もしたけれど、少しずつ笑顔を取り戻していった牧野は、いつしか当たり前に俺の隣にいた。
俺も牧野も、その事実を事実のまま受け止めて、付き合いだした。

『牧野には、もう電話いれたのか?』
「いや、まだだ。あいつ、そういう場では携帯身につけてないだろ?」
『今日は珍しくしっかり持ってるよ。おまえからの連絡待ってんじゃねえの? 待ってろ、このまま代わるから』

「牧野!ちょっと来い!」という総二郎の声の後、ぱたぱたと足音が聞こえた。

『もしもし』

聞こえてきたその声に、なぜか感動にも似た想いがあふれた。
ここ数日、メールだけはなんとか送っていたが、電話することは出来なかった。
だから、牧野の声を聞くのは数日ぶり――ほんの数日なのだが、その数日が考えられないくらい長かったものだから、ものすごく久しぶりに声を聞く気がした。

『もしもし? 美作さん、聞こえてる?』
「ああ、ごめん。ちゃんと聞こえてる」
『良かった。今どこ?』
「ごめん、まだロンドンなんだ。これから日本に帰るところ」
『そっかぁ。大変だったんだね。身体大丈夫? 寝てないんでしょ?』
「ああ、寝てないな。帰りの飛行機でたっぷり寝るよ」
『うん。でも終わって良かったね。お疲れ様でした、美作さん』

牧野の言葉が、骨身にしみる。
それと同時に、罪悪感が湧き上がった。

「牧野」
『なあに?』
「ごめんな」
『なにが? なんで謝るの?』
「今日、クリスマスイヴだからさ」
『だから?』
「一緒にいれなくて、ごめんな」
『……やだなあ、美作さん。そんなの、謝ることでもなんでもないよ』

牧野は、ケタケタと笑った。
けれど、つき合い出して初めてのクリスマス・イヴだった。
みんなでパーティー開いて大騒ぎして、でもその後は二人で、特別な夜にするつもりだった。
それなのに。

「でもさ――」
『もしこのパーティーがなかったら、あたしはきっとケーキ販売のバイト入れてたよ? ケーキが売り切れるまで目一杯。そしたら、やっぱり一緒には過ごせなかったかもしれないじゃない? だから同じだよ』

だから、謝ったりしないで。
小さく聞こえたその声に、救われる気持ちと、申し訳ない気持ちと、同じ量だけ込み上げた。
たしかに牧野は、社会人になってからも、クリスマスになると決まってケーキ販売のアルバイトをしていた。会社には内緒だと言って。
けれど今年は最初からバイトは入れていない。
俺はそれを知っていた。
だからそれは、俺に対する牧野の思いやり以外の何物でもない。
それがわかるから、余計に想いが込み上げた。

( 帰ったら、一緒に過ごそう )

そんな言葉が喉まで出かかったけれど、ぐっと飲み込んだ。
牧野とは、不確実な約束はしたくない。
ダメだった時に悲しませてしまうから。
牧野はそれを決して責めようとしないから、だから余計に悲しませたくない。

「牧野」
『ん?』
「メリークリスマス」
『……うん。メリークリスマス』
「愛してる、牧野」
『……』

告げた愛に返事はかえってこないけれど、電話の向こうで真っ赤な顔して立ち尽くす牧野が浮かんで、思わず笑みがこぼれた。
じゃあな、と告げて電話を切る頃、俺の疲れは少しだけ吹き飛んでいた。




良くも悪くも、機上は平和そのもので、時間はゆるりと過ぎていく。
ここ数日の慌ただしさが嘘のようだった。

( 日本へ着いたら、何はともあれ牧野に会いにいこう。会社への報告は、その後だ。とにかく牧野のもとへ…… )

