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月色の雫
COLORFUL LOVE view of AKIRA
5

「もう、わかったわ」

 ようやく泣き止んだ百合さんが発したその声は、どこか達観したような乾いた響きを持っていた。
 ぼんやりと前を見つめて泣き止むその時を待っていた俺は、改めて彼女を見る。
 自分に定まった俺の視線を感じたのだろうか。彼女はグスリと鼻を啜り、ずっと俯いていたその顔を上げると、赤く充血した瞳で俺を見た。

「そんなにはっきり言われたら、もうどうしようもないわ。ここで私がどんなに自分の想いを伝えたところで、あきらくんの心は変わらない。一ミリも。……そういうことよね?」
「はい」

 真っ赤な瞳が、悲しげに揺れた。

「こんなにはっきり振られるなんて、思ってもみなかったわ。……つらいわ。本当に」

 瞳は再び涙が零れ落ちそうなほどに潤み、はあ、と吐き出された溜息は震えていた。つらくてつらくて仕方がない。言葉として吐き出されなくても、その想いは痛いほどに伝わる。
 それでも、俺はきちんと話をしなければいけなかった。最後まで。そうしなければ、牧野を待たせてまで彼女とこうして向き合った意味がない。

「今まで誤解をさせていた部分もありましたから、俺自身も言動には十分注意します。ただ、俺の気持ちは伝えた通り昔からずっと変わってませんから、きっとこの先顔を合わせた時にも、今までと然程変わることはないと思います」
「この先、顔を合わせることなんてあるの?」
「あるでしょう、普通に。仕事上の関係は継続するんですから」
「……それもそうね。私がこの先も父の秘書であり続けたら、あきらくんと顔を合わせることになるのよね」
「そうですよ。辞めるつもりですか?」
「そのほうがいいんじゃない?」

 俺は真っ直ぐに百合さんを見つめ、「どうしてですか?」と訊いた。訊かずとも、言いたいことはわかっていたけれど。

「だって、気にするんじゃないかしら、あなたの大切な人が」
「牧野がですか?」
「ええ。……それに」
「それに?」
「私は、そう簡単にはあなたを忘れられないわ。可能性がないってわかっていても」

 思った通りの言葉が返ってきた。どちらも。――そう、どちらも。

「百合さんの気持ちは俺のものではないから、俺がどうこうすることは出来ません。それについて口出しするつもりもありません。傲慢な言い方かもしれませんけど、好きでいたければいればいい。ただ俺は何もしません。その感情を気遣うことも