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マンダリンオレンジの夢を見る
COLORFUL LOVE
5
目覚めた時、あたりは闇に包まれていた。
それでも飛び込んでくる、見慣れた天井。
今は何時なのだろうと、ぼんやりした頭で考える。
けれどその答えに辿り着くより先に、サラリと髪を撫でられた。
ゆるりと視線を移すとじっと自分を見つめているあきらと目が合った。
その距離の近さにドキリとする。

( え? なんでこんな近くに? )

けれどつくしが考えるよりも先にあきらの唇が動いた。

「どうした? 大丈夫か?」
「え? ううん。どうもしない。……なんか、ただ目が覚めた……だけ」

やけに心配されてるなあと思いながらもやっぱりその理由に辿り着くよりも先に動くつくしの口。
けれど言っているうちに記憶が少しずつ甦って、どきりとするほどの距離の理由も、あきらの言葉の意味も、すべてを理解した。

( そ、そうだ。あたし、美作さんと…… )

刹那、ぶわりと顔が熱くなる。
ハッと触れた自分の肌は、当たり前に何も纏っていない。視界に入り込んだ隣に横たわるあきらもまた同じ。

( あーもうどうしよう。なんか猛烈に恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!! )

ますます顔が熱くなり、思わず布団を口元まで上げた。
本来なら、頭まですっぽりかぶってしまいたい気分だ。けれどそうしてすっぽりと入った布団の中には自分だけでなくあきらの身体もある。
それに思い当たってしまったらそれさえも出来なくて、口元まで引き上げるのが精一杯だった。
ふいに布団の中の脚が自分以外の肌と触れ合っていることに気付く。
自分でないならそれは考えるまでもなくあきらで、つくしは「ひゃあ」と声にならない悲鳴を心の中であげながら、もぞりと脚を動かした。

「…っ……」

その瞬間、下腹部に鈍い痛みを感じて思わず顔を顰めた。
「え、なに?」と咄嗟に思うけれど、それは紛れもなく初めての行為の余韻。
先程あきらが言った「大丈夫か?」はまさにこのことなのだ。
そうなると、その事実がやけに照れ臭い。
痛みも、それを感じる自分自身も隠してしまいたい気持ちが湧く。
けれど初めて知った痛みに身体はすぐには慣れてくれなくて、身動きをした際にふいに感じる鈍痛に微かに表情が歪んでしまうのは、どうにも抑えようがなかった。

「ごめん、やっぱりキツいよな……」

声に吸い寄せられるように顔をあげると、そこにはあきらの心配そうな瞳があった。案の定。
この状況で「全然平気」なんて言葉を吐いたところでそのまま鵜呑みにしてはもらえないだろう。それどころかさらに心配されてしまうのがオチ。
であればここは素直に言ったほうがいいのかもしれない。
つくしは小さく息を吐いて、苦笑交じりに言った。

「ちょっとだけ、ね。でも本当にちょっとだけだよ」
「……ごめんな」

言葉と共にあきらの手が伸びてきて、つくしはそっと抱き寄せられた。
痛みを感じないくらい、本当にそっと。

「やだ、本当にちょっとだけだし、平気だよ。そんな謝ったりしないでよ。美作さんのせいじゃな――」
「俺のせいだろ、確実に。」
「……あ、」

そう、それはたしかにあきらに刻まれた痛み。

「いや、まあそうなんだけど、でもそういうことじゃなくてさ」
「そういうことじゃなくて?」
「あ、あたしも、覚悟の上のことだったんだから。」
「……」
「だから、美作さんだけのせいじゃないよ。そりゃ痛いけど……でもこれは、美作さんと、その……深く、愛し合えた証っていうか……その……」
「……うん。うん、そうだな」

あきらは深く頷いて、そしてつくしの頭を撫でる。
静かに、そっと。優しく温かに。
流れる空気は柔らかく、あきらの指はこの上なく心地良い。
ついさっきまでとてつもなく恥ずかしくて動揺していたつくし。その上なんだかとても恥ずかしいことを言ってしまった気がしてひたすら頬が熱かった。
けれど、そのあきらの手が指が、程よくつくしの熱を奪い、その心を落ち着かせた。
――幸せだと、理屈じゃなく思った。

 

あきらの腕の中、自然と時間が巻き戻る。

脳裏に浮かぶ、あきらの優しく掠れた声。
つくしを抱きしめる逞しい腕。
重なりあった体温。
切なく揺れる瞳。

俗っぽい言い方をするならば、つくしはたしかに「女」になった。

 


