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この先にあるのは同じ空色
COLORFUL LOVE
3
「つくし、心配?」

 その声に、はっとして顔を上げると、上司と同僚、二人の視線がつくしに注がれていた。
 やけに心配そうに見つめられていることに驚き、つくしは慌てて笑みを浮かべた。

「あ、ごめん。……でもまあ、心配は心配かな。ロンドンに向かう前に電話があったんだけど、その時ずいぶん疲れた感じだったから」
「そっかぁ」
「うん。いつも穏やかな人なんだけど、なんか珍しくピリピリしててさ。直前まで会議をやってて頭の切り替えがなってないだけだ、なんて言ってたけど、きっとそれだけなんかじゃなくて……やっぱり疲れていたんだと思う」
「声だけでもわかる、ってやつか?」
「はい。……でも、あたしはそういうのにすごく疎くて、なかなかすぐに気付けないんですけど」

 そのせいで、余計に疲れさせるようなことをしてしまった。
 つくしはそんな自分が情けなくて仕方なかった。
 だからといってつくしに出来ることは何もない。

「どんな状態でいるとしても、あたしは帰って来るのを待ってるしかないっていうのが、なんだかやるせないっていうか……」

 無力さを感じる、とつくしは笑った。
 そんな彼女の言葉に、平野は小さく頷き、美穂は感嘆のため息を吐いた。

「なんかつくしって、すっごく良い彼女な気がする」
「え?」
「私だったら、やっぱり自分の感情が優先されちゃうかもしれない。心配はするだろうけど、相手が大丈夫って言えば、きっとその言葉のまんま捉えるし、大変なんだなあって思ったとしても、私だって寂しくて大変だよ! って思っちゃうかな。なんでもいいから早く終わらせて帰ってこーい、ってね」

 鬼だよね、と笑う美穂に、つくしはフルフルと首を振った。

「あたしだって同じだよ。でも……やたら面倒見のいい人っていうか、自分のことよりも周囲のことを気遣っちゃう傾向にある人だから、せめてあたしくらいは一番に彼の心配をしてあげなきゃって思うっていうか……まあ、そんなにいつもそんなに深く考えてるわけじゃないけど。なんか自然と心配しちゃうってだけ。何も出来ないくせにね」
「出来た彼女だなあ」
「ですよね? 部長もそう思いますよね?」

 平野はうんうんと頷いた。

「そんなふうに心配してくれる彼女がいるってのは、男冥利に尽きるよ。きっと元気に帰って来るさ」
「そうだよ。きっとすぐだよ」
「……うん」

 二人の言葉に励まされ、つくしはざわつく心が幾分落ち着いた気がした。
 おそらくそれは表情にも表れていたのだろう。平野は安堵したように表情を緩め、軽い口調で話し始めた。

「それにしても、牧野さんの彼氏がそんな仕事の出来る男とはねえ」
「ですよね、ですよね。ほーんと、羨ましい」
「いや、えっと……あたし、別に――」

 あきらはたしかに仕事の出来る男だと思う。詳しい事を知ってるわけではないが、おそらく間違いはないだろう。
 けれど、相手が誰であるかも言ってなければ、仕事が出来るかどうかも言ってはいないのだけど……と言いかけたつくしの気持ちは、言葉にする前に伝わっていたようだ。

「仕事が出来るかどうかなんて言ってないって言いたいの? そんなこと言わなくてもわかるよ。ね、部長?」
「そうだな。どんな規模の会社に勤めているのかわからないけど、何の役にも立たない男を海外出張させる会社なんてないだろう。まして、アメリカにヨーロッパにと飛び回れるだけの語学力があるってことだもんな」

 うちの会社にほしいくらいだ、と笑う上司。
 もちろんつくしは、なんとなく微笑むだけで何も言えない。けれど、そんなふうに言ってもらえることは嬉しく思った。
 美穂はそんな二人を交互に見て微笑む。そして気合いを入れるように両手を大きく上へと伸ばした。

「さあて、午後も頑張りますか」
「あ、もう時間?」
「まだもうちょっとあるけど、早めに始めないと終わらなそうで」
「あはは。そだね。戻ろうか」

 うん、と頷きあって、二人が席を立ちかけた時、平野が思わぬ言葉を発した。

「そうだ。明日の午前中、全員出勤にしようかと思ってるんだけど、どうかな?」
「え? 午前中ですか?」
「仕事残量的にはすっごく有難いですけど、清掃業者が入るって……」
「その清掃業者に、午後からにしてもらえないかって打診したら、了承もらえたんだよ」

