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マンダリンオレンジの夢を見る
COLORFUL LOVE
4
つくしの部屋のベッド。
二人で寝るには少々狭く小さい、高価でも珍しいものでない極々普通の。
そのベッドにつくしはそっと降ろされて、あきらの、初めての重みを感じた。

あきらがキスを落とす。
額に、瞼に、唇に。
頬に、耳に、首筋に。

「…ん……」

思わず漏れた声が恥ずかしくて、つくしが咄嗟に口を押えると、あきらがその手をやんわりと退けた。
ちゅ、とその甲にキスをして。

「我慢しなくていい。大丈夫。可愛い声だ」

つくしはその言葉に、顔がぼっと熱くなる。
と同時に、身体の芯が熱を帯びて疼くような感覚を覚える。
そのもどかしいようなくすぐったいような感覚に身体を捩ろうとした、刹那、あきらの手が、つくしの身体を這い出した。
ただ単純に「触れる」のとは違う、あきらかに意志を持って這い出すあきらの手。
顔も身体もますます熱くなり、意志とは無関係に声が漏れた。

「ん……あっ……」

とても自分のものとは思えないほどに甘ったるいその声が恥ずかしくて、でも抑えることも出来なくて、つくしは唯々、羞恥と戸惑いを抱えながら、でもどんどん熱くなる身体の熱に浮かされていった。


どれくらい経った頃だろう。
上半身を起こすように腕を引っ張られて、はっと我に返った。
目を開けたそこには、あきらの裸の上半身。
――ドクン、と心臓が跳ねる。
男の素肌を初めて目にしたわけではない。それどころか、あきらの素肌すら、おそらく初めてではない。
仲間たちとみんなでプールに出かけたこともあったから。
なのに生まれて初めて目にしたかのようにドキドキして、恥ずかしくなって思わず目を逸らした。
心臓がドクドクと煩い。
どんなに目を逸らしたところで脳裏にしっかり焼付いて離れないあきらの身体。
服を着ている時に感じるよりずっと逞しい胸板。
肌理の整った肌。

( ――きれい…… )

この言葉はこういうもののためにあるんだと思った。

( それに比べるとあたしなんて…… )

無意識に自分の肌に目がいく。
お世辞にもスタイルがいいとは言えない貧弱な身体。肌だって人並み。色白なほうではないし肌理が細かいなんてこともない。
完璧に整ったあきらと、極々普通の――もしかしたらそれ以下の自分。
逞しさはともかく、綺麗さ美しさにおいても女の自分が負けている。
そんなことは今初めて知ったことではないけれど、ぐいっと現実を突きつけられてしまっては「あたしなんて」と思う心を消すのは容易ではない。
いつの間にかボタンが外されてはだけてしまったブラウスを、つくしは思わずかき合わせた。

「どうした?」

あきらの声が降ってくる。

「……あの、えっと……」
「……うん?」

問い詰めるでも無理やり入り込むでもない、けれど決してつくしの心の機微を見落としてはいないあきらの優しい声。
俯いていても、どれだけ優しい顔をしているかがわかるような、温かな声。
胸の奥がちりりと痛んで、ブラウスを握る指に力がこもる。
つくしは顔をあげぬまま、小さな声で呟いた。

「……期待、しないでね」
「ん?」
「最初から期待なんてしてないだろうけど、美作さんのことだから当たり前にわかっているだろうけど、あの、あたし、スタイルよくないから」
「……」
「美作さんみたいに綺麗な肌でもないし、む、胸が大きいわけでもないし、どちらかといえば貧弱だし、えっとそれから、色も白くなくて十人並み、いや多分それ以下。えーとだから、美作さんが今まで相手してきたような美人達と比べられても、あたし、ホントに――」
「誰と比べるんだよ」

必要以上に言い訳めいたつくしの言葉はあきらの言葉でかき消された。
ふいに伸びてきたあきらの指がつくしの顎を捉え、俯く顔が上を向く。
そこにはあきらの優しい瞳。

「牧野は牧野だろ? 誰とも比べたりしないさ」

慈しむような深い言葉が紡がれる。

「俺にとって牧野は、【特別】と思えた初めての存在なんだぞ」
「とく、べつ……?」
「そう。だから他の誰かと比べるなんて出来るわけもない」

あきらはゆるりと微笑んだ。

「何も心配いらない。牧野は牧野。……だろ?」
「……」
「それに牧野は、綺麗だよ」
「……」
「だから見せて。見たいんだ。牧野のすべて」

その瞳は真っ直ぐにつくしの心を捉えて貫いた。
胸の前でブラウスごとぎゅっと握りしめられたつくしの手にあきらの手が重なる。
これからされることはわかっている。でもつくしはもう抵抗したりしない――いや、出来ない。
つくしはそっと目を伏せる。すべてを委ねるように。
それを合図に、あきらはつくしの指をゆっくりと解き、ブラウスをするりと肩から落とした。
そしてそのままブラジャーの肩紐も落とし、器用にホックを外した。
露わになってしまった胸元を隠すように両腕を胸の前で交差させるつくし。
そんなつくしを再びそっと横たわらせ、あきらはゆっくりと胸を隠す腕を解いた。
外気が直接当たった肌が粟立つ。
心臓が壊れそうな程にバクバクと鼓動を刻む。
そんなつくしをあきらが見下ろしている。
その視線は痛いほどに感じているけれど、羞恥と緊張でその視線を受け止めることの出来ないつくしは、顔を横に向けてギュッと目を瞑った。
五秒、十秒……永遠とも思える沈黙が流れる。