あきらに貫かれたその瞬間、痛くて苦しくてどうにかなってしまうかと思った。
膝を割り開かれ下肢を支配されたその姿は、冷静になれば羞恥でしかないのだけれど、かつて感じたことのない痛みと着地点のわからない不安に震えるばかりのつくしはどうすることも出来なくて、言われるままに浅い呼吸を繰り返した。
痛みを訴える言葉は飲み込もうと思ってもなかなかうまくいかず、気付けば「痛い、痛い」と悲鳴にも似た声が涙と共に後から後から零れ落ちてゆく。
震えの止まらない下肢、どんなに力を抜くように促されても思い通りにならない身体……何を求めてるのか、何を得ようとしてるのかわからなくなってただ逃れたくて「もうやめて」と何度も口走りそうになった。
けれどその度に、あきらの想いが繋ぎ止めた。
これ以上は無理だと逃げ腰になっているつくしに、時には優しい口づけを、時には力強い温もりを、時には甘い愛の言葉を、あきらは惜しみなく与え続けた。
それに導かれて掬われて、つくしはいくつもの限界を乗り越えた。
そして二人はゆっくり、ゆっくりひとつになった。

深く繋がった状態で動きを止めたあきらが、つくしの涙を拭う。
その指先に導かれるように、ぎゅっと瞑っていた目をそっと開けると、そこにはつくしをみつめるあきらの瞳があった。
心配の色を滲ませた、優しく温かく、けれど確実に熱のこもったどこか切なげな苦しげな……それは紛れもない男の瞳。
「ごめん、痛いよな」と汗で額に貼り付いたつくしの髪をそっと梳き、そして言ったのだ。

「でも俺は、良過ぎてどうにかなりそうだ」

 

 

今改めて思い返せば、とてつもないことを言われた、と思う。
今再びそんな言葉を吐かれたら、恥ずかしくて居たたまれなくて、バシンとあきらの胸を叩いてしまうかもしれない。「もうなんてこと言うの!」と抗議をしてしまうかもしれない。
けれどそれは「今」であって、あの時は違った。
恥ずかしいとかやめてほしいとか、そんなことは微塵も思わなかった。
そうじゃなくて――身体の芯が、ズクンと疼いた。
耐えがたい痛みを感じていたことは事実だけれど、でもその瞬間、つくしはあきらを欲したのだ。たしかに。
勿論それをきちんと認識できたわけではない。つくしにはそこまでの経験も免疫もないから。
でも、彼が自分を欲していて、自分もまた彼を欲していることは感じられた。
多分、本能で。
嬉しかった。
嬉しくて愛しくて、胸がいっぱいになって、そしてさらに身体の芯が疼いた。

ふと、司の顔が脳裏に浮かぶ。
何年も前に見た、男の目をした司の顔。

( ……あの頃は、怖くて仕方なかったのに。 )

今するりと受け入れられたのは、大人になったからなのか、それとも相手があきらだからなのか。
おそらくそのどっちでもあるのだろうと思ううちに、司の顔は消えていた。

あきらの髪を梳く指が心地良い。触れ合った体温が心地良い。
ほんの少しだけその胸に擦り寄れば、ごく自然に髪に小さなキスが落とされる。
胸の奥にほわんと明かりが灯るように、くすぐったいような、ほんの少し痛いような、優しい感情が湧く。
ただ先程まで感じていた気恥ずかしさとは違う、どこか温かな安堵がそこにあることに気付いて、つくしは小さく息を吐くとすべての緊張を解いた。

部屋はしんと静まり返り、カチカチと時計の秒針が動く音がわずかに聞こえる。
そういえば今はいったい何時なのだろうかと思った。
――その時。

「なあ、牧野。腹減らない?」
「……え?」

あきらの声が――それも思いもよらない言葉がその沈黙を破った。
あまりにも突然すぎる展開だけれど、言われて考えて見ればたしかに少々空腹を感じる。

「うん、まあ多少」
「だよな。どっか出るか、うーん、ああデリバリーっていう手もあるか」
「……というか、今何時なんだろう?」

時計はベッドサイド、あきらの向こう側にある。
動けばまた鈍い痛みを感じることはわかっているから、そっと起き上がろうと体制を整えるつくし。
けれど動き出すよりも先にあきらが腕時計を――おそらく、つくしの置時計の近くに置いていたのだろう――手に取って見せてくれた。

「もうすぐ六時半」
「えーと……夕方の、だよね?」

外も部屋も暗いのだからそうだろうと思いつつも確認すると、あきらはクスリと笑って頷いた。

「軽く昼食って散歩行って帰ってきて……まあ間違いなく夕方だな」

「今日は夕暮れが綺麗だったよ、天気が良かったから」と囁くように言うあきら。
つくしは少し驚いたようにあきらの顔を見た。

「美作さん、ずっと起きてたの?」
「ん? ああ、なんとなくな」

さらりと答えるあきらの声を聞きながら、自分はいつの間に眠っていたんだろうと考える。
あきらが自分の中から出ていって、愛された熱と痛みでどこか朦朧としながらも「ああ、最後まで辿り着けたんだ」と思ったことは覚えている。