 美穂の顔にぱっと笑みが広がった。

「うわー、今すごくホッとした。本気で終わらなそうだったんですよ」
「やっぱりそうか。実は俺自身も危うくてな。どうしようかと困ってた」
「あはは。そうでしたか」

 これはみんなには内緒な、と笑った平野につくし達は頷いて、そして今度こそ席を立った。
 これで少しは余裕を持って午後の仕事に取り組める、そんなどこか軽くなった気持ちを抱えて。

 けれどこの後、事態はとんでもない方向へ進んでいく。
 実はこの時もうすでに事態はそちらへ動きつつあったのだが、この時点でそれを知る人間はまだここにはいない。
 それを知るのは、午後の仕事に没頭した後のこと。
 この上司が告げる一言によって、つくしは思わぬ道へと突き進むことになるのだった。






「つくし聞いて。私、奇跡的に今日中に終わりそう」
「ホント? 良かったじゃん!」
「うん。良かったー。つくしが少し手伝ってくれたおかげだよ。ありがとね」
「いえいえ、どういたしまして」

 自分の仕事を終えたつくしと、終わるメドの立った美穂が笑みを交わしたのは、就業時間が終わりを迎えた直後だった。

「今日中に終わらせたら、明日は二人で他の人のヘルプ出来そうだね」
「だね。ほーんと、良かった」

 二人は少し休憩を取ろうとロビーに出た。けれど、五分も経たないうちに、中にいる社員に呼び戻された。
 部長から話があるらしいと言われて慌てて戻ると、部署内の社員すべてが集まっており、話があるという当事者の平野は、どこか複雑な表情を浮かべていた。
 そして、とんでもないことを言ったのだ。
 多分、そこにいる誰もが、一瞬話の内容を理解出来ずに目を丸くした。
 けれど確実に一番驚いたのはつくしで、困ったのもつくしだっただろう。

「突然で申し訳ないんだけど、明日は午前だけでなく、一日出勤してもらうことになりました。……というか、夕方から、ここにいる全員で美作商事主催のパーティーに出席することになりました」






「つくしっ! こっちこっち!」
「あっ、美穂! ごめんねー、遅かった?」
「ううん。まだ時間前だよ。ホテル内で支度してもらった人だけ集まってる」
「そっか」

 つくしはホッとして、歩きながらコートを脱いだところで、隣を歩く美穂の感嘆の声が聞こえた。

「うわぁぁぁ……」
「え?」

 一体どうしたのだろうと顔を上げると、美穂はつくしの全身をまじまじと見つめていた。

「つくし、このドレス……」
「え? ああ、知り合いから借りたんだけど……ヘン?」
「ううん。ううん。すっごくキレイ! つくし、すっごく似合ってるよ」
「ホント?」
「うん。さっきから髪型もメイクも綺麗だなあって思っていたんだけど、このドレスとぴったり。なんかなんか別人みたいだよ」

 放ってすぐに「それは失礼か、ごめん」と顔の前で手を合わせた美穂に、つくしは笑って首を振った。

「普段じゃ考えられない格好してるもんね。ドレスアップしてくれた人達の見立てや腕がいいの。あたしだって鏡見て、自分じゃないみたいっていつも思うもん」
「へええ……って、つくし、こういう格好すること結構あるの?」
「え? あ、いや、その――」
「あ、そっか。つくしは英徳出身だもんね。こういうパーティーはそれなりに出席する機会があるか」
「ああ、うん、そうだね」
「あ、ほら。あそこ。みんないるよ。早く行こう」
「うん」

 ――危ない危ない。余計なこと言っちゃダメだね。
 小走りに歩きながら、なんとか誤魔化せたことに、つくしはひっそり安堵の息を吐いた。





 *




 昨日の夕方。
 部長の平野が告げた美作商事主催のパーティーに出席するというとんでもない話は、その場にいる社員全員を大いに驚かせた。
 あまりの驚きに一瞬静まり返り、そして何か相図があったかのように、みんな一斉に様々な疑問を口にし出した。

「いったいどんな経緯で出席することになったんですか?」
「そのパーティーって一体どんなものなんですか?」
「他にはどんな方々が出席されるんですか?」
「どんな服装でいけばいいのか全然わからないんですけど」

 疑問に思うのはもっともな話。そこにいるのは、そんなパーティーには縁もゆかりもない普通の暮らしをしている人間ばかり。「パーティーなんて、お誕生日パーティーやクリスマスパーティーくらいしか知らないよ」といった具合なのだから。
 でも実は、困惑する社員達を前に、部長の平野も負けないくらい困惑していた。

「いや、俺もよくわからないんだよ。社長に呼び出されて行ったら、突然そう言われて……。とにかく、美作社長から直接招待されたということだけは間違いない。他の詳細はこれからなんだ」

