01 / 02 / 03
茜色が沈んでも
COLORFUL LOVE view of AKIRA
2

あの日のことは、幾度となく思い返した。
そのたびに、歓喜、羞恥、幸福……様々な感情が体中を駆け巡る。
恐らくそれは、俺だけでなく牧野も一緒だろう。
俺達は二人で確かな一歩踏み出した。
 




  **





静寂に包まれる部屋の中、規則正しい牧野の寝息が空気を揺らして、それを感じながら俺は一つ息を吐いた。
窓の外、カーテン越しにも徐々に夕闇が濃くなっていくのがわかる。
改めて、陽が高いうちから抱いたんだと実感する。
もちろんわかっていてのことだけれど、よく牧野が応じてくれたと、そればかりは予想外で半ば信じられないような気持ちがある。
ただこうして傍らにある愛しい存在が、これが現実だと教えてくれる。
横を見れば闇が広がる室内でもその寝顔ははっきり見ることができる。
それが今の俺達の距離。
腕に感じる重み、触れ合った肌から伝わる温もり、心地よい気怠さ……ただただ幸せで、愛しさが胸の奥から溢れた。

女を抱く行為は興奮を伴う。俺が男である以上、相手が誰であれ。
けれど今日味わった興奮は、経験したことのないものだった。

牧野は俺に組み敷かれて、初めての痛みに顔を歪ませ涙を流していた。
でもそれでも必死に耐えて受け入れ受け止めようとしている姿は、もうそれだけでそそられてしまう愛しいものだった。
壊したくない、泣かせたくない、誰よりも何よりも守りたいのに、そんな彼女を自分の手で壊して泣かせていることに優越感を覚える俺もいて、それがさらなる興奮を呼び覚ました。
女を抱いた過去は数えきれない。
いろんなタイプの女がいたし、いろんな経験をしてきたと思う。
けれど、年上や人妻ばかりを相手にしてきたからか、まったく経験のない女は初めてだった。
それだけに、ことさら慎重にことさらゆっくり大切に扱わなければと思っていたし、そうしたつもりだ。
それでもいつしか自分でも制御しきれない興奮の渦の中で何度も我を忘れそうになった。

――ったく童貞のガキに戻ったみたいな気分だぜ。初めて女を抱いた時だってここまで我を忘れたりはしなかったのに。

思い返せば思い返すほど羞恥を覚えて溜息がこぼれる。
好きな女を――心底惚れ抜いた女を抱くことが、こんなにも心揺すられることだとは。
予想や予測なんてなんの役にも立たない。
ただただ幸せだった。
本当に、幸せだった。

そして、すべてを終えて牧野を抱き寄せた時、ふと思った。

――もう一度抱きたい。今すぐに、もう一度。



俺の腕枕で眠る牧野。疲れたのだろう、よく寝ている。
俺はその寝顔をじっと見つめ、それから天井へと視線を移すと溜息を吐いた。
終わってすぐは当たり前に今よりもずっとずっと興奮が身体中に色濃く残っていた。
けれどその状態がずっと継続されるわけはないのだから興奮しきった想いも時間と共に落ち着くだろうと、出来るだけ意識の外に追いやってその時を待っていたのだけれど、今も尚そう思う。
牧野は疲れ切って眠っているのに。その重みを感じているのに。
なんて自分勝手なんだろう。何をそんなに盛ってるんだ、俺は。
そう思う俺がいないわけではない。
なのに想いは少しも萎むことはなく、どんどん膨れていく。

――まさかこんな形で気持ちを持て余すことになるとはなあ。

「はああああ……」

もう何度目とも知れぬ溜息がこぼれた。



どれくらい見つめていただろう。

「ん…… 」

腕の中の牧野が小さく身じろぎをして、睫毛がふるりと揺れた。
ゆっくりと目を開けた牧野は、ぼんやりとした表情で瞬きをする。
起きぬけでまだ事態が飲み込めていないのか、ぼんやりとしている。
わずかに頭が動いた拍子に髪がさらりと俺の腕を撫でた。
ただそれだけのことが俺の中の愛しさを膨らませる。そして同時に無償に心配になった。
髪に指を絡めスルリと梳く。
それに反応して牧野の瞳がゆっくりと俺を捉えた。
どこか頼りなげな表情。
胸の入口に留めていた心配が、考えるよりも先に口をついて出た。

「どうした? 大丈夫か?」 
「え? ううん。どうもしない。……なんか、ただ目が覚めた……だけ」 

牧野の声は表情よりもさらに頼りなげで、けれど、言い終えた途端に今度は一気に色づき始めた。
ふわんと掛けた布団から出る自分や俺の肌を見て顔を赤くしたり、布団を引っ張りあげてみたり。そしてふいに触れ合った足に驚いたのかひゅんと離れた。
そして次の瞬間、その顔を歪めた。

「…っ……」

それはほんの一瞬――きちんと注視していなければ見逃してしまうほどだったかもしれない。
けれど俺にとっては見逃せるものではなかった。それこそ俺が心配していたことだから。

