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マンダリンオレンジの夢を見る
COLORFUL LOVE
3
 

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( ……あれって、これって、そういう意味……だよね )

つくしが二度耳にした「朝まで」の言葉が文字通りそうであるならば、その二つがあきらの中できちんと一本の線上にあるとしたら……あきらは望んでいるのだ。
つくしと朝まで抱き合うことを。
ただ身を寄せ合って眠るのではなく、肌と肌を重ね合わせ――ひとつになることを。

( ……ど、どうしよう。 )

それは今まで一度もないことだった。
付き合って三ヶ月、何度もデートはしたし、二人きりで部屋にいたこともある。
ひとつのベッドで朝まで手を握って眠ったことも、抱き締められて眠ったことも、実はある。
キスは何度もした。
けれどその先はなかったのだ。
求められて拒否をしていたわけではない。
求めることも、求められることもなかったのだ。
そこまで至らなかった――それが正しいかもしれない。つくしサイドの捉え方としては。
でもそれは、あくまでつくしサイドの話。
――今ならわかる。
あきらは、待っていてくれたのだ。
つくしの心を。
誰ともその先へ進んだことのないつくしに、それを受け入れるだけの準備が整うその時を。

( ……どうしよう、どうしよう。これってそれって、その時がきちゃうってことだよね……? )

思い当たってしまった途端、目の前で綺麗に咲いているはずの桜が視界から消えた。
今までまったく聞こえなかった心臓の音がバクバクと聞こえる。
まるでたった今動き出したように。

( どうしよう。どうしよう。えーとあたし、どうすれば……―― )

半ばパニック状態の中、ふいにぽんと肩を叩かれた。
思わずびくっと竦める。
恐る恐る振り返ると、そこにはあきらがほんの少し表情を曇らせてつくしを見ていた。

「どうした?」
「え?」
「いや、なんか……具合でも悪い?」
「う、ううん。全然平気!」
「そう?」
「うん」

それでも完全には曇りの取れない表情のまま、あきらは静かにあたりを見渡した。
そして再び視線をつくしに戻す。

「少し寒くなってきたかもな」
「そ、そうかな」
「うん。完全に冷えないうちに戻ったほうがよさそうだな」
「……あー、うん。そうだね」

「また桜の咲いてるうちにこうやって散歩できたらいいけどな」と微笑むあきら。
しばらく忙しくてそれどころではないことを、つくしも、そして言ったあきらも知っている。
でもそう言いたかったあきらの気持ちはとても深い。
それはあきらの素直な願望だから。
ただ残念なことに、この時のつくしはそれをすべて汲み取って反応することは難しく、微笑んで「そうだね」と言うことしか出来なかった。
そんなつくしをどう感じているのか。
あきらは一瞬じっとつくしを見つめ、すぐに目を細めて笑みを浮かべると、「さあ行こう」と気遣うようにつくしの背に手を添えた。

 

帰り道は、とても静かだった。
つくしと二人きりの時のあきらは元々べらべら話すタイプでもなく、どちらかと言えば普段から聞き役に回ることが多い。
その分つくしがあれやこれやと話すのだが、今日はそのつくしが心ここにあらず状態。
自然と会話は減り、黙々と歩く時間が続いた。

 

部屋に着いてからも、つくしは変わらず落ち着かなかった。
時間が経てば経つほど考え込んでしまって緊張が増して、どうしていいかわからなくなっていた。
でもそれをそのままストレートに表現するのはなんだか子供じみている気がして――そんなぎこちないつくしの態度は十分変なのだが――出来る限り平静を保ってみたりするのだけれど、なんだかどこかうまくいかない。
紅茶を入れてソファに座ってみたものの、なんだか落ち着かなくて突然ぶわっと話し出したり、けれどいつの間にか黙り込んでしまったり、気づけば余計におかしな態度になっている。
テーブルの上のティーカップを手に取って口元に持っていく。
けれど二杯目の紅茶は、すでに飲み干された後だった。

「紅茶、もう一杯入れるね」
「なあ、まき――」
「この紅茶、凄く美味しいね。さすが美作さんだなあ」
「あ……うん。」

キッチンに立ち、ケトルに水を入れてコンロに置く。
そして、はああ、と溜息を吐いた。

( あたし何やってんのよ。緊張しすぎだし不自然すぎだし……もう、もっと自然にしてなきゃ。 )

はああ、と再び溜息を吐いて、そしてコンロのつまみに手をかけた。
刹那、ふわんと甘い香りに包まれる。
その理由を頭が理解するよりも早く、あきらに後ろから抱き締められているという事実を把握した体が、びくりと強張った。
ドクン、と心臓が大きく脈打つ。

「……牧野、」
「……はい。」

しんと静まる部屋の中、ドクン、ドクン、と鼓動が煩い。
口から心臓が出てしまいそうな緊張の中、つくしはあきらの次の言葉を待った。

「紅茶、もういいよ」
「え? こう、ちゃ?」
「うん」
「そ、そっか」
「うん。……もう、帰るから」
「……え?」

それは予想だにしなかった言葉。
腕の中で俯いていたつくしは、思わず顔を上げる。
囁くような声が耳元に響く。

「急ぐつもりも急かすつもりもない。牧野のペースは出来るだけ大事にしたいって思ってる。……でも、俺も男だからさ。それも我慢強いほうじゃないから、さすがに今日は、二人きりでいて何もせずに夜を過ごすのは、ちと無理だ」
「……あの、美作さ――」
「そうするには、今の俺は牧野を欲しすぎてる」
「……」

