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月色の雫
COLORFUL LOVE view of AKIRA
3
「松本、よくわかったな」
『帰国を早められたのは、やはりパーティーの為でしたか』
「やはり?」

 たしかに、司は予定を早めて帰国していた。パーティーに参加する為に。

 パーティーが決まったのは昨日の昼過ぎ。 場所を確保すると同時に、ダメ元で司にもメールで連絡を入れておいた。この年末に帰国することは知っていたから。
 ただ司の帰国予定はもっと年末ギリギリで、だからパーティー参加は無理だろうと思っていた。
 けれどそこは、世間一般の――「美作さんも十分世間一般ではないけどね」と牧野に言われるが――常識なんかでは語れない男、道明寺司。 おそらくギッチリ詰め込まれていただろう諸々のスケジュールを全て変更して帰国の途に就いた。

 

――――

『てめえ、そういう連絡はもっと早くしろよ。ったくグズグズしやがって』
「もちろんもっと早く決まってたらそうしたさ。こんなギリギリに決めたのは俺じゃない。文句は首謀者の総二郎と類に言ってくれ」
『なんだあきら、相変わらずのコマ回しか。変わんねえな』
「……司、おまえが言いたいのって、もしかして小間使いか? おまえこそ全く変わって――」
『あー、これで全部予定が狂ったじゃねえか。こんな忙しい俺に予定を変えさせるんだから、良い度胸だ』
「いや、そんな無理に参加しなくても――」
『何言ってんだ、俺様がいなきゃ盛り上がらねえだろうが。つうかそれよりも、数日後に帰った時「あのパーティー楽しかったなあ」なんて聞かされるかと思うと我慢ならねえ』
「まあ、そりゃそうだけど、でも司が帰ってきたらまたすぐにでもやれば――」
『うるせえ。俺の行動に一々意見すんじゃねえ。帰るって言ったら帰るんだよ』
「……」
『どうせ総二郎も初釜の準備やらなんやらで忙しいんだろ? 今回は特別に俺様がおまえ達のスケジュールに合わせてやるよ』
「……わかった。じゃあ気をつけて帰ってこいよ」
『ああ。でも飛行機操るのは俺じゃねえからな。気をつけようがねえ』
「ははは。ま、そうだけど。……司」
『なんだ?』
「帰ってきたら話したいことがある」
『……わかった。そっちでゆっくり聞く』
「ああ。待ってるよ」
 

――――

 

 メールを送って一時間後に掛かってきた電話でそう言った司は、それきり音信不通。向こうから連絡は来ていないしこちらからも、会場と時間を連絡した以外はしていない。
 ただ、間違いなく帰ってきてると確信は持てていた。言い草は相変わらずだったけれど、無謀とは違う自信と真摯な思いがきちんと感じ取れたから。
 いつの間にか司も大人になってる――そんなことを感じて、そんな司にも、それを思った自分にも笑みが零れた。
 ただこれは、あくまで司の私的な予定変更で、公にはされていない。このことをきちんと知っているのは、俺と、俺が話した類と総二郎、おそらくあとは司の秘書と側近数人だろう。
 そんな極秘情報をなぜ松本が掴んでいるのか。それが疑問だった。

「松本、知ってたのか? 俺が話したっけ?」
『いえ。私はつい数分前に崎さんから聞いたんです』
「崎?」

 崎は親父の第一秘書だ。崎ならば、ある程度の極秘情報を掴んでいても不思議ではないのだが、俺からのメール一通で強引に決めたこの予定までその耳に入ってくるのだろうか。
 ――崎と司の秘書って繋がってるのか?
 俺は思わず小さく首を傾げる。そんな俺の疑問が読み取れたのか、俺の言葉を待たずに松本がその答えをくれた。

『社長と崎さん、今日午後から道明寺社長に会われていたようです』
「え、そうなのか? じゃあ、そこで?」
『のようですね。私もあまり詳しくは聞いておりませんが』

 どういう形で耳にしたのかはわからないが、それならば十分あり得る。納得して一人頷く耳元に、松本の話は続く。

『社長と崎さんは既に向こうを出ていて、間もなくこちらに戻られると思います。おそらく、あと十分程かと。大木社長の来社は伝えておきました。戻り次第、社長自ら対応していただけるとのことです』
「そうか。助かる」

