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白き優しき世界
COLORFUL LOVE
3
  **




「道明寺、あたし――」

話し出すつくしを、司は真っ直ぐ見つめていた。
その瞳は本当に真っ直ぐで、居抜かれてしまいそうに思えた。
多分それほど司と面識のない人なら、すべてイエスと頷いてしまいたくなるほどの力があった。
それでもつくしの気持ちは、揺れ動かなかった。

「あたしは道明寺とは結婚しない」

その答えに、迷いはなかった。

「それは、どんなに待っても変わらないのか?」
「うん。変わらない」

二人はじっと見つめ合う。
そのまま、つくしは言葉を続けた。

「道明寺の気持ちはちゃんと伝わった。そんなふうに想ってもらえること、すごく嬉しいよ。でもごめん。もう道明寺と同じ未来は見れない」
「……好きなやつがいるのか?」
「……うん」
「俺の知ってるやつ?」
「……うん」
「――あきらか?」

つくしは一瞬その瞳を大きくして、それからひとつ瞬きをすると、コクリと頷いた。
司はそこで初めて、目を伏せた。

「ここに来てたよな? 今日」
「え。なんで知ってるの?」
「おまえと外で会った時、手にストール持ってただろ?」
「あ、うん」
「あきらが好んでする色だった。それにパッと見でもわかるくらい、おまえが身につけてる物とはケタ違いの上質な物だったから」
「……なんか、ちょっとひっかかる言い方だけど、たしかにその通りよ。美作さんの忘れもの」

ほんの少し頬を膨らませて言うつくしに司は薄く笑って、「それから、」と続けた。

「ここへ入って来た時、テーブルにティーカップが二つあった」
「……あー、そっか。そうだよね。わかるよね、それ見たら」
「ああ。……付き合ってるのか?」
「ううん」
「本当に?」
「本当に」
「だってあきら、ここに上がってるんだろ? 類じゃあるまいし、あいつがそんなこと――」
「でも、本当に付き合ってないの。あたしは美作さんに気持ちを言ってないし、美作さんからも聞いてない」

真顔で言い切るつくしに、司は目を伏せて小さく微笑むと、「そうか」と呟いた。
その微笑みが何を意味しているのか、つくしにはわからなかった。
けれどそれ以上は何も言わずにコーヒーカップを手にした司に、つくしも何も訊かなかった。
司は珈琲を一口飲むと、カチャリとカップを置く。

「余計なことかもしれねえけど、言っていいか?」
「何?」

司はひとつ大きく息を吐く。
そして、つくしを見た。

「美作商事はかなりの大企業だ。俺と同じような問題がゴロゴロ湧いてくる。あきらだって自分の思い通りに歩いていけない日が――」
「わかってる」

司の言いたいことは、最後まで聞かずともわかっていた。
つくしには、わかり過ぎる程に。
わかっているからこそ、心のどこかがブレーキをかけ続けていた。
好きだと言う気持ちひとつ伝えることも、怖かった。

「まだ何も始まってないの。始まるかどうかもわかんない。仮に始まったところで、上手くいく保証なんてどこにもない。でももう、止まらないの。どうやっても」

つくしの脳裏には、あきらの顔がはっきりと浮かぶ。
それだけで、せつないほど安堵する。それだけで、苦しいほど愛おしい。
そんな想いは言葉にせずとも溢れ出る。
司には、つくしの想いが痛い程に伝わってきた。
それは司にとってたまらなく辛いことだけれど、認めずにはいられないものだった。

