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曖昧色の夜の向こう
COLORFUL LOVE
5
「でも本当は、そんなことはどうでもいいんだけどな」
「どうでもいい?」
「うん。ドレスが似合うとか、マナーを完璧に心得てるとか、そんなことはどうでもいい。会社帰りの姿のままでいい。好きな物を好きなだけ食べて飲んで、大口開けて笑って、大はしゃぎしたってかまわない」
「でも、それは――」
「もっとありのまま言わせてもらえば、こんなところへ来ないで、この分の時間を牧野とたっぷり二人で過ごしたい」
「美作さん……」
「でもさ、現実問題として、それって難しいだろ? 立場上、俺はこういう場所に顔を出さないわけにはいかない。時々ものすごく重要な話が飛び出したりするし、顔を広めることも大切なことだから」

 つくしはこくりと頷く。
 それはつくしも理解していた。普段は何気ない会話をして他愛もないことで笑いあっているけれど、時々ひどく真剣な表情で話し合うあきらや類を見ることがある。
 つくしにはわからない重要な何かが確実にある場所なのだろうと思った。

「でもまあ、大半は他愛もない会話を繰り返すだけなんだよ。それでも昔はそれなりに楽しんでいたはずなのに、いつからか全然楽しいと思えなくなった。なんでだろうって考えたら、牧野がいないからだという答えに辿り着いた」
「……あたし?」
「そう。だから牧野を誘った。牧野がいてくれたら、その時間はいつだって意味深くなる。ものすごく楽しい時間になるから」
「美作さん……」
「でも、ただ連れてきただけじゃ牧野が厭な想いをするだけだ。どんなに俺が良くても、おまえが苦痛じゃどうしようもない。俺が楽しいと思う時間は、牧野にも楽しいって思ってほしい。せっかく一緒にいるんだから。そのためのドレスで、そのためのマナーだよ」
「そのための……?」
「ドレスやマナーは、牧野を守る鎧みたいなもんだよ。俺が盾になって守り抜けたら一番いいけど、もしもの時のために備えが必要だから」
「あたしを守る、鎧……」

 呟くつくしに、あきらはコクリと頷いた。

「もし俺がいなくても、それさえあれば無闇に傷つけられることはない。不必要に不愉快な想いをせずに済む。だから、ドレスを用意してる。だから、少しずつマナーを教えてる」

 いつでも笑顔でいてほしい。
 あきらの優しさには、そんな願いが込められていた。
 つくしは、あきらの優しさをきちんと認識しながらも、その思慮深い想いには気付いていなかった。
 ドレスもマナーも、当たり前のことだから、当たり前にしてくれているんだと思っていた。
 なくては困るから用意してくれる、なくては困るから教えてくれる。そういうのが必要不可欠な場所だから、と単純にしか受け止めていなかった。
 そこに、こんなにも深い愛情があったことに驚き、心が震えた。

「あたし、全然知らなかった」
「いいんだよ、知らなくて。俺が勝手にやってる事なんだから」
「……ありがとう、美作さん」
「礼を言われるようなことは何もない。むしろ俺は謝らないといけない」
「謝る? どうして?」
「俺は牧野を守り切れなかった。この手のパーティーも少し回数を重ねていたし、ここまで何の問題もなかったから、ちょっと油断してたかもしれない。もっときちんとそばに居るべきだった。ごめんな」
「やだ、そんなことないよ」
「あるさ。現におまえは傷ついた」
「それはあたしが勝手に自信を失くしただけで」
「それでも。」
「……」
「やっぱり、俺が守り切れなかったんだよ」
「美作さん……」

 絶対に傷つけたくなかったのにな、と呟いたあきらの顔に、悔しさが滲んでいる気がして、あきらが傷ついている気がして、つくしは胸が痛くなる。
 思わず、あきらの胸に抱きついた。

