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この先にあるのは同じ空色
COLORFUL LOVE
6
 パーティーは、実に華やかに、和やかに進んでいた。
 あちこちで楽しげな笑い声があがり、誰もがリラックスしたにこやかな表情を浮かべている。
 少々堅苦しい格好で堅苦しい場所でやっている割には、その内容に堅苦しい事など一切なく、どこへ動いて誰と何を話しても良かったし、自由に食べて自由に飲んで良かった。「ドレスコードがあるのは、普段出来ないような格好をすることもまた楽しいのではないかという演出のひとつなんです」とつくし達の元へ挨拶に来た本社の社員が語っていた。
 必然なのか偶然なのか、本社の男性社員はイケメン揃いで、つくしの周囲は――同僚も先輩社員も、彼氏が欲しくてたまらない人達は特に――その話題で持ち切りだった。

「あー……どうしてこうもカッコいい人ばかりなのかしら」
「言える。ハズレがないよ」
「本社との合コンとかないかしらね」
「セッティングしてくれる人いないかしら」
「……コホン。女性のみなさん、俺達男性社員の存在忘れてませんか?」
「忘れてました」
「……ひどすぎる」

 緊張が解けた社員達は、他愛もない話で盛り上がり、軽口を叩いて笑い合った。
 そんな中、つくしは一人、浮かない心を抱えていた。

 あきらの登場以降、すべてのことが薄いベールの向こう側の出来事のような感覚に陥り、何もかもがぼんやりとしていた。
 社長、専務と続けて壇上で挨拶があったが、その間もつくしはひたすら俯いて、一度も顔を上げなかった。
 目の前には文句なく美味しいであろう料理が山のようにあるけれど、何一つ食べる気になれず、渡される飲み物も――ワインやシャンパンといったアルコール類はもちろん、オレンジジュースのようなソフトドリンクに至るまで、どれも普段つくし達が飲んでいる物とはケタが違う高級な物ばかりだとわかっているのだが――あまり飲む気にならなかった。
 ――なんであたしはここに居るんだろう。
 ずっと、そんなことばかりをぼんやり思っていた。

 ただ、上司や同僚の手前、落ち込んだ顔をしているわけにもいかず、顔に笑みを貼り付け続けた。
 目の前に現れた人とは流れ作業的に挨拶を交わした。まったくと言っていいほど相手のことは覚えていないけれど、失礼がないように、余計なことを言わないように、そつなくこなした。
 だが、おそらく相手は、完璧なつくしの所作に驚き、好印象を持ったことだろう。

「つくし、やっぱり凄いなあ」
「え? 何が?」

 隣で同じように挨拶を繰り返していた美穂が、つくしに向かって呟いた。
 全く意味のわからないつくしが首を傾げると、美穂は少々大袈裟に、はああ、とため息を吐いた。

「挨拶の仕方とか、話し方とか……あと、飲み物の受け取り方とか、なんか、すっごく慣れてて落ち着いてて、カッコいい」
「そんなことないよ」
「あるある。つくしは無意識かもしれないけど、パーティー慣れしてるんだなって、なんか感心しちゃった」

 さすがねえ、と笑った美穂に、つくしは戸惑った。けれど大いに否定するだけのパワーはなく、なんとなく笑みを浮かべた。
 それは美穂の言う通り、無意識なものだった。おそらく、あきらに連れられて場数を踏んだことで、自然と身についていたのだろう。
 もっと場馴れしていない空気を出しておかなければ、何故こういう場に慣れているのだろうと、美穂以外の人間に疑問を抱かせるかもしれない。
 けれど、思うだけで今はそんなことに気を配れる状態ではなかった。
 少しでも気を緩めれば、あきらと、そして彼に寄り添う女性へと意識を持っていかれる。そんな自分を必死に抑え込むだけで精一杯だったのだから。

 そんな中、会場へ入ってすぐにどこかへ消えてそれきり姿を見せずにいた社長の吉田が、美作社長、つまりはあきらの父親と、もうひとり、恰幅のいい男性――大木です、と掠れたダミ声で挨拶したこの男性は、美作グループの中でも相当力のある会社社長だと、後から平野が教えてくれた――と共に姿を現した。「こちらから挨拶に伺わなければいけなかったのに」とひたすら恐縮する平野に、あきらの父親は、気にすることはないと笑った。

