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ここから始まる未来の僕へ
CLAP STORY (COLORFUL LOVE -Extra Story- view of HIRANO)
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「いや、すごくお忙しそうなので会う時間を確保するのも大変なんじゃないかと思いまして。すみません。余計なことですよね」
「いえ。ご心配ありがとうございます。たしかになかなか時間が取れないんですが、同棲はしてません。関係を公にする段取りが整った後でないと噂が先行してしまう恐れがありましたので。それに、多分今はまだ牧野が同棲を望みませんから」
「そう、なんですか?」
「ええ。と言っても直接訊いたわけじゃありませんけど。でも、わかるんです。俺と牧野は理性と感情のバランスが似てるので。なんていうか、融通が利かないんです、そういう部分において」

 一緒にいたいと思う気持ちがあったとしても、全てのことを置き去りにしてその感情の赴くままに行動に移すことは出来ない。
 理性と感情のバランスとは、きっとそういうことだろうと思う。
 それは、俺にとってほんの少し意外なことだった。牧野さんはともかく、美作専務は誰よりも柔軟で器用な印象があったから。
 けれどそれは彼を深く知らないからであって、知れば逆にいかにも彼らしい部分と思えることなのかもしれない。

「でも、海外出張などは別として、普段は行き来できる距離で仕事してますから、お互いが安定した精神状態であれば、然程問題はないんです。深夜でも早朝でも会うことは可能ですから」

「なんて、思ってるのは私だけで、彼女は相当我慢を強いられてるって言うかもしれません」とサラリと笑顔で言う美作専務は、牧野さんがそんな風に思っていないことをきちんと知っていて、彼女との理解度や信頼度が、俺のそれとは全然違うように思えた。
 元々の出会い方だったり、関係の深め方だったり、そういったものも関係するのかもしれないし、共にする時間の過ごし方でも変わるのかもしれない。それにしても、こうも大きく差が出るには何か理由があるはずで、その理由の一端は俺の不甲斐なさであることは間違いないのだけれど、それでもそれ以上の具体的な答えに辿り着けてはいない。
 終わってしまった恋愛に執着して答えを導き出したところで、過去をやり直せるわけではない。去っていった香奈美が戻ってくるわけでもない。
 それでもぐるぐると考えてしまう俺は、その手を放してしまった事実を上手く受け止められていないのだと思う。
「具体的にはどんなふうに時間を作っていたんですか?」
「電話やメールの回数は?」
「すれ違った時にはどうやって修復を?」
 細かく訊きたい気持ちが後から後から湧きあがって募るのは、立ち上がるきっかけが欲しいからだろうか。
 無意識なところで俺の心がもがいている。
 想いは廻る。俺自身の苦々しい過去の時間を巻き込みながら。
 けれどそれを今ここでぶつけるのは、きっと違う。
 俺は再びスケジュールに視線を落とした。
 今は牧野さんの仕事のことをきちんと考えないと。そのために専務はここに居るんだから。

「余計なことを聞きました。すみません」
「気にしないでください。それより、どうですか? このスケジュールだと仕事に影響が出てしまいますか?」
「そうですね、まったく影響なしとは言えません。牧野さんにはそれなりの仕事量をこなしてもらっていますので」
「一応お断りしておきますが、中に夕方からの予定がたくさんあると思うのですが、それはほとんどが数時間の早退で済むものです」
「パーティーか何かですか?」
「そうです」
「これまでも、牧野さんと一緒にパーティーに?」
「ええ。一ヶ月に一回程度、まあ多い時は複数回ありましたか」
「ということは、牧野さんが取っていた休みや早退は――」
「ほとんどがその為ですね」
「そうでしたか。あー、それで先日のパーティーでもあんな慣れた振舞いが出来たんですね?」
「ああ……そうです。回数重ねてますから」

 パーティーでの振舞いが完璧だったのは、英徳出身だったから、という理由で納得していたのだが、専務のパートナーとして様々なパーティーに出席していたからだと言われたら、その方がずっとずっと納得出来た。そしてドレスを自分で用意出来たのも、そういうことからだろう。
 敢えて口にはしなかったが、ドレスを纏った牧野さんは、あの日そこにいる誰よりも美しく見えた。最初に見た時、誰だろうと一瞬考えてしまったくらい――隣に木下さんがいることで、牧野さんだとわかったのだけれど――普段とはまるで違うオーラを放っていた。本人がどんな意識でいたかは知らないけれど、彼女を見た部署内の人間は誰もがそう感じたと思う。
「とても素敵なドレスね」なんて女性社員達は言っていたけれど、間違いなく彼女自身がとても綺麗だった。少なくとも男性社員は見惚れたはずだ。――俺も、例外ではなかったのだから。

「パーティーに関してはスケジュールはかなり流動的です。数そのものの増減もありますし、出欠の判断もその時々で変わるので。その辺は、彼女の抱える仕事の状況も加味して対応出来ると思います。それを踏まえて検討していただきたいと思っています。返答は急ぎませんから」