( なにか言って、美作さん……もう、心臓がもたないよ )

そう願ったつくしの心の声が届いたのだろうか。
ゆっくりと、囁くようにあきらが言葉を落とした。

「――綺麗だよ、牧野。」

その声は、何かがこみ上げてきそうなくらい胸に響いた。

「綺麗だよ」

もう一度重ねられたその言葉にぎゅうと胸が締め付けられる。
そのまま受け止めていいのかいけないのか、自分でもわけがわからないまま、つくしの口は勝手に言葉を紡ぐ。

「お、お世辞なんて、いいから。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、でもあたし自分でわか――」
「綺麗だよ。……本当に。綺麗だ。すごく。……すごく。」
「……」

降り注ぐ真摯な想い。
胸の奥が痛くて、同時に身体の芯が熱くなるような、不思議な感覚に包まれる。
これは一体なんだろう、とぼんやり思うつくしの耳に、意外な言葉が飛び込んだ。

「……やべぇな……」
「……」
「ドキドキしすぎて自分を保てない」
「……え?」

それは、あきらの口から零れるはずがないと思っていた言葉だった。

あきらは高校の時からマダムキラーと有名で、総二郎ほどではないにしろ、いわゆる「遊び人」に近い人間だと認識していた。
抱いた女は数知れず――いや、本当のところはつくしになど全くわからないのだけれど、経験が少ないことはまずない。
だから当たり前にこういうことに慣れているはずで、自分ごときで「ドキドキして自分を保てない」なんてことは絶対にありえない、とつくしは思っていた。

でも目の前のあきらは、間違いなく言った。
「ドキドキし過ぎて自分を保てない」と。
思わず、逸らしていた視線をあきらへと向ける。
そこには、照れ臭そうに微笑むあきらがいた。
どういうことだろうと考える。

( あたしに気を使ってる……とか? )

つくし一人だけをどうしようもない緊張の中に放り出さないためのあきらなりの気遣いだろうか。
きっとそうだ、そうであるなら納得できる。
けれどそんなつくしの考えを完璧に読んだあきらが言う。

「別に気を使ってるわけじゃないからな」
「え、ちがうの? だって――」
「ほら」

あきらはつくしの手を取って、自分の胸に押しあてた。
それだけのことで「ぎゃっ」と色気のない声が出そうな程びくついてしまうつくしだけれど、そこにはたしかに自分のではないもう一つの鼓動があって、それはドクドクと早鐘を打っていた。

( 美作さんも、本当に、あたしと同じ……? )

「言っただろ? おまえは特別だって」
「……」
「過去の経験なんて関係ないんだよ。特別な相手を目の前にすればとんでもなく緊張する。単純なことだ」

髪を撫でられて、慈しむように見つめられる。

「俺が牧野を抱きたいって思うのは、俺が男で牧野が女だから、っていうただそういう単純なものじゃない」
「……」
「好きだから隣にいたくて、好きだから手を握りたくて、触れたくて、好きだからキスしたくて、抱き締めたくて……それでも足りないから、抱きたいって感情になってる」
「足りない、から……」

あきらは頷く。
そして、くしゃっと笑った。

「なんて偉そうに言ってるけど、それをおまえに教わった」
「あたし、に?」
「そう。牧野を好きになって初めて、そのことに気付いたんだよ」
「……」
「知らなかったんだよなぁ。今まで」

まるで独り言のように響く、深い深いあきらの声。

「今までこんなふうにきっちり進んできたことなかったからな。求められるまま求めたっていうか、その時々の快楽を追ったっていうか。いい加減に相手してたつもりはないけど、真面目ではなかったから」
「……」
「自分から求めて一歩ずつ大事に大事に近づいたら、全然景色が違うんだもんなあ。こんなにも……」

紡がれる言葉、つくしを見つめる真摯で柔らかな瞳は、あきらの想いを真っ直ぐに伝える。

「一人じゃないよ、緊張も戸惑いも、ここから先も。」
「……」
「一人だけ取り残すなんてしない。少し強引なことはするかもしれないけど、でも置いていかない。絶対。」

「――だから、安心してすべて預けて。俺に。」と囁かれたその言葉に、つくしはこくりと頷いた。
想いは一方通行じゃない。緊張も不安も、この先に広がる世界の全てで、つくしはあきらと寄り添える。
爪先ほどの無理もなく、つくしはすべてを受け入れたいと思った。
そんなつくしにあきらは微笑み、そしてゆっくりと唇を寄せた。

重なる身体。溶け合う温度。
世界が彩(いろ)をかえていく。
初めての熱、疼き、痛み、悦び……すべてに戸惑い足掻き、そして受け止めながら。
耳に残るどこか切なげな吐息交じりの、優しく温かな声と共に。

「愛してる。……愛してるよ――つくし。」

あきらの声が、初めて「つくし」と名を呼んで、その先にあるまだ見ぬ世界へと導いた。
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2012.05.12 マンダリンオレンジの夢を見る
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