 松本の手際の良さにも、親父が戻るという事実にも、「助かった」と俺は深いところで安堵した。
 親父が会っていたのが司の母親だという事実は少々気になるところではある。仕事上の付き合いがあるから挨拶に行くのは決して不自然ではないのだけれど、年末の挨拶に行ったなんてことを今まで耳にしたことがなかったから。
 でもそれはひとまず脇に置いたとして、親父がもうすぐ戻ってくる事実は俺に大きな安堵をもたらした。
 俺の前に大木社長が現れて話をしていること。
 牧野の前に百合さんが現れて話をしていること。
 この二つが、偶然同時刻に起きているとはとても思えなかった。これが意図的にぶつけられているならば、どんなに言葉を尽くそうと、後日改めて話すことを提案しようと、俺はここから解放してはもらえない。「食事に」と誘われたのも、とことん俺を拘束したい意図があってのことだろう。俺を牧野のところへ行かせないために。
 一刻も早く牧野の元へ駆けつけたい。牧野の置かれる現実を知ったその瞬間から、至極当然にその想いは膨れ上がり流れ出し、今にも身体が震え出しそうな程だ。
 ――親父が来てくれたら……。
 そう思う気持ちが俺の中で燻っていた。こんなことで親父を頼るなんて情けないが、背に腹はかえられない。とにかく、一刻も早く牧野の元へ。俺の中ではそれが最優先事項だから。

『それでは私は』

 まるで俺の思考を読むかのような僅かな沈黙の後、松本が淡々と話し出す。

『大至急で、花沢様と西門様、それから道明寺様に連絡を取ります。それと、すぐに出られるように車の手配等をしておきますので』
「頼む」
『念のため、木下様の携帯番号をお聞きしておきましょうか? まだ平野部長と電話が繋がったままですので』
「そうだな。そうしてくれるか? それと、礼を。必ず礼を伝えてくれ」
『承知しました』

 内線電話はプツリと切れた。
 俺は受話器をゆっくり戻すと、ひとつ大きく息を吐いた。少しの安堵と少しの緊張と、残りは怒りなのか悲しみなのか悔いなのか。鬱々と煮詰まりうねり出す感情で息苦しかった胸が少しだけ楽になる。
 俺は一瞬ぐっと瞼を閉じ、それからゆっくりと振り返った。

「おまたせしました」
「いや」

 感情の乗らない声で形ばかりの言葉を交わし、後はただ互いの目を見据える。
 大木社長は、今の電話と俺の表情から、俺が全てを知ったことに気付いているだろう。それでも何一つ変わらぬ態度で、変わらぬ表情で俺を見つめている。大木社長にとってそれはバレてもかまわない事なのだと、一瞬で感じ取れた。
 バレてもかまわない――それはそのまま、俺の決断に反対する意思表示。何があろうとも、そこにブレはないということだろう。
 ――ブレねえのは、俺も同じだけどな。
 誰が反対しようが妨害しようが、関係ない。俺の想いも決意も、決して覆らない。
 だからあとは、俺は俺ができる最大限のことをするだけ。
 一歩、二歩、三歩――ソファに座る大木社長に、ゆっくりと三歩だけ近づいて足を止める。流れ続ける沈黙の中、すうっと息を吸い、そして言葉を放った。

「ゆっくり話したいと思っていたのですが、今日はその時間がなくなりました。理由は、おわかりですよね」
「……」
「率直に申し上げます。百合さんと、今以上の関係になることはありません」

 大木社長の眉がピクリと動いた。

「大木社長は先程、なぜ百合さんではダメなのかと尋ねられましたが、百合さんがダメなわけではありません」
「……」
「誰であってもダメなんです。私の心を捉えるただ一人の女性以外は」

 俺の心を捉えて離さない、ただ一人の女――牧野の笑顔が、俺の中に溢れた。やけに眩しく感じて思わず瞑った瞳の奥で、牧野が笑う。

「それが、牧野つくしという女性だと言うのか?」

 低く唸るように吐き出されたその声に、俺は目を開ける。
 何もかも知られたであろう今はもう名前を伏せる必要もない。大木社長の口から紡がれる牧野の名前に、俺は深く頷いた。

「君は本当にそれでいいと思ってるのか?」
「思ってます」
「一時の気の迷いでは済まされんぞ?」
「当然です。そんな軽い気持ちでプロポーズなんてしませんよ」

 大木社長の眉間に、今日一番の皺が刻まれる。

「私の結婚が、私一人の問題でないことは百も承知です。大木社長だけでなく、多くの人に反対されるだろうことも」
「それでも彼女を選ぶというのか?」
「ええ。ただ一つの選択肢ですから」