「突然招待してしまって、無理をさせて申し訳なかったと謝るのは私のほうです。それでもこうして揃って来ていただいて、平野部長も、社員のみんなも、本当にありがとう」

 微笑んだ美作社長は、こんな大きなグループのトップに立っている人間とは思えないほど穏やかで柔らかで、けれどやはりトップに立つ人間なのだと思わせる凛とした佇まいを持ち合わせた人物だった。
 ――美作さんに、良く似てる……。
 壇上に立つ姿をちらりと見た時もそう思ったのだが、間近で見てますますその思いを強くした。
 思った途端に胸が苦しくなったつくしは、思わず目を伏せる。
 目の前では、和やかな会話が繰り広げられ、つくしも口の端を緩やかに上げて笑顔こそ保っていたが、あきらの父親の目を真っ直ぐにみつめることは出来なかった。

 やがて話に一区切りがつき、そろそろ次のところへ挨拶に向かうだろうと思われた時、思わぬ話がつくしの耳にダイレクトに飛び込んできた。

「そういえば、美作専務がエスコートされていた女性は、大木社長のお嬢さんですよね?」
「ん? ああ。そうです」

 つくしは思わず顔を上げた。
 問いかけたのはつくしの会社の社長の吉田で、それに対して、これでもかというほど表情を緩めた大木の顔が目に入った。

「驚きましたよ。前から綺麗なお嬢さんだとは思っていましたが、ここまで美人だったとは。最初、どこかのモデルさんかと思いました」
「そんな大袈裟な。着飾ってるからですよ。見た目だけです。こうした正装での振舞いは、学ぶだけでなく実践を繰り返してこそ身につくものだから、出来るだけこういった場に参加するようにと言っているんですが、まだまだなようです。エスコートして下さったあきらくんに随分助けられていたようだ。……おっと、あきらくんなんて、専務に対して失礼ですね」

 大木は「学生の頃から知ってるものだからつい、」と自分の言葉のフォローをして、がはは、と笑った。さりげなくあきらとの関係を自慢したのだということを、その場にいる全員が感じた。
 当時高校生だったあきらが、美作社長に連れられて自分の会社の見学に来たことや、経営のノウハウについて訊かれて何時間も語ったこと。大学生になってからは、海外にある関連会社の視察に同行したこともあるし、自宅に招いたこともある。
 大木の話はどこまでも続き、周囲はただ頷いて聞いているしかなかった。
 そしていつしか話は、あきらと自分の娘のことへと発展した。

「私の娘は、以前から私の秘書見習いのようなことをしていましてね。美作専務とも顔を合わせることが多かったんですよ。それこそ、私があきらくんと呼んでいた頃から顔見知りですからね。こうした場でのエスコートは、する方もされる方も緊張するものですが、娘は割合リラックスした表情をしていたようです。美作専務のエスコートは実にスマートで素晴らしい。さすが美作社長。しっかり教育されている」
「いえ。まだまだ一人前には程遠いですよ」
「そんなことはありませんよ。もう十分立派です。私は娘が成人した頃から、娘の結婚相手について考えていて、前々から、美作専務のような立派な男をと思っていたんです。しかしなかなか彼のような男はおりません。……いやあ、探す必要なんてなかったんですよ。私としたことが彼のような男を探すことに躍起になって、彼自身への可能性を見落としていました。こうして並んでる姿を見るとなかなかお似合いだ。我が娘ながら、さすがに自分の相手探しは私より上手い」

 がはは、と笑う大木社長は、完全に一人で盛り上がっていた。
 飛躍する話にその場にいる誰もが戸惑い、なんとなく愛想笑いを浮かべていたのだが、平野が恐る恐る口を開いた。