「……だったら言っちまえよ」
「……」
「始めてみろよ。俺との時みたいに」

つくしは思わず司を見つめる。
司は、何かに耐えるような、けれどとても優しい顔をしていた。

「俺がおまえを臆病にしたのかもしれねえけど、うだうだ同じところを回ってたって、前にも後ろにも進まねえんだぞ」
「道明寺……」
「傷つく覚悟はしてんだろ?」

つくしは少し考えて、フルフルと首を振った。

「わかんない。覚悟してるつもり。でもその時が来たら、こんな覚悟は木端微塵かも」
「それでも、」
「……」
「それでも、好きなんだろ?」

つくしは、ゆっくりと頷いた。

「俺がどんなに想ってもどんなに幸せにするって誓っても、それでも揺るがないくらい、あきらに惚れてんだろ?」

つくしは、再びゆっくりと頷いた。
司はぎゅっと瞼を閉じて、そしてゆっくりと開いた。

「だったら、早く前へ進めよ。おまえの気持ちは、よくわかったから」
「……道明寺。」
「信じたくないし認めたくないが、完敗だ。もうどうしようもねえ」

「ごめんね」と告げたつくしに「謝られたら余計に落ち込む」と司は笑った。
寂しそうな切なそうな笑顔だった。




  ***




「あたし、すごく嬉しかった」

つくしは真っ直ぐ前を見つめて言った。

「司の気持ち?」
「うん。……正直、四年前より嬉しかったかもしれない。あの頃はただただ夢中で。押し寄せる波に飲み込まれないように、逆らっていくことしか出来なくてさ。いろんなことがあって、いろんな現実を受け止めてたはずなのに、やっぱり漠然としか捉えられていなかった。でも今はね、今だってまだまだ子供かもしれないけど、まだまだわかってないかもしれないけど、でも――、」
「でも?」
「きちんと現実を受け止められた気がするの。あたしも、道明寺も」
「そうか」
「うん。それにね、きちんと向き合って話が出来たなあって」
「話?」
「うん。離れていたってことだけじゃなくて、あたしも道明寺もどこか逃げてた部分があったんだと思うの。でも昨日はきちんと話せた。お互い感情的にならずに、きちんと向き合えた」

きちんと話さないまま別れてしまったことを、心のどこかでいつも気にして悔いていた。
わかり合えても合えなくても、互いの想いをぶつけ合わなければ決して納得など出来ない事はわかっていたのに。
それがようやく出来た気がして、つくしは嬉しかった。
もし、もっと早くにそれが出来ていたら、自分達には違う道が開けていたのかもしれないと思う。
――すべてはもう戻れない過去で、戻るつもりのない過去だけれど。

「牧野と司がねえ。ケンカ腰にならずに話せる日がくるとは」
「でしょ? あたしも驚いたよ。大人になるってこういう事なのかなって思った」
「そうか」
「うん」

総二郎は、つくしの複雑な想いを感じ取った。
感じ取って、知らないフリをすることにする。
――すべては過去だから。

「じゃあ、司はわかってくれたんだな?」
「うん。もしかしたら相当無理してるかもしれないけどね」

目を伏せたつくしの横顔は、柔らかな微笑みが浮かんでいた。
きちんと話して心から納得のいく時間を過ごせたのだろうと、そのすべてを聞かずともわかるような、そんな横顔だった。

「あとは牧野が進むだけだな」
「え?」
「背中、押されたんだろ?」
「……うん」
「だったら、踏み出してみないとな」

総二郎は、眼を細めて微笑んだ。
総二郎もまた、そっとつくしの背中を押してくれているように思えた。




  ***




帰り際。
靴を履き終えた司は振り向いて、つくしを見た。

「突然で悪かったな」
「ううん。……ていうか、道明寺にそんな風に謝られると気持ち悪いかも」
「なんだよ、それ」
「強引で自分勝手、が道明寺の代名詞みたいになってるからさ」
「ひでえイメージ」
「あはは。仕方ないじゃない。本当にそうだったんだから」
「ま、いいけど」

ため息を吐く司に、つくしはくすくすと笑い続けた。
それを見て司は笑みを浮かべ、つくしに背を向ける。

「俺、今日さ」
「ん?」
「今日、本当はおまえを迎えに来たんだ」
「え?」
「ニューヨークでやるべき事は全て終わらせた。春には日本へ帰って来れるんだ」

つくしは言葉が出なかった。
茫然としていると、司が振り向いた。

「なんか言えよ、せっかく帰ってくるって言ってんだから」
「だって、道明寺。あの時……」
「おまえに別れるって言われて目が覚めたっていうかさ。半分くらい自棄気味だったけど、どうにかしてやろうって必死になったら、なんとかなっちまった」
「……」
「どうだ、俺様の凄さ、思い知ったか?」
「……」
「早まったって思ったか?」
「え、あの――」
「俺は思ったよ」
「……道明寺」
「ま、自業自得だ。結果はこうなっちまったけど、一応そのこと伝えておくよ。一番に」
「……」