 大木社長は俺をじっと見据え、目を瞑ると被りを振った。

「理解出来ん。どう好意的に捉えようとしても到底無理だ。いったい牧野つくしというその女性のどこにそんな魅力があると言うんだ」
「……」
「英徳を卒業してるようだが決して裕福な家庭で育った人間ではない。抜きん出て頭が良いわけでもない。私が調べた限りにおいて、君が執着する特別な何かは感じられ――」
「俺を満月にする」
「……え?」

 視界のど真ん中に、言葉を遮られ動きをぴたりと止めた大木社長が居る。けれど俺の頭を胸を、そして瞳の奥をいっぱいにするのは、溢れる牧野の笑顔だった。

「牧野は、俺を満月にすることで出来る。だから、彼女なんです」

 口元に、自然と笑みが浮かんだ。
 大木社長の表情には、明らかに戸惑いが見えた。おそらく俺の発した言葉の意味を理解しあぐねている。それでも俺の覚悟の大きさだけは感じているはず。
 俺は言葉を重ねる。

「牧野に出会わなければ、俺は一生欠けたまんまのクレセントムーンでしたよ。仕事もプライベートもなんとなくこなして、転がり込む日常をなんとなく受け入れてなんとなく進んでいくだけのね」

 別にそれが嫌だったわけじゃない。小さな不平不満を抱えながらも、前向きに日々を楽しんでいた。多分それは、ずっと変わらずそうしていられたと思う。 そんな自分自身も嫌いじゃなかったし、俺をそうさせているかもしれない周囲の人間もとても好きだったから。
 でも俺は、牧野に出会った。そして、手を伸ばした。

「何の変哲もない、きっとどこにでも居る女です。牧野つくしは。だけど俺にはそうじゃない。特別な女性なんです」

 大木社長が俺の想いを理解したかどうかはわからない。けれど俺をじっと見据え続けるその視線を、俺は受け止め続けた。逸らす理由は、どこにもなかった。


 一分、二分と続いていく沈黙を破ったのは、ガチャリと無遠慮に開く扉の音だった。ノック音がなかったから、その姿が見える前に誰であるかがすぐにわかる。この執務室にノックせず入室出来る人間は一人しかいない。

「失礼するよ」

 声と共に姿を現したのは、案の定、親父だった。

「み、美作社長!」

 そしてその突然の登場に驚いた大木社長が声を上げ、慌てた様子で立ち上がった。

「今日は外出だとお伺いしておりましたが」
「ええ。たった今帰ってきたところです。こちらに大木社長が見えられてると耳にしたものでね」

 にこやかな笑みを浮かべてソファに歩み寄ってくる親父の後ろには、親父の秘書の崎、そして松本がいた。松本は俺と目が合うと、小さく頷いた。俺もそれに小さく頷く。

「そうでしたか。それはわざわざすみません。ですが今日は専務に話があってお邪魔させていただいただけなんです。社長もお忙しいでしょうから、どうぞ私のことは気になさらずに――」
「お気遣い感謝します。でも心配いりませんよ。もう急ぎの仕事はありませんから。それよりも、大木社長はあきらの婚約話のことで訊ねてこられたと聞いたもので」
「え……そう、ですが」

 あまりにも単刀直入な物言いに、大木社長はほんの一瞬言葉を詰まらせる。けれど親父は変わらぬ口調で言葉を続けた。

「でしたら私も無関係ではありません。何せ相手のお嬢さんを、私は大変気に入っていますからね」
「……」

 大木社長は絶句した。これぞまさに、絶句と言う言葉がぴったりの顔をしていた。

「ここから先はあきらに代わって私が話を伺います。ここじゃなんですから、私の執務室へ行きましょうか」
「いえ、でも」
「遠慮はいりません。ちょうど私も、このことで大木社長とゆっくり話す時間を作りたいと思っていたところですから」

 人の良さそうな笑みを浮かべて、けれど決して断る隙を与えない親父の話し方はさすがで、思わず感嘆の息を吐きたくなる。けれど親父は、俺にさえその隙を与えてはくれなかった。

「あきら、おまえはもう行きなさい。この後パーティーだと聞いたぞ」
「え? ああ」
「場所を予約した人間が遅れていったんじゃいろいろ不便もあるだろうから、急いだほうがいい」
「なんでそこまで知ってるんだよ」

