01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06-10 / 11-16
この先にあるのは同じ空色
COLORFUL LOVE
2
 *




 十二月中にあるだろうと思っていたあきらの海外出張は、中旬になっても何の予定も立たなかった。
 もしかして今年はないのだろうかと思い始めた矢先、昼休憩に二人でランチをして戻った車の中で、それは突然告げられた。

「専務、海外出張が決まりました」
「出張? いつ?」
「明後日からで、場所はロサンゼルスです」

 秘書の松本の言葉に、つくしは思わずあきらの顔を見た。

「そりゃまた急なスケジュールだな」
「すみません。今年は出張を入れないつもりでいたのですが、急な変更がありまして」
「そっか。いや、いいんだけどな。行かなきゃマズイことなんだろ?」
「ロサンゼルスで重要な会議があるのですが、出席予定だった社長のスケジュールがどうしても調整出来ないということで、こちらに連絡が入りました」
「あー、なるほど。それは行かないわけにはいかないな」
「はい。予定としてはその一件だけなので、数日で帰国出来ると思いますが、会議の進行具合にもよるかと……」
「わかった。……ということだ、牧野」

 あきらは苦笑いを浮かべてつくしを見た。
 つくしは小さく笑みを浮かべて、こくりと頷く。

「うん。わかった」
「おまえも今週末から来週は忙しいんだっけ?」
「そうなの。死ぬほど忙しいよ、って脅されてるところ」
「じゃあ、その忙しさに埋もれてるうちに、行って帰ってくるよ」
「うん。そうだね」

 海外出張へ行くかもしれないというある程度の心構えは出来ていた。だから然程驚くことはなかったけれど、いざ行くことが決まれば、やはり心の片隅に寂しさが湧く。
 そこでふと、つくしはあることを思い立った。

「ねえ、美作さん、明日の予定は?」
「明日?」

 あきらは松本に視線を送る。

「明日は十六時から会議が入っていて、今のところはそれが最後です」

 あきらの予定はすべて頭にインプットされているのか、スラスラと答えた松本に、今度はつくしが直接話しかけた。

「あの、ちなみにロサンゼルスへは、明後日の午前中に出発ですか?」
「はい。まだこれから手配するのですが、その予定でいます」
「牧野、それがどうかした?」

 あきらが片眉を僅かに上げてつくしを見る。
 つくしは、小さく頷いて話し出した。

「来週忙しい分、今週は比較的のんびりしてるし、多分土日のどっちかが出勤になるの。だから明後日の午前中にお休みもらおうかなって思って」
「明後日の午前中?」

 あきらは一瞬考えて、そしてすぐに笑みを広げた。

「空港まで見送りに来てくれるのか?」
「迷惑?」
「まさか。迷惑どころか大歓迎だ」

 あきらは目を細めて嬉しそうに笑うと、松本を呼んだ。

「松本、明日――」
「空港近くのホテルに予約を入れておきます。夕方の会議以降はオフにして、空港へはホテルから直接向かっていただくように準備を整えます。急ぎの案件は今日お願いすることになりますが、それで大丈夫ですか?」
「さすが。もちろん大丈夫。頼むよ」
「え? えっと、美作さん?」

 二人の間でサクサクと進んでいく話につくしが戸惑っていると、あきらは優しく微笑んだ。

「明日、仕事終わったら迎えに来る。そのままホテルに一泊するからそのつもりでいて」
「えっと、ホテルに泊って、そこから空港に?」
「そう。その方が出発までゆっくり過ごせるから」
「え、そんなこと、いいの?」
「もちろん。今、松本だって承知してくれただろ?」
「そうだけど……」

 無理を言ってるんじゃないかと心配になったつくしは松本の顔を見た。彼は、にこやかに笑みを浮かべて頷いた。まるで、ぜひそうして下さい、と言わんばかりに。
 そうなれば、つくしに断る理由などない。あきらの顔を見て、わかった、と頷くと、あきらは満足そうに笑った。

 そうして、出発前夜を二人きりで過ごし、あきらはロサンゼルスへと旅立った。




 *




「ロサンゼルスからロンドンかあ。つくしの彼氏って、いつもそんなに海外を飛び回ってるの?」
「いつもじゃないけど、出張は国内より海外のほうが多いかな。国内もあちこち行ってるみたいだけど、日帰りが多いから出張って感じがしないっていうか、あたしも知らずに終わってたりするっていうか」
「へええ。で、いつ帰ってくるの?」
「それがわかんないんだよね。ロサンゼルスにいる間は毎日連絡があったんだけど、ロンドンに行ってからは音信不通で」
「連絡ないの?」
「うん。着いた時にはメール来たんだけどね。それっきり」
「それっきりって、どれくらい連絡ないの?」
「今日で三日、かなあ」