俺はいつしか、深い眠りへ落ちていった。






日本に着いたのは、あと数時間でクリスマスも終わる頃だった。

「おかえりなさい!お疲れ様でした」

到着ロビーに出るとすぐに声をかけてきたのは、うちの社員だった。
正直、社員が迎えに来るなどとは予想もしていなかったから、かなり驚いた。
すぐ後ろを歩いていた秘書の顔を見ると、やっぱり予期せぬことだったようで、俺と同じような顔をしている。
なんとなく嫌な予感がした。こういう予感はあまり外れたことがない。

「わざわざ迎えに来てくれたのか?」
「はい。一度社にお戻りいただきたく、お迎えにあがりました」

( ほらな。予感的中。 )

俺は露骨に嫌な顔をした、と思う。
社員の顔から笑顔が消え、驚きの表情が浮かんだ。
普段、仕事の関係者――社員も含め――には、どんな事態に直面しても極力平常心で、冷静ににこやかに接するように心掛けている俺にしては、かなりあからさまな態度。
きっとこんな俺は初めて見たのだろう、その驚きは相当大きかったようで、困惑している様子だった。

この社員には、何の罪も落度もない。
むしろ、クリスマスの夜に空港で俺の到着をただひたすら待つということを押し付けられたのかと思うと――うちの会社には、一応クリスマス休暇があるのだから、一緒に過ごす約束をした人がいたかもしれない――、仕事とはいえ気の毒で申し訳ない気持ちにさえなる。
けれど今の俺にはそれを気遣う余裕がなかった。
ここ数日のトラブル処理とロンドンからの長時間フライトによって疲弊していて、それを「牧野に会いたい」という想いだけでなんとか平静を保っていたのだから。

別に仕事をしないなんて言ってるわけじゃない。
クリスマス休暇を取れなかったからといって文句を言うつもりもない。

( でも、ほんの数時間でいいから――この際、一時間でもいい――、愛する女に会って愛をささやく時間くらいあったっていいんじゃないのか? )

誰にもぶつけられない言葉が頭の中を占拠して、今にも爆発しそうだった。
秘書は、そんな俺の苛立ちを察したのだろう。
目の前で固まってしまっている社員に言った。

「それは、どうしても今日じゃないと駄目なものですか? 出張帰りでお疲れです。しかも今回の渡英はかなりハードでしたから」
「いや、あの、私も詳細はあまり……」
「では、私のほうで一度内容を確かめさせていただきますので――」

譲るべきは、俺の個人的事情、だ。

「いいよ。会社へ戻ろう」
「え、ですが――」
「どうしようもないだろ? ここへ社員を張り込ませてまで俺を掴まえようとしたってことは、余程のことだろう。会社に戻って内容を確かめる。それで後に回せるようならそうするし、そうじゃなければその場で片づけるのみだ」
「……よろしいのですか?」
「良いも悪いもないだろ。そのかわり、そのあと一日、いや、半日でもいいから休みを組んでくれ。身体が……いや、精神的に持ちそうもない」
「かしこまりました」

今すぐ牧野に会いに行くなどという考えは捨てよう。
まずは日本に着いたことを連絡して、仕事が終わったら家に行くと伝えよう。
そう決めて、歩きながら携帯電話を取り出した。
その時だった。

「美作さん!」

聞き間違えることはないだろう、今一番聞きたかった声が耳に飛び込んできた。

( まさか。)

聞き間違えることはないだろうと思っていても今の自分の耳は明らかに疑わしい気がして、半信半疑で声のほうを見る。

「美作さん。おかえりなさい」

そこには、間違いなくその声の持ち主、牧野つくしが立っていた。
満面の笑みで。

(なんで、ここに……?)