――ああ、やっぱり。

「ごめん、やっぱりキツいよな……」

俺の声に吸い寄せられるように顔をあげた牧野は、小さく息を吐いて苦笑いを浮かべた。

「ちょっとだけ、ね。でも本当にちょっとだけだよ」
「……ごめんな」

言いながら俺はそっと牧野を抱き寄せた。どこの痛みにも触れないくらいにそっと。
腕の中で牧野が慌てた様子で言う。

「やだ、本当にちょっとだけだし、平気だよ。そんな謝ったりしないでよ。美作さんのせいじゃな――」
「俺のせいだろ、確実に。」
「……あ、」

それはたしかに俺が刻んだ痛み。
とても幸せでどこか嬉しい……でもやっぱりつらい。
避けて通ることなど出来ない過程なのかもしれないけれど、それでもできることなら、幸せと悦びだけを埋め込んでやりたかったと思うから。

「いや、まあそうなんだけど、でもそういうことじゃなくてさ」
「そういうことじゃなくて?」
「あ、あたしも、覚悟の上のことだったんだから。」
「……」

思いもしない言葉だった。

「だから、美作さんだけのせいじゃないよ。そりゃ痛いけど……でもこれは、美作さんと、その……深く、愛し合えた証っていうか……その……」

愛し合えた証――牧野が自らの口でそう告げてくれたことに深い深い意味がある。
それがどれだけ俺を幸せにするか、牧野は知っているのだろうか。
唇が自然と弧を描く。
そして、胸は愛しさでいっぱいになる。

「……うん。うん、そうだな」

深く頷いて、牧野の髪を撫でた。想いのすべてを、俺の感じる幸せのすべてが伝わればいいと願いながら。

やがて牧野が擦り寄ってくるのを感じた。
そんな仕草が可愛くて、俺は髪に口づける。
牧野はちらりと俺を見上げて照れたように微笑むと、小さな息を吐いて再びその頬を胸に寄せた。
緊張のすべてを解いたのが伝わる。
温もり、重み、感じる吐息、心臓の鼓動。
牧野のすべてが俺に安堵と幸せを与えてくれる。
こんな穏やかな――こんな幸せな時間がこの世に存在するのかと、この幸福を与えてくれたすべてのものに感謝したくなる。
喜びに胸が疼いた。
と同時に、ほかの感情も顔を出し、俺は思わず苦笑交じりの息を吐く。
いよいよ本当に困った事態になってきた、と。
感情による疼きとは別に、明らかに身体そのものが疼く。
この疼きはまちがいなく欲――牧野を抱きたいのだ。俺は。

――やっぱり消えることはないのか。

しんと静まり返った部屋に時計が時を刻む音だけが響き、一秒進むごとに疼きが増す気がする。
じんじんと、痛いほどに。
その疼きが身体を変化させてしまいそうなほどに。

――今それはまずいよなあ。

痛みに歪む牧野の顔が脳裏に浮かぶ。
大切な、大切な、牧野。

――やっぱりダメだ、今は何かほかのこと……。

完全に追い詰められる前に、と俺は頭を巡らせた。
そして口をついて出たのは、なんとも間抜けなありがちすぎる言葉。

「なあ、牧野。腹減らない?」

ムードも何もあったもんじゃない。残念すぎて溜息がこぼれそうだ。
でもだからといって「やっぱり今のはナシ」なんて怪しすぎるし、それこそカッコ悪い。こうなったらこれで押し通すしかあるまい。

――実際腹も減ってるしな。

無理やり自分を納得させて零れそうなため息を飲み込み、そのまま話を進めることにした。

「うん、まあ多少」
「だよな。どっか出るか、うーん、ああデリバリーっていう手もあるか」
「……というか、今何時なんだろう?」
「もうすぐ六時半」
「えーと……夕方の、だよね?」
「軽く昼食って散歩行って帰ってきて……まあ間違いなく夕方だな」

いきなりすぎる話にもそのまま乗ってきてくれたことに安堵しながら「今日は夕暮れが綺麗だったよ、天気が良かったから」と言うと、牧野は驚いた表情で俺を見た。

「美作さん、ずっと起きてたの?」
「ん? ああ、なんとなくな」

「どうしたの?」なんて聞いてくれるなよ、と祈るような気持ちで、出来るだけ普通に出来るだけサラリと答えを返す。
牧野はただ「ふうん」と小さく言っただけでそれ以上言葉を発することはなかった。
また安堵する。

「あ、そうだ。表参道に新しくレストランがオープンしたんだよな。帰ったらそこへ行きたいと思ってたんだ。……牧野、動けそう?」
「え? ああ、うん。大丈夫だよ」
「じゃあタクシー呼んで行くか。個室もあるって聞いてるからゆっくり……――」

――まったく、総二郎に知られたら腹抱えて笑われそうだぜ。

不本意すぎる己の言動に心の中で毒づきながら、俺はベッドを抜け出した。

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2013.01.13 茜色が沈んでも
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