( ほっとして、一気に力が抜けたような…… )

あきらがキスをしてくれて、汗を拭ってくれて、「少し休めよ」と抱き締められた記憶が残っているから、きっとそのまま眠ってしまったんだろう。
そしてそんなつくしを、あきらはずっと抱き寄せていた……そういうことなのだろうか。

( どんなこと、考えてたのかな…… )

つくしと同じような安堵を胸にしていただろうか。それとも他の何かを感じていただろうか。
あきらの心を覗き見ることが出来たなら、なんて出来もしないことを思っても仕方ないことは百も承知。
それでも知りたいと思った。
ひとつになったその先で、あきらがどんな景色をみたのか。
何を感じながら今こうして隣にいてくれるのか。

「あ、そうだ。表参道に新しくレストランがオープンしたんだよな。帰ったらそこへ行きたいと思ってたんだ。……牧野、動けそう?」
「え? ああ、うん。大丈夫だよ」
「じゃあタクシー呼んで行くか。個室もあるって聞いてるからゆっくり……――」

( あたしと同じ気持ちでいてくれたら、いいな。 )

今はそれだけを胸に、つくしはあきらの言葉に耳を傾けた。

 

 

 **

 

 

( 何はともあれいっぱいいっぱいだったよね、最初は )

身体だけではなく心も許容制限を超える寸前で、いつだってギリギリのところを彷徨っていた。
ただ、あきらを愛しく思う気持ちは日々膨れて、求め合う行為は少しずつ日常に溶け込んだ。
今も十分ギリギリではあるけれど、でもあの頃に比べたら、少しは落ち着いて受け止められるようになったのかもしれない。

( でも常に新たな発見はあるような気がするけど。 )

「何考えてる?」
「……え?」

その声は突然耳に飛び込んできた。
ハッと我に返り隣でハンドルを握るあきらを見ると、その横顔は真っ直ぐ前を見つめながらもゆるりと口の端が上がっている。

「何か楽しい事でも思い出したか?」
「え? いや、ええと……その……」

頭の中を直接覗かれてしまっているような恥ずかしさに、思わず言葉がつまるつくし。
あきらはそんなつくしにチラリと視線を送って、けれどすぐに前を向いてさらりと言った。

「ま、具合が悪いわけじゃないなら別いいんだけどな」

「あれ、あんなところにコーヒーショップなんてあったっけ?」とあきら自ら話題を変える。
間違えようのない彼の優しさを存分に感じながら、つくしはそれにまるっと乗っかることにする。

「あ、ほんと、初めて見た気がする。オープンしたばっかりかな?」
「ああ、そうかもな」

( 言えないもん。美作さんとの初めての日のことを思い出していた――なんて。 )

たとえあきらが全てを理解していても。していなくても。

 

「ありがとう。忙しいのに送ってもらってごめんね」
「いいえ。俺のほうこそ早出に付き合わせて悪かったな」
「ううん」

アパートの前に着いた車の中、シートベルトを外しながらつくしはあきらと笑顔で言葉を交わす。

「また連絡する」
「うん。会議頑張って」
「サンキュ。牧野も頑張れよ。今日バイトもあるんだろ?」
「あ、うん。ありがとう」

降りようとつくしがドアに手をかけると、「牧野」とあきらの声がした。
反射的に振り向くつくし。
その時、あきらの手がすっと伸びて彼女の後頭部を捉えた。
え、と思うよりもずっと早く、引き寄せられて唇が重なった。
決して長くはないけれど、脳が痺れるような深いキス。
唇が離れると同時に漏れる熱を持った息。目を開けるとそこには目を細めて微笑むあきら。
ババババッとつくしの顔が赤くなる。
それを見てあきらはますます目を細めて嬉しそうに笑った。
慌てて車を降りるつくし。熱い頬を感じながら。
幾夜共にしても、それとは関係なく慣れないことがまだまだある。
この降り際のキスもまたそのひとつ。
しかもこんな濃厚なキスは反則だ。
――でも思うのだ。

( いつかあたしから出来たりしたら、美作さん驚いてくれるかな )

そんなことを考えるようになったつくしは、確実に着実に前進中。

「じゃあな」
「じゃあね」

笑みを交わし、あきらは車を発進させた。

走り去るあきらの車を、角を曲がって見えなくなるまで見送って、そしてつくしは「うーんっ」と伸びをした。
ふわふわと浮かぶ雲のように気持ちは軽く、太陽のようにキラキラした笑みが零れる。

「さーて、今日も頑張ろう!」

つくしはアパートの階段を駆け上がった。
Fin.

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2012.06.27 マンダリンオレンジの夢を見る
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