 身を乗り出すようにして話を聞いていた美穂は、ぱちぱちと瞬きをして、はああと脱力したように背もたれに体重を預けた。

「なあんだ。三日か。一週間くらい連絡ないのかと思った」

 あまりにも深刻そうな顔してるから、と笑って、でもそれから何かを思い出すように宙を見つめた。

「でも気持ちはわかるな。私も学生の時に付き合ってた人が年上でさ、海外出張なんてなくて国内ばかりだったけど、でもやたらと出張の多い人で、ずいぶん寂しかったり嫌だったりしたもん」
「へえ。そんな彼氏がいたんだ」
「そう。結局、それに耐え切れなくて別れちゃったの。あたしは学生で時間が有り余ってたし、寂しい想いしてずっと待ってるなんて、ね」

 美穂は苦笑して、それから眉根に皺を寄せてつくしを見た。

「それにさ、知らないところで知らない人と何してるんだろうとか気にならない? 仕事してる時間はともかく、夜とか食事の時間とか。ホテルではどうしてるんだろうとか、誰といるんだろうとかさ。まあ、それを言い出したらキリがないってわかってるんだけどね。でもわかってても余計な想像しちゃってさ。しかも悪い方にばっかり」

 そして、「そっちの方が別れた直接原因かも」と小さく肩を竦めた。
 つくしはそんな美穂に小さく何度か頷くと、苦笑いを浮かべた。

「あたし、そこまで考えたことなかったかも」
「え?」
「いや、なんていうか……うん。考えてなかった。言われてみたらそうだね」

 美穂は一瞬目を丸くして、それから脱力したように笑みを浮かべた。

「つくし、信じてるんだね。彼氏のこと」
「いや、信じてるっていうか――」
「いいと思うよ。それってすごくいいと思う。私の場合は、前科ありみたいなところがあったの。だから余計に疑ったところがあってさ。つくしの彼は、信頼出来るってことだよ」

 そうかな、と微笑むと、そうだよ、と微笑み返してくれた。

「早く帰ってくるといいね」
「うん」
「大丈夫よ、きっと今日あたり連絡来るんじゃない?」
「……そうだね」

 そうだよ、と笑う美穂に、つくしも同じように笑って見せた。

 心の中は心配と不安が充満している。
 それは、今の話で心配になった、ということではない。
 やっぱり心を重くするのは、連絡がないという現実。

 あきらが忙しくしていることは間違いないように思う。
 ただ、どんなに忙しくても、あきらが連絡をしてこない日は、今まで一度もなかったのだ。
 時間さえ合えば、たとえ五分でも電話をくれた。時間が合わない時は、メールが届いた。だからつくしは、あきらのいない時間を寂しく感じたとしても、安心して待っていられた。
 こんなふうに連絡がないなんて、初めてだった。

「何かあったら連絡してこいよ。出れないこともあるだろうけど、極力出るようにするからさ」

 別れ際の言葉を思い出して、今朝、思い切って電話を掛けてみた。
 けれど、そこから流れてきたのは、期待していたあきらの優しい声ではなく、電源が入っていない事を告げる無機質な音声だった。
 つくしの中に広がる不安は、抑えようもない。

 ただ、仕事が忙しい事が救いだった。
 おかげで、そのことばかりを考えて過ごすようなことにはなっていない。そうでなければ、つくしは一日中そのことばかりを考えて、さらに不安を広げてどうしようもなくなっていただろう。
 そして、こんな風に話せる友がいることも良かったのかもしれない。誰にも言えずに一人で不安を抱えて、それでも何もない顔をして笑っていなければいけない、という状況にだけはならずに済むのだから。
 彼女の言葉に根拠があるわけではないだろうけれど、その言葉は今のつくしには心強かった。

「にしても、こんな時期に出張って、彼だって嫌だろうね」
「うーん。でも仕事だから仕方ないよ」
「そうだけどさ。でもほら、ヨーロッパってクリスマス休暇があったりするよね?」
「ああ、あるね」
「うちは違うけど、たしか美作商事本社もあるんじゃなかったっけ?」
「あー……あったかも」

 たしかに、その通りだった。
 美作商事は、クリスマス休暇を採用していた。但し、あきらいわく「日本はそんなに甘くないんだよ」と言うことで、出勤になることもあるらしい。
 ちなみに去年のクリスマス、あきらは思い切り仕事をしていた。

「だからさ、つくしの彼もヨーロッパにいるんだったら、そのあたりから休暇になるだろうから、帰ってくるんじゃないの?」
「どうなんだろうね。そうだといいんだけど」
「サンタクロース並みにお土産抱えてくるかもよ?」
「あはは! ……でもそれは、結構リアルにありそうで怖い」
「本当? つくしの彼、出張でもお土産絶対アリなほう?」
「アリ、だね」
「うっそー! すごい。いいなあ」
「あたしはいらないって言うんだけど」