 その言葉につくしはドキリとした。 
 美作社長といえば、美作商事のトップで、あきらの父親である。
 ――これって、あたし行って大丈夫なの?
 つくしの中では、どうして突然招待されたんだろうという疑問よりも、自分が出席して平気なのかどうかという不安のほうが膨れ上がった。
 でもきっと、そう簡単に断れる雰囲気ではない。

「明日から三連休だし、時季も時季だから、いろいろ予定も入っていると思うけど、美作社長から直接招待されたうちの社長の面目を保つためにも、ここはみんなで出席したいと思うんだけど……どうかな?」

 美作商事は親会社だ。よほどのことがない限り、その命令――ではないのだろうけれど、自然と業務命令に近い色を持つものに変化してしまうのは仕方がない――は絶対だ。
 最終的には、その場にいる全員が、戸惑いながらも頷いた。


 その後、残った仕事を全員で片付けながら、その途中途中でパーティーの詳細を知らされた。

 パーティーは美作商事本社主催で、中でも営業部が中心となっており、美作のグループ会社の重役たちが出席すること。
 毎年、幾つかの子会社の社員が招待されること。
 一見高級感漂う敷居の高いもののように思えるが、分かりやすく言えば「美作グループの忘年会」みたいなものだということ。
 通常、パーティーの招待は二ヶ月程前にあるのだが、今回は――どういう事情があったかは不明だが――急遽招待されたこと。
 ドレスコードは、正装か準正装。けれど、あまりにも突然で準備が間に合わないだろうから、希望者にはその準備のすべて――タキシードやドレスといった衣装や服飾品から、ヘアメイクまで――を手配してくれるということ。
 パーティーには、美作商事の副社長は出席するが、社長や専務は欠席だろうこと。

 最後の情報は、社員からの質問を受けた平野が社長から聞き出したことだったのだが、つくしにとっては何より重要だった。
 あきらもあきらの父親も海外にいるのだから、出席はあり得ない。そんなことは、聞くまでもなくつくしにはわかっていた。わかっていたけれど、やはりきちんとした情報が欲しくて、そしてその情報になぜか小さくがっかりした。
 美作主催のパーティーなのだから、出席を理由に帰国するかもしれない。
 無意識にもそんな希望を心のどこかで抱いていたから。

「それにしても、ドレスの手配までしてくれるなんて、信じられないくらい親切よね」
「この話が出た瞬間からそれだけが心配だったから、ホッとしちゃった」

 女性社員達の弾んだ話し声が聞こえる。
 おそらく男性達もそうだったとは思うが、女性達は特に、服装のことが一番心配だった。
 友人知人の結婚式に出席する時のような格好で構わない、と話はあったが、そうは言ってもその基準は曖昧で、一体どんな服を選べばいいのかと不安に思っていたところに、すべて準備すると知らされたのだ。
 気持ちも声も弾んで当然だった。
 あまりにも突然の招待だという理由はあるものの、不慣れな社員達でもスムーズに出席出来るようにというその配慮には深い優しさを感じる。
 つくしはぼんやりと、やっぱりあきらの父親だなあ、と思っていた。
 きっとそれは、いつもあきらがしてくれるのと同じ、極々自然な心遣いに違いないのだから。

 社員のほとんどが衣装やヘアメイクを希望する中、つくしはどうしようかと迷っていた。
 本当は、出来るだけ目立たないためにもここはみんなと同じように行動すべきなのだろう。
 けれど、気にかかることがあった。

 会場となるホテルは数週間前に社交パーティーが開かれたのと同じ場所。ホテルマンの中にはつくしの顔を覚えている者もいるだろう。けれどおそらく、あの一流ホテルの従業員達は、つくしに気付いたところで場の空気を察して余計なことを言ったりはしない。でも、衣装やヘアメイクといった準備のお世話をしてくれるのは、ホテルの関係者ではなく、美作家に出入りしている関係者の可能性が高い。そうなると、つくしが美作邸で会ったことのある人や、あきらに連れられて行ったブティックやサロンの人間もいるかもしれない。
 そう思ったら、なんとなくその場は避けたほうがいいように思えた。

 そしてもう一つ。
 あきらの母親が、ロンドンにいるあきらのことを何か知っているかもしれないという思いが頭を過ぎっていた。
 連絡が取れなくなったこの数日の間、何度となく訊いてみようかと思ったのだが、もしそれによって余計な心配をかけることになったら、と思うと訊けずにいた。けれど、パーティーに出るからドレスアップしたいと言えば、きっと喜んで招いてくれる。話をする時間も作れるだろう。そうすれば、さりげなく何かを訊くことが出来るかもしれない。
 そんな考えが、つくしの中で大きくなっていた。

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