胸が熱かった。
司は必死に努力をした。してくれた。
それは、つくしにも痛いほどに伝わってきた。

「待たせて悪かった」
「……ううん。あたしこそ、待っててあげられなくてごめんね」

ぐにゃぐにゃに曲がりくねった道だったけれど、司は約束の四年を守ってくれた。
途中で歩くのを諦めたのは、つくしのほう。
司はいつだって、前だけ見据えて歩いていた。

「道明寺。ありがとう」
「……じゃ、帰るわ」

照れたように俯いて、司はぐいっとドアを開けた。
ドアの向こうに消えた司の足音に耳を済ませた。
本当に終わったんだと思ったら、ポロリと涙が零れた。
心がすっと軽くなった。

( あー、美作さんに会いたいな。 )

自然とその感情で胸がいっぱいなる自分に、つくしは愛しさを覚えた。




  ***




「美作さん、大丈夫かな」
「大丈夫だ、きっと。もうすぐ着くからな」

うんと頷いて、つくしは窓の外を見る。
白い世界が、流れていく。




いつもの倍以上の時間がかかって、ようやく美作邸に辿り着いた。
総二郎が駐車スペースに車を進めていくと、つくしはそこに停まる一台の高級車に目を止めた。

「ねえ、西門さん。あれって、道明寺の……」
「……だな。司んとこの車だ。あいつ、まだいるのか。さっきの電話では、すぐに出なきゃいけないようなこと言ってたんだけどな」

車を停めた総二郎は、後部座席からつくしの荷物を取ると渡しながら言った。

「牧野、先に行ってろよ。俺はちょっと司と話したいから」
「え、でも道明寺なら中に――」
「いや、司は車の中にいるよ。多分」
「そうなの? じゃああたしもお礼を言いたいから――」
「ばーか。好きな女が男に会いに行くホワホワした顔を見たいヤツがいるかよ」
「ほ、ホワホワなんてしてないよっ」
「そうだけど。でも、それでも。今はとにかく会わずに行け。礼なら後からでも言えるだろ」

完全に納得出来たわけではなかったが、総二郎の言わんとすることはわかる。
ここは総二郎の言う通りにしておくのがいいのだろうとつくしは思った。

「……わかった」
「あとでメールいれるから」
「うん。西門さん、ありがとう」
「どういたしまして」

つくしは車から降りると、司が乗っているであろう車を見つめた。
そして、ぺこんと頭を下げて、それから邸へと走り出した。
総二郎はその背を見送ると司の車へと歩いていく。
ドアが開き、中から司が降りてきた。

「久しぶりだな、司」
「ああ、久しぶり」

二人はそれきり黙って、美作邸に入っていくつくしの姿を見つめていた。





「あ、お姉ちゃま!」
「お姉ちゃま!」
「つくしちゃん! 来てくれたのね」

邸の中へ通されるとすぐに、あきらの母親と双子の妹達が、抱きつかんばかりの勢いでやってきた。
口々にあきらのことを訴えて瞳をうるうるさせるその様子から、心配で心配でたまらないことが窺える。

「さっきまでお医者様がいたの。あきらくん、熱は相当高いけど、ただの風邪だから心配いらないって言ってたわ。少しずつ落ち着いてきてるみたい。明日の朝にはかなり下がってるでしょうって。今は眠ってるわ」
「そうですか。良かった」

ホッと胸を撫で下ろすと、下からくいくいとつくしを引っ張る二つの手があった。
視線を下ろすと、二人の妹が真剣な面持ちでつくしを見上げている。

「お姉ちゃま、お兄ちゃま大丈夫かしら?」
「ねえ、お姉ちゃま。お兄ちゃまに会っちゃダメかしら?」

その瞳は真剣そのもので、つくしはその場に跪いて二人を交互に見た。

「大丈夫。心配いらない。お兄ちゃまは強いんだから」
「本当に?」
「本当よ」
「すぐに元気になる?」
「なるよ。ぐっすり眠ったらあっという間に元気になる。だからそれまで、お兄ちゃまに心配かけないように、絵夢ちゃんも芽夢ちゃんもおりこうにしていようね」