牧野を見詰めたまま呆然と立ち尽くす俺に、牧野はスキップするような軽い足取りで近づいてきた。

「びっくりした? なんで、ここにいるんだ、って思った??」
「ああ、すげぇびっくりしてる」
「昨日、電話で話したら、なんだかどうしても迎えに行きたくなっちゃって、美作さんのお母さんにお願いして調べてもらったの。絶対美作さん驚くだろうと思って、ちょっとわくわくしちゃった」

楽しそうに笑う牧野に、ああ、牧野だ。と、実感が湧いてきた。
喜びがじわじわと広がっていく。

「ここまでどうやって来たんだ?」
「美作さんの家の車」
「おふくろに乗っていけって言われた?」
「そう。いいって言ったんだけど、どうしてもって」

わずかに眉間に皺を寄せ、断りきれなかった、と呟く牧野。

「でも、すごい人だね。見つけられないか、迷子になるか、結末はこの二つのどちらかになるんじゃないかって、心配しちゃった」

良かった、会えて――。

微笑む牧野を見つめていたら、どこかへ消えたい衝動に駆られた。
けれど、視界の端に捉えていた社員と秘書の姿に、そうはいかない現実を思い知らされた。

「牧野、せっかく来てくれたのに悪いんだけど、これから会社に戻らなきゃいけないんだ」
「うん、知ってるよ」
「え?」
「美作さんのお母さん、会社に電話して到着時刻を調べてくれたから、その時にそのこと聞いたよ」
「知ってて迎えに来てくれたのか?」
「うん」

それでも迎えに来たかったの――。

悲しみや苛立ちを吹き飛ばすのは、簡単だった。
小さな声で、少しだけ照れたように笑う牧野が愛しくてたまらない。

「迎えに来たら、待ってるよりも早く会えるでしょ?」

頬を染めながら、それでも嬉しい言葉をくれるおまえがいるから。

「今日ね! すっごく大きなクリスマスツリー発見しちゃった! どんなに見上げても一番上が見えないの! どうやったらあのてっぺんを見ることができるかなあ」

キラキラ光る笑みをくれるおまえが隣にいてくれるから。
きゃいきゃいはしゃいで、

「美作さん、仕事が終わったら一緒に見にいかない? きっと元気がでるよ」

きちんと俺に気付いてくれる。
そんなところが、すごく好きだよ。

「よし、じゃあ仕事が終わったら見に行こう。で、どこにあるんだ?」
「ぶくく。近くにきれいな薔薇とね、可愛い可愛いうさぎちゃん達がいる、おとぎ話の中みたいなところ」
「……まさか、うち!?」
「あはははは! 大正解」

大口あけて笑うところも、そっと腕に触れる俺を気遣う優しい手も、ほんのちょっとだけ心配を滲ませて微笑む瞳も。

「すごいんだよー。絵夢ちゃん芽夢ちゃん大興奮!」
「だろうな」
「だから、美作さんも一緒に見よう? みんな、待ってる」

優しい優しいその声も。
みんなみんな……大好きだよ。


俺達の様子をひたすら黙って見ていた秘書たちに向かって、俺は言う。

「急いで会社へ戻るぞ」

先ほどの諦めにも似た感情とは、まったく違う心持ちで。
もはや驚愕の表情でじっと見つめられていたけれど、そんなことは気にならなかった。



俺達のクリスマスは、まだ終わっちゃいない。
今から始まるんだ。




「ところで、みんなって誰が待ってるんだよ?」
「今日もみんなでパーティーやってるんだよ。やっぱり美作さんもいて、全員揃ってやらなきゃつまらないって」
「もしや、俺の家でやってるとか?」
「そのとおり!」
「マジかよ!?」
「だからね、帰ったら、飲んではしゃいで大騒ぎして。それでね、それでね。日付が変わってみんなが酔って眠ったら、こっそりあたしを連れ出して」
「日付が変わったら?」
「うん。日本中の人がクリスマスを終えた二十六日に、あたしたちのクリスマスをお祝いしよう。大きなクリスマスツリーは、あたしたちだけのものよ」

Fin.
2008.12.27 クリスマスが終わったら
  After Word ―二人の時間はすぐそこに―
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