「そんなこと言わないでよ。あたし、困るよ」
「困ることないだろ?」
「十分過ぎるほど守られてるのに。それでもこんな風に自信が持てないのは、あたしがいけないのに。そんなふうに美作さんが自分のせいだなんて言ったら、あたし……」

 あきらがつくしにつらい想いをさせたくないと思うのと同じように、つくしもあきらにつらい気持ちを抱えてほしくなかった。
 それは、互いを想いあう自然な気持ち。
 あきらは、ふっと小さく笑って、つくしの頭を撫でた。

「お互いに、自分が自分がって言っててもどうしようもねえよな」
「……」
「まあ、俺達らしいって言えば、俺達らしいか」

 いつでも相手の気持ちに対して自分の気持ち以上に敏感で、そればかりが目に映る。結局のところ、似た者同士なのだから。
 あきらはそっと身体を離し、もう一度つくしの瞳を見つめた。

「ゆっくり進んでいこう。不安は少しずつ捨てて、自信は少しずつ身につけて。俺がいつでも一緒にいる。だから、大丈夫。……な?」

 あきらの瞳が優しく柔らかな光を放っていた。
 ――「いつでも一緒に居る。だから、大丈夫」
 あきらの言葉が、すっとつくしの中に浸透して、曖昧に色を広げた不安を撫でてゆく。
 きっと、大丈夫。
 柔らかな想いが少しずつ増えてゆく気がした。

 つくしがゆっくり頷くと、あきらはふわりと優しく笑った。
 牧野、と囁くような声と共に、あきらの顔が近づいてくる。
 唇が重なり、吐息が零れ落ちる。

 部屋には、あきらとつくしが二人きり。
 誰も邪魔するものはいない。

 口づけはどんどん深くなり、いつしかつくしの身体から力が抜けた。
 ベッドに運ばれ、仰向けに横たわるつくしの上に、あきらが覆い被さった。
 これから始まるであろうことは、ぼうっと熱に浮かされたつくしの頭でも想像がつく。いや、熱に浮かされたつくしは、それを理解し、望んでいる。
 やがて、柔らかな唇が再び降りてきて、無数のキスが降り注ぐだろう。
 思うだけで身体の奥がズクンと疼き、熱を持った。

 あきらはつくしの髪を優しく撫でると、額にひとつキスを落とした。
 そのまま、瞼に、鼻に、頬に、唇に、ひとつずつキスを落として、そして再びつくしの瞳を見つめた。

「先に言っておく。このまま夢中になったら忘れそうだから」
「……なに?」
「部屋を取ったのは、一秒でも長く一緒にいたかったから。去年はまだ、俺も状況を把握し切れてなくて、どうやって時間作っていいかわからなくてさ。ずいぶん寂しい想いさせたし、俺も牧野不足で大変だったから」
「……美作さんも?」
「そうだよ。今年はおまえも仕事してるから、漠然と会いたいと思ってるだけじゃきっと無理。ますます会えない。積極的に時間を作っていかないと」

 だからさっそく部屋を取った、と微笑むあきらに、つくしも微笑んだ。

「また、海外出張行くの?」
「今年はどうだろうな。まだ予定にはないんだけど。決まったらすぐに言うよ」
「うん」
「大丈夫。去年より上手くやれるさ」
「無理、しないでね」
「もちろん。おまえこそ無理するなよ?」
「あたしは大丈夫だよ。美作さんほど忙しい仕事じゃないから」
「仕事もだけど、気持ちも」
「気持ち?」

 あきらはこくりと頷いて、つくしの耳元に唇を寄せると、触れるか触れないかの位置で囁いた。

「会いたかったら会いたいって、寂しかったら寂しいって、ちゃんと言えよ。言われたら、すごく嬉しいんだから」

 無理されたら、余計に心配だよ――。
 言葉と共に、あきらの唇が、そのままつくしの肌を這う。
 ぞくぞくと肌が泡立ち疼く感覚に、つくしはそのまま溺れていった。
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2010.4.21 曖昧色の夜の向こう
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