二人は顔を見合わせて、それからつくしを見て、うんと力強く頷いた。
つくしは二人の頭を撫でてから、「そうだ」と鞄の中を漁った。

「絵夢ちゃん、芽夢ちゃん、メリークリスマス」

言葉と共に、小さな包みをそれぞれに差し出す。

「お姉ちゃま、これってもしかして」
「もしかして、クリスマスプレゼント?」
「そう。たいしたものじゃないけどね」
「わあ、ありがとう」
「ありがとう! お姉ちゃま」

「ママ、見て見て」と満面の笑みで母親に見せる絵夢と芽夢。

「良かったわねえ。じゃあそれを持ってリビングに入りましょう」
「「はあい!」」

二人はつくしにもう一度ありがとうと礼を言って、リビングへと入っていった。

「つくしちゃん、ありがとう」
「いえ。今日ここでクリスマスパーティーさせていただく予定だったので、それで用意してたんです。本当に大したものじゃないので、気に入ってもらえるかどうか」
「ううん。絶対気に入るわ! だってプレゼントって本当に嬉しいもの。今日は三人でお買い物に行くつもりでいたのだけれど、あきらくんのことがあってやめてしまったから、あの子たちはちょっとがっかりしてたのよ。つくしちゃんからプレゼントもらえて、大喜びよ。本当にありがとう」
「いえ。……えっと、美作さんの部屋に行ってもいいですか?」
「もちろんよ。今お部屋に案内させるわ」
「ありがとうございます。美作さんが目を覚ますまで居させてもらっても……」
「もちろん!」
「……もしよければ、お買い物に行ってきてください」
「え……でも」
「今日はクリスマスですし、きっと絵夢ちゃんと芽夢ちゃんも、普段よりずっと楽しみにしていたでしょうから」
「……いいの? 本当に」
「もちろんです。……って言っても、あたしは美作さんのそばにいるだけしか出来ませんが」
「ううん。つくしちゃんがいてくれたら安心よ。あきらくんのこと、よろしくお願いします」

あきらの母親が浮かべた笑みは本当に優しくて、あきらの笑顔は母親譲りなんだと思った。


あきらの部屋へと向かいながら、案内してくれた使用人があきらの様子を話してくれた。
あきらの部屋は以前から知っているし、いつも一人で行っているので大丈夫だと言っても、使用人は頑なに案内すると言ってきかなかった。
不思議に思っていたのだが、どうやらつくしにあきらのことを話したかったようだ。

昨夜、ずぶ濡れで帰ってきたこと。
ひどく落ち込んでいる様子だったこと。
朝から具合が悪かったこと。
司が来て、二人でリビングで話していたこと。
終始、只ならぬ雰囲気で、怒鳴り合うまではいかなくても、何やら言い争いをしているようだったこと。
その最中に倒れたこと。

使用人の話すことは、一体何があったんだろうと不安になるようなことばかりだった。
あきらの行動ひとつひとつが今までにないものばかりで、彼女自身もどうしていいかわからなかったと言った。
でも最後には、「牧野様がお見えになったので、もう安心ですね」と笑った。
そんな風に言われても困ってしまうのだが、ひとまずつくしも笑みを返した。

部屋の前に着き、使用人が立ち去ると、つくしは静かに部屋のドアを開けた。
そっと覗くと、ベッドで眠るあきらが見えた。
しんと静まり返った部屋の中。
ゆっくりと音を立てないように近づいて、ベッドサイドに立つ。
熱のせいだろう。あきらの顔は僅かに火照っていて、浅い息を繰り返していた。
コートと鞄を適当に置いて、サイドテーブルに目をやると、タオルと水の張られたボウルがあった。
つくしはタオルを水に浸して固く絞ると、あきらの額にそっと乗せた。
薬が効いているのかぐっすり眠っていて、ぴくりともしない。
つくしは椅子を引き寄せて座り、あきらの顔を見つめた。

( ……やっと会えた。美作さん。 )

目の前のあきらは、風邪をひいて熱に苦しんでいる。
決して穏やかに眠っているわけではない。
それでもつくしは、あきらに会えたことに、心の奥底が安堵していた。

あきらを見て、はっきりわかった。
つくしはずっと――昨日からずっと、あきらに会いたかったのだ。
たまらなく、あきらに会いたいと思っていたのだ。
それは、つくし自身が感じていたよりも、ずっとずっと深くて切実な想いだった。

( 美作さん。……あたし、限界かも。 )

つくしの想いは、今にも溢れそうだった。
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2010.2.8 白き優しき世界
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