あきらの声は甘くて優しくて、でもとても切なげに感じた。

「俺だけの欲で突き進むことはしたくない。だから、今日は帰るよ」

あきらの腕がぎゅっとつくしを抱きしめ、それから静かに離れた。
ぬくもりが消え、あきらがつくしの元を離れていったのがわかる。
ほっとした、だろうか……いや、安堵なんてこれっぽっちも湧かなかった。むしろ、突如消えたぬくもりが寂しくて寂しくて仕方ない。
でもつくしは振り返ることも出来ずその場に立ち尽くす。

「しばらく忙しいけど……でも連絡は入れるから。なんかあったら牧野も遠慮しないで連絡し――……」

あきらの声が少しだけ遠い。
おそらくはソファあたりにいるのだろう。
距離にすればほんのすぐそこ。けれど実際の距離以上に遠く離れた気がした。
つくしはぐっと拳を握る。

( ……いいの? それで。 ねえつくし、 )

無意識のうちに、心の中で自分に問う声がする。
同時に、あきらの笑顔や優しげな瞳が浮かぶ。

( ねえ、いいの? )

気遣う瞳、心配げな表情。

( 本当に、このままでいいの? )

ぬくもり、甘く優しい匂い、柔らかな口づけ……あきらに関係するすべてのものが脳裏をいっぱいにする。
苦しいほどに胸がいっぱいになって、抑えることのできない想いが溢れ出て、身体が震えた。

( いいわけないよ。 )

くるりと振り返れば、あきらはソファの脇に立っていた。
まさにジャケットを着終えようとしているあきら。

( いいわけ、ない。 )

その後ろ姿が視界に入った途端、考えるよりも先に足が動き出していた。
つくしはあきらに駆け寄り、そして、ドン、と音がするほど勢いよく抱きついた。

「まき、の?」

驚いたあきらの動きが止まる。

「……どうし――」
「イヤ」
「え?」
「帰るなんて、許さない」
「……」
「朝まで大丈夫って言ってたじゃない」
「……だから、それはさ、」
「あれは嘘だったの?」
「嘘なわけないだろ? だけど――」
「じゃあ、いてよ」

あきらが息を呑む気配がする。

「一緒に、い――」
「牧野、それは俺に抱かれるってことだぞ?」
「……うん」
「ただ抱き締めて眠るとか、手を繋いで眠るとか、そういうことじゃなくて、」
「わかってる。」
「……」
「わかってるよ、もちろん」
「……」
「朝まで……朝まで、一緒にいたいの。あたし、美作さ――っ……」

つくしの言葉が最後まで紡がれることはなかった。
あきらがくるりと振り返り、そのまま貪るようにつくしの唇を奪ったから。

「…んっ……」

吐息ごと吸い取られるような、深いキスだった。
少し苦しくて、けれど身体の奥底まであきらの想いが流れ込んでくるようなそのキスにつくしの心が震えた。
こんなに深く激しい口づけは初めてだった。
今まであきらがくれたどのキスよりも――今まで経験したことのあるどのキスよりも深く激しく、互いを求めるキス。
やがて頭の芯がぼうっと熱に侵されて、何も考えられなくなった頃、静かに唇が離れた。

「……はぁ……」

どちらのとも判別できない熱を帯びた吐息が零れる。
ゆっくり目を開けると、そこには艶やかな光を揺らすあきらの瞳。
そして唇がゆっくりと動く。

「大丈夫?」

頷くつくしをあきらが真っ直ぐ見つめる。

「やめるなら、今だぞ?」
「……」
「ここから先に進むってことは、きっともっと苦しくて、もっと――」
「やめない」
「……もう、本当に止まらないぞ?」
「……うん」
「……本当に?」
「……うん。本当に。」

一瞬、あきらの瞳がぐらりと揺れた。
このまま泣いてしまうのではないかと思うほどに揺れて、そしてくしゃりと笑みが広がった。
そしてそのままぐいっと引き寄せられて、すっぽりと抱き締められた。

「ありがとう」
「……やだ。なんでお礼なんて――」
「ありがとう。牧野。」

吐息交じりの言葉が耳に届くと同時に、再び唇を塞がれた。
先程とは少し違う、深いけれど穏やかで優しいキス。
魂ごと持っていかれそうなそのキスに、身体中の力が抜ける、と思った。
膝がガクガクと震えて、あと少しで崩れ落ちてしまう。
でもそれよりも一瞬早く、つくしの身体はあきらの腕に支えられて、そして抱き上げられた。

「危うくこのままここで抱くところだった」
「……」
「ベッド、いこうか」

頷くつくしに、あきらは小さく微笑んだ。

( ここでもいいのに…… )

さんざん緊張して身構えていたのにそんなふうに思う自分がおかしかったけれど、その時つくしは、本当にどこでもいいと思った。
そして、あきらに抱えられたその腕の中で気付く。

( あたし……もうとっくに、心の準備は整っていたみたい……だよ )

その首元にぎゅっと抱きつくと、あきらの甘く優しい匂いがした。

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2012.04.15 マンダリンオレンジの夢を見る
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