 ため息交じりに言ったつくしに、美穂は驚いて目を大きくした。

「なんでよっ!」
「だって出張だよ? 仕事なんだからさ、お土産なんていらないでしょ。それもたまにだったらいいけど、毎回必ず何かしら買ってくるんだもん」
「いいじゃん。むしろ羨ましいよ。寂しい想いさせられてるんだから、それくらい貰っておけばいいんだって」
「そうかなあ」
「この際、高い物をねだってみるってどうだ?」
「「……え?」」

 突然、背後で男の声がした。
 驚いた二人が振り返ると、そこには見知った上司の顔があった。

「ぶ、部長!」

 それは、部長の平野だった。
 驚いて目を見開く二人に平野は笑みを浮かべ、「ここいいかな?」と二人が囲んでいるテーブルを指差した。
 二人だけで占領していた大きめの丸テーブルにはまだかなりの余裕がある。「どうぞ」と告げると、平野はちょうど二人と向き合う席に座り、水を一口飲んだ。

「部長、いつからいたんですか?」
「この時期の出張って……ってあたりかな」
「結構前じゃないですか! すぐに声掛けてくださいよ」
「ごめんごめん。どこで話しかけていいものやら、タイミングを計っていたんだよ」

 つくしは慌てて話していた内容を思い返し、特にマズイ内容はなかったことを確かめると、ほっと一息ついた。
 そして次に、その存在を平野に知られてしまったという事実を今更ながら認識して、口止めしなければ、と思った。
 けれどそれについて、つくしよりも先に美穂が口を開いた。

「部長。つくしに彼氏がいることはここだけの話にしてもらっていいですか?」
「ん? なんだ、秘密にしてるのか?」
「え、あ、はい」
「いろいろ事情ってものがあるんです。だから……」
「わかった。誰にも言わないから安心して」

 頷きながら微笑む上司に、つくしはほっと胸を撫で下ろした。

「牧野さんの彼氏は、外資系の会社に勤めてるのか?」
「え? ああ、あの、あたし、あんまり詳しくは知らなくて」
「でも海外出張が多いらしいんですよ」
「へえ」
「すごいですよね。ロサンゼルスからロンドン。世界中飛び回ってるって感じ。なんか仕事の出来る男像がもわもわと浮かんでくるなあ」

 美穂が口を挟んでくれて、つくしは助かったと思った。
 二人は、その話の中心人物――つくしが付き合っている男性があきらだということを知らない。
 あきらが二人と全く接点のない人物であるならば――たとえ美作あきらという人間が世間に知れ渡った存在であったとしても――つくしはもう少し気楽にこの話を出来ていたかもしれない。でも状況はそれとは真逆。しかも、その事実を公表する気がないつくしにとって、それは出来れば早く終わらせたい話題だった。
 けれどそんなつくしの思いなど知るよしもない二人は、「つくしの彼氏」を中心に話が盛り上がっている。
 そんな同僚と上司を前に、つくしは黙って水を飲んでいた。
 余計なことを言わないように、という思いから、自然と口が重くなるのを誤魔化すように、何度も何度も水を口に運んだ。

「ロサンゼルスにロンドンかあ。待つ方も寂しいだろうけど、飛び回ってる本人もさぞかし大変だろうな」

 上司のその声がつくしの耳に飛び込んできたのは、つくしが空になったグラスをテーブルに置いたその時だった。
 それは何気ない一言だったかもしれない。けれどつくしにとってはそうではなかった。
 平野が「時差もあるし疲れも溜まるだろう」と同情気味の表情で口にしたその言葉に、つくしは数日前に話したあきらの様子を思い出さずにはいられなかった。

「やっぱり、疲れますよね」

 突然声を発したつくしに、平野は一瞬意外そうな表情を浮かべ、でもすぐに元に戻し、話を続けた。

「そうだなあ。俺はそこまでハードな出張経験がないから想像でしか語れないけど。でも、間違いなく疲れるよな」
「……ですよね」

 つくしは小さく頷いて視線を落とした。
 数日前に聞いた、あきらの声が思い出された。本人は大丈夫だと言っていたけれど、思い返せば思い返す程、やっぱり疲れていたんだろうという思いを強くしていた。
 ロンドンに行ってから連絡が途切れたということは、ロサンゼルスにいた時よりも忙しくてしている可能性が高い。どれほどの疲れが溜まっているだろうかと思ったら、心配で胸がざわついた。
 ――やっぱり、そばにいないってもどかしい。
 何も出来ないだけに、余計に、胸だけがざわついて仕方なかった。

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