「あの、すみません。不躾なことを訊くようですが……美作専務と娘さんは、その……」

 最後まで言わずとも、何を言わんとしているかは全員に伝わっただろう。それは、その場にいる誰もが一番訊きたかったことで、つくしが何よりも恐れていたことだった。

 つくしは、今すぐにこの場を去りたかった。
 なぜこんな話が繰り広げられている場に自分がいるのか、これっぽっちも望んでいないのにどうして大人しく聞いていなければならないのか、まったく理解出来なかった。
 二人が手を取り腕を組み歩く姿を見てしまったことで、それだけでも深く深く傷ついたのに。
 だくだくと血を流す傷口が、今この場でさらにこじ開けられようとしている。
 極端に卑屈な考えなのかもしれないが、ここで起きているすべてのことが、ここへ来たことそれ自体が、つくしの存在を排除するために仕組まれたことなのではないかとさえ思えた。
 ――やっぱり、ここへ来たのは間違いだったんだ……。
 耳を塞いでしゃがみこんで、大声を上げたい。わかったからもうやめて、と声の限り叫びたい。
 けれどそんなことは出来るわけもなく、俯いて立っているしかない。
 自分は、この状況に耐えられるのだろうか。
 つくしは歯を食いしばり、身体中に広がりそうな震えを抑えるように、指先や関節が白くなるほど拳を握りしめた。
 そんなつくしに気付くはずもない大木は、よくぞ訊いてくれましたとばかりに、がははは、と嬉しそうに笑い、意気揚々とそれに対する答えを口にした。

「それは親の私達が口で言うより、あの二人の様子を見たらわかるでしょう」

 目の前が真っ暗になる。
 ――もう、イヤだよ。
 つくしは身体中から力が抜け落ちそうな感覚に、瞼を閉じた。

「ねえ、美作社長。そう――」
「大木社長、そういう話は、本人達のいないところでは止しましょう」

 凛とした声でストップをかけたのは、あきらの父親だった。
 そのことに対して口火を切る形になってしまった平野は慌てて「すみません」と頭を下げた。けれどあきらの父親は、笑顔で首を横に振った。

「平野部長を責めてるわけではないんですよ。あんな目立つ登場をしたのは彼らです。それを見た人間が二人の関係に興味を持つのは当然のことです。ただ、今この場で親の私達がそれについて語る必要はない。こういうことは本人達の意思が一番大切なんですから。私は干渉しないことに決めているんです」

 実に穏やかな口調だったが、そこには強い意志が感じられた。
 それに異を唱えたのは、大木だった。

「そうは言いますが美作社長、専務が結婚する女性は、次期社長夫人になるんですから、本人に任せきりというわけにはいかないでしょう? やはりそれなりの家柄の方や、美作商事にとって出来るだけ有益な方をお選びにならないと」

 つくしの胸に、ズクンと痛みが走る。
 わかっていることを突きつけられることほどつらい事はない。
 ますます俯くその頭の上を、あきらに似た柔らかな声が通った。

「まだまだ半人前だと思ってはいても、いずれ自分の後を任せたいと思う息子だからこそ、結婚相手は息子自身が選ばないと意味がないと思っているんです。重要なのは家柄や社の利益の有無ではありません。息子が自分の力で道を決め、未来を切り開くことです」

 あきらの父親は、笑みを湛えて静かに語った。

「人に与えられた人生は、どこまでいっても人に与えられたものでしかありません。一見、その道で成功して自分の人生になったように思えても、何かあって躓いた時には、必ず自分で選び抜かなかったことを後悔する。その道を選ばされたことのせいにしたくなる」
「それはそうかもしれませんが、でも結婚は――」
「一緒です。結婚こそ人生の多くの割合を占める重要なことじゃないですか?」
「……」
「自分で選んだ相手でなければ、一生寄り添い守り抜くことはなかなか難しい。もしかしたら会社を背負う事より難しいかもしれない。誰のせいにも何のせいにも出来ないし、してほしくありません。だから息子には、自分の意思で決めて進んでもらいたい。どんなに親がしゃしゃり出たところで、息子の人生は息子のものですしね」

 その場にいる全員が小さく頷きながらその話に聞き入る中、大木だけは眉間に皺を寄せていた。

「けれど美作社長、もしそれで専務が、まるで違う環境で育った右も左もわからない一般の女性を選んだらどうされるんですか? 果たして周囲が納得するかどうか……」
「納得させる方法を考えたらいいんです。どうしてもその女性でなければならないと思うのなら、悩んで考えて足掻いて、そして掴み取ればいいんです。自分の想いや信念を貫き通せない男は、トップに立っても正しい決断は出来ない。自分の惚れた女を守り抜けない男が、大勢の社員を守れるわけがない」

