01 / 02 / 03
雨色に滲む
COLORFUL LOVE view of AKIRA
3

「今まで言わなかったことは謝る。悪かった。でもこの気持ちは譲らないし曲げないと決めた。俺は牧野に惚れてる。心底。」

司は俺をじっとじっと見つめて、それからふっと小さく笑った。

「俺もだ。今でも変わらず、牧野に惚れてる。あいつなら一緒に歩いていける。今でもそう思ってる」
「……」
「どこですれ違っちまったのか。あいつと別れてからずっと考えていた。連絡しなかったのは悪かったけど、俺にはどうしようもなかった。あいつなら、わかってくれると信じてた」
「……司、」
「どんなに時間がかかっても、俺はあいつの元へときちんと帰る。あいつはそれを理解して待っててくれると思ってた。俺と生きることは、この世界を知らないあいつにはひどく負担になるってことも自覚してる。でも、あいつならきっと俺についてこれる。あいつじゃないと無理だ。あいつほど強い女は他にいないから。だから、俺には牧野が必要なんだ。あいつじゃなきゃダメなんだ」

司の真っ直ぐな気持ちは、俺にきちんと届いた。
どれだけ想っているか、どれだけ望んでいるか。

「司、おまえの気持ちはわかるよ。……でも、」
「でも?」
「やっぱりわかってないよ」
「わかってない?」

怪訝そうに眉を寄せる司に、俺は黙って頷いた。
頭の芯がぐらりと揺れた。

「牧野はな、司が思ってるほど強くなんてないよ。牧野は……――」

言いたいことは、山のようにあった。
司が牧野にどれだけ愛されていたか、どれだけ想われていたか、どれだけ必要とされていたか。
本当は強くなんてない、本当に普通の――もしかしたら、弱いくらいかもしれない普通の女なのに、それでも司が大切だったから頑張っていたということ。
強く生きていくしかなかったから、必死に強くあろうとしていたこと。
司と別れた後の牧野を、俺は誰よりも傍で見てきたから。

牧野自身も、その想いも。笑顔も、涙も。

だから、言ってやりたかった。
この自分勝手な男に。
不器用で真っ直ぐで――何もかもを手に入れても、一人の女しか愛せないこの男に。
俺が牧野を想う心が痛もうとも、どんなに自分に辛く響こうとも、それは牧野の――俺が大切にしたい牧野の想いに違いないから。
受け止められずとも、なかったことにはしたくないから。

けれど、結局俺はそれ以上言えなかった。
どこまで言ったのかわからない。
言おうとした途中で目の前が歪んで暗くなり、俺は膝から崩れ落ちた。

「あきら?おい!あき……――」

遠くなる意識の片隅で、俺の名を呼ぶ司の声が聞こえる。
大丈夫だ、と言おうとするのに声は出ず、閉じた瞼の裏の世界もぐるぐると回るようだった。


そして俺はそのまま、意識を手放した。







俺は夢を見ていた。
見たこともない景色の中で、俺の隣には牧野がいて。
ただ、コロコロと楽しそうに笑っていた。
ずっとずっと、笑っていた。
俺は嬉しくて、ただそれを見ていた。
言葉に出来ない幸福感が、俺を満たす。
ずっとこの時間が続けばいい。
ずっとずっと、俺の隣で笑っていたらいい。
強く、それだけを思った。

「美作さん」

俺の名を呼ぶその声に、俺は心の中で語りかける。

――牧野。
俺の気持ちを押し留めておくことは、もう限界なのかもしれない。
次におまえと目が合ったなら。
おまえが俺をじっと見つめたなら。
俺はきっと、この想いを伝えてしまうだろう。
何を考えるよりも、先に。
何を思うよりも、先に。

「――………、」

海底から水面に浮かび上がるような、意識がゆっくりと戻る感覚に、だるくて重い瞼を持ち上げる。
はっきりしない視界にぼんやり浮かんだのは、愛しい人の顔だった。

( 夢の続き……? )

夢か現実か、その境目がわからなくて、もう一度瞼を閉じようとした時、その声が飛び込んできた。

「――さん。……美作さん。」
「……牧野……?」

間違えるはずなどないその声を、それでも確かめずにいられなくて、俺は瞬きを繰り返す。
徐々に鮮明になる視界に、ようやくその姿をはっきり捉えた。

「……良かった。気がついたんだね」

心の底から安堵している様が伝わるその表情と声に、俺はどんな顔をしているだろう。
これは夢の中ではないはずだ。
だとしたら、確かめなければならないことがたくさんある。
どうしてここに牧野がいるのか。
俺はいったいどうしたというのか。
それらが頭を支配するのに、胸の中は、ほんのり甘くて僅かに痛い想いでいっぱいで。

「気分はどう?大丈夫?」

美作さん、倒れたんだよ。風邪だから心配いらないって言ってたけど、熱がすごく高かったから……――
瞳に心配の色を滲ませて優しい声で状況を説明してくれる牧野を、俺はじっと見つめていた。
気遣いの見える柔らかな声でたくさんの言葉が降ってくるけれど、そのどれにも反応出来なくて、言葉を返すことも出来ない。
熱で頭がぼんやりとしてるから、――いや、そうじゃない。
俺の中に渦巻く大きな大きな感情が、俺の全てを支配してしまっているから。
それを抑え込むのに必死になるしかなかった。
それでも、抑え込める自信は微塵もないのだけれど。
頷くこともなく黙って見つめ返してるだけの俺に、牧野がふと言葉を止めた。
じっと俺を見て、不安そうに瞳を揺らす。

「美作さん?気分、悪い?」

そんなことはない――それだけの言葉がどうやっても出て来なくて、手をそっと差し出す。
牧野は一瞬驚いた表情をして、じっと俺の手を見つめていたが、おずおずと自分の手を重ねてくれた。
あまりにもひんやりとしたその手に、思わず声が出た。

「冷たいな。寒いか?」
「……バカね。美作さんの手が熱すぎるのよ」

優しく笑った牧野が、なぜか泣き出しそうに見えた。

「どうした?」
「ううん。声、掠れちゃってるね。お水もらってくるね」

どうした、への答えはない。
変わりに俺を気遣う言葉を告げて、椅子から立ち上がると同時に放れていこうとするその手を、俺はぎゅっと握りしめる。

( ……いい。今はいらない。 )

声になって届いたかはわからない。
小さく首を振ると、牧野はこくりと頷いて、もう一度椅子に座った。
手は、握られたままで。
俺が力を抜いても、その手が離れることはなかった。
やっぱり泣きそうな顔で、先ほどよりも力を込めて握り返してくる牧野の手。
なぜそんな顔をするのか、なぜ手を握っていてくれるのか――いや、本当は、心の奥でわかっている。

( ……もう、余計な答えを探すのは、やめよう。 )

現実は、現実のままに。
真実は、真実のままに。



――牧野。
俺が今ここで、想いを告げたなら。
おまえは、どんな顔をする?
俺達には、どんな明日が待ってる?
雨に滲んだ昨日とは、違う色が見えるかな。

――もう、本当は、そんなことも考えられずにいるよ。

Fin.
PREV / After Word ―二人の世界の始まりに。
2010.01 雨色に滲む
inserted by FC2 system