 いろいろ情報源があってな、と親父の浮かべた笑みはとても深く、何もかもを把握しているだろうことを物語っていた。切羽詰まった心が少しだけ軽くなって、思わず軽口を叩く。

「わかってんなら、もうちょっと早く来てくれても良かったのに」
「そういうことなら、もうちょっと早く助けを求めてくれても良かったんだぞ?」

 俺以上の軽口で言い返してきた親父は、余裕の笑みを浮かべていた。

 

 そうして俺は、会社を出た。
 大木社長は俺を引き留めようとしていたが、「失礼します。またいずれ」という言葉だけを残して、あとは全面的に親父に任せた。
 社内を足早に歩きながら、松本から類達へ話した内容の報告を受け、木下さんの携帯番号を受け取った。そして用意された車に乗り込む。

「運転手をあまり急かさないでくださいね」

 それが、ドアが閉まる寸前に松本の言った言葉だった。やろうと思っていたことを指摘されて、思わず苦笑いを浮かべた俺を松本はどう思っただろう。してやったりの笑顔で送り出してくれた松本に、走り始めた車中で俺は、「ったく」と思わず呟いていた。

 

 胸ポケットの電話が鳴ったのは、走り始めて五分が過ぎた頃だった。ディスプレイには総二郎の名前が表示されていた。

「もしもし」
『お、電話に出たってことは会社を出たのか?』
「ああ、ようやくな。それで、総二郎――」
『話は聞いてる。よくある話すぎて笑えたぞ』
「まあ、な」
『そろそろ牧野に断るという選択肢を覚えさせたらどうだ? 今頃どんな顔して向かい合ってるやら』

 総二郎の口調はあくまで軽い。それは焦燥を感じている俺への奴なりの配慮だ。それがわかるから、俺は思わず深く息を吐いた。

「こうなることは予期してたんだ。だけどこんな早いと思わなくてな。正直、相当焦ってる」
『だろうな。牧野と面識のある女だって聞いたけど、どうせ良い面識じゃねえんだろ?』
「当たり。どちらかと言えば最悪だ」

 吐き捨てる俺に、総二郎は「やっぱり」と笑った。

『まあ、あんまり心配すんな。俺ももうすぐ着くし、おそらく類も同じようなもんだと思う。適当にその場をおさめておくさ』
「悪いな」
『いんや。……ところであきら、司から連絡は?』
「いや、ない」

 一応この一件は松本から伝えてあると話すと、総二郎は電話の向こうで「うーん」と考え込んだ。そして低く小さな声で言った。

『もしかしたら、一番最初に着いたのは司かも』
「そうなのか?」
『今レストランのすぐ手前まで来たんだけど、前に見える車、あれは司んとこの車じゃねえかなあ』

 総二郎が窓の向こうに目を凝らしながら言葉を発しているのがわかる。おそらくその情報に間違いはないだろう。
 司が一番に着いたらいけないことなど何もない。何もないのだが、僅かながらも畏怖の念を抱いてしまう俺がいるのも事実。きっと総二郎も同じような気持ちだろう。

『こりゃ相当荒れ狂った状況になってる可能性もあるな』
「……」
『まあ、牧野は大丈夫だろ。その場合、心配なのは相手の女だ。さすがの司も今更女をボコったりはしないだろうけど』

 でも司だからな、と恐ろしいことを口にする総二郎。だが司に関しては、それは笑い話にはならない。思わず乾いた笑いが漏れる。
 ただそうは言っても、司は牧野を困らせるようなことはしないと、それだけは確信が持てる気がして、心の奥には安堵が鎮座する。ただそこには複雑な思いも散らばって、俺は思わず目を瞑った。

『まあ何とかするから、あんまり焦らずゆっくり来いよ』
「悪い。頼んだ」

 通話を終えると、シートに身を預け目を瞑ったまま携帯電話を胸元に戻す。

 ――司は牧野を全力で守る。どんな形であれ、きっと。
 そこに一片の不安もない。それはとても心強く、頼もしい。それなのに、もやもやとした言葉にし難い感情があるのも事実だった。
 いや、言葉にしたくないだけで、その正体に俺は気づいている。自然と深い溜息を吐いていた。
 ――……みっともねえな。
 もう一度深く息を吐いて、そして目を開ける。
 とにかく牧野の元へ。それだけを胸に刻んで。

「急いでくれ」

 最大限急いでくれているであろう運転手にもう一度その言葉を告げ、俺はじっと前を見据えた。

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2011.09.11 月色の雫
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