 凛とした声が響く。

「自分の思い描く未来を真っ直ぐ見据え続けることは決して容易なことではない。悩んだり迷ったり、見失いかけることもあります。けれど、そんな時に何よりも支えになるのは、自分の愛する人達ではありませんか? 妻であり、子供であり……家族ではありませんか? 息子が考えに考えて選んだ相手であれば、その女性はきっと息子を救ってくれるはず。それは、親の私にとっても喜んで迎え入れるべき女性です」
「……」
「大切なのは、本人達の意思です。本人達が語る前に私達が多くを語るのは良くない。いずれ進む道が決まれば、自らきちんと語るでしょう。余計なことをせず、その時を待つことも大事な親の務めでしょう」

 柔らかくともその言葉の重みは絶大で、さすがの大木も気まずそうな表情を浮かべて黙りこくった。

「息子達のことでお騒がせして申し訳ありません。こうしたパーティーであのようなサプライズはよくあること。そう思って受け流してくださるとありがたい。まあ、気になることは本人に直接訊いてやってください。きちんとこちらにも挨拶に来るように言っておきますから」

 あきらの父親は笑顔を残して去って行った。
 その後ろ姿をじっと見つめ、追おうかどうしようか迷うように右往左往していた大木だったが、結局別の方向へと歩き去った。

「……素敵。素敵すぎるよ、美作社長」
「ホント……ヤバいくらいカッコ良い。惚れそう」
「言える。男の俺もヤバかった」
「やっぱり大企業のトップに立つ人間は違うよ」
「気さくで穏やかで優しいのに、言葉に重みがあるよね」
「あんなに広い大木社長の背中が小さく見える……」

 残された者達は、その後ろ姿を交互に見ながら、ポツリポツリと呟き頷き合う。
 二人の姿がそれぞれ人ごみに消えるのを見届けると同時に、はあああ、と大きな息を吐いたのは、平野だった。

「社長、すみませんでした。私が余計なこと言ったばっかりに」
「ああ、平野部長が気にすることはない。最初に話を振ってしまったのは私だからね。挨拶に行ったあちこちで噂になってて、もうてっきり美作社長公認なのかと思ってたんだよ。どうやら違ったようだな。……あとで美作社長に謝っておくよ」
「私も一緒に行きます」
「いや、私一人でいいよ」
「いえ。このままでは気になって……」
「それもそうか。じゃあ早速行くか? 今なら大木社長もそばにいないし」
「はい」

 ちょっと行ってくる、と二人はあきらの父親が歩き去った方向へと姿を消した。
 残された人間は誰からともなく顔を見合わせ、苦笑した。

「案外、美作社長はスッキリして喜んでるかもな」

 ポツリと言ったのは、つくしや美穂の直属の上司、課長の佐々木だった。

「課長、それどういう意味ですか?」
「美作社長があそこまでガツンと言ったってことは、ここへ来るまでもずーっとずーっと同じような話を繰り返しされていて、いい加減にやめてもらいたい、ってところだったんじゃないのか?」
「なるほど。そうかもしれませんね」
「うちの息子とお宅のお嬢さんが結婚まで発展することはありませんよ、ってことを言いたかったのか、二人の関係を期待するなら黙って身守れって言いたかったのか、どっちが真意かはわからないけど」
「……課長、分析は正しい気がしますけど、結構辛口ですね」
「ああいう人、どうも苦手で。噂には聞いていたんだけどやっぱりクセが強い」

 苦虫をつぶすような表情で言った佐々木に、周囲の誰もが苦笑した。

「ま、残された俺達は何も気にせず楽しもう」
「そうですね」

 笑いあったら、その場に張り詰めていたピリリとした空気が消えて、和やかな空気が戻ってきた。
 ホッと息を吐いた美穂は、隣のつくしに話しかける。

「さて、何か食べようよ、つく――あれ?」

 けれどそこにつくしの姿はなく、キョロキョロ見渡しても、やはり姿は見えなかった。
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2010.8.13 この先にあるのは同じ空色
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