 頷きながらスケジュールを見る。
 ざっと見ただけではあるが、ここにさらにプラスされていくことを考えると、休みや早退が倍近くになるのは間違いないように思えた。この中で今までと同じだけの仕事をこなそうと思ったら、仕事のペースを上げたり、早出や残業をする必要性が出てくるだろう。それでも牧野さんは一度決めたらきっとやり切るだろうから、そこはあまり心配ない気がする。
 それよりも、今まで誰も不自然に思わなかった休みや早退が、倍になった場合に周囲がどう思うか、それが少し心配ではある。でも基本的には仕事が上手く回れば問題はないから、「早出と残業の調整」ということでなんとかなるだろう。これを機にフレックスタイム制の導入を考えるという手もあるかもしれない。
 そう考えていくと、このまま仕事を続けていくことも決して無理ではないように思えた。

「仕事の割り振りの調整はもちろんですが、他にもいろいろ検討する必要がありそうです。それと、春から新しい事業が加わるようなので、それがどの程度の割合を占めるようになるのか、その辺の検討もあわせて必要になります。なので最終的な返答はもう少し時間を下さい」
「もちろんです」
「それと、この事情を彼女の直属の上司である課長の佐々木に話す必要があります。出来れば、すぐにでも話して相談をしたいと思うのですが」

 俺がそこまで言った時、隣に座っていた社長が大きく反応して口を開いた。

「他言無用とのことでしたが、結婚後はどうなりますか? 牧野さんの名前が変わったら、さすがに周囲の人間は気づきますよ」

 専務は小さく頷いて、「それについてですが」と話を始めた。

「他言無用とは言いましたが、吉田社長と平野部長以外の誰の耳にも入れずに、というのが無理だと言う事は百も承知しています。彼女の直属の上司ともなれば、むしろ知っておいていただいた方がいいとも思っています。仕事の継続が可能となった場合には、更に話す必要のある人間が増えるでしょう。それも承知しています。ただ、どこまでその範囲を広げるかと言う事が難しいところなのですが」

 専務はそこで一度言葉を切り、頭の中で考えを整理するように一呼吸置いて、再び話し出した。

「私は彼女を、結婚後も『牧野つくし』のままで働かせたいと考えています」
「え、それは――」
「こちらの社内において、結婚の事実を公表しないということです」

 その発言には、俺も社長も少々驚き、言葉なく専務の顔を見つめた。

「私の婚約や結婚は、さすがに公表しないわけにはいきません。もちろん、婚約披露パーティーや挙式や結婚披露宴なども、やらないわけにはいきません。挙式は親族と近しい人間とだけで行うつもりでいますが、他は大々的なものになりますので、必然的に彼女は大勢の人間の前に立つことになります。顔と名前は知れ渡るでしょう。けれどそれは、招待客限定です。例えばロサードなら、招待させていただくのは吉田社長お一人だと思います。万人に向けて顔や名前を公表することはしませんので、こちらの社員にも、私の婚約結婚以上の情報は入ってこないかと思います」

 もちろん、絶対に広まらない保証はどこにもない。美作商事の後継者の婚約結婚ともなればマスコミだって動くかもしれないし、漏れ広がる可能性は無限にあると言ってもいい。それでも出来得る限りありとあらゆる手を打つつもりだと、美作専務は言った。
 たしかに、全てが上手くいったなら、牧野さんは結婚の事実そのものを伏せた形で働くことが出来る。牧野つくしとして、何ら変わることなく。
 社長は深く頷いた。

「たしかに、そうする必要があるかもしれませんね。知れたら間違いなく大騒ぎになりますし。瞬間的な騒ぎでおさまってくれればいいですが、その保証もありませんよね」

 いつまでも周囲が落ち着かなければ、牧野さん自身も今まで通りとはいかなくなる。仕事そのものもそうだが、精神的にも、周囲に迷惑をかけるようで心苦しくなっていくだろう。
 そうなることを避けるためにも、公表しないと言う手立てを取らざるを得ないのかもしれないと、俺も納得して頷いた。
 美作専務は、ふっと表情を緩めた。

「本心を言えば、公表したいんですよ。当たり前のことですが、私にとって彼女との結婚は心から望むことです。ですから多くの人に知ってもらいたい。でもそれは、彼女がここで働くことを希望する以上とても難しい。それを実現すること自体が実は容易ではありません。現実問題としても、私自身の気持ちの上でも」
「専務の気持ちの上でも、ですか?」
「私はそれが、どれほど異例で危険を伴う事かを知ってますから」

 一見穏やかに見える表情だけれど、その瞳は鋭く光っていて、専務の言葉の重みが伝わってきた。
 専務はここまで、牧野さんの希望をサラリと飲んだような雰囲気を漂わせている。けれど実はそうではなかったのだと、その言葉と表情で感じた。

 ――それでもどうにかしてあげようとするのは、何故?

 疑問を口にする前に、専務が答えを紡ぐ。

「それでも、私は彼女の望みを叶えてあげたいんです」
「牧野さんの望み、ですか」

 社長の言葉に、専務は深く頷いた。

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2011.03.29 ここから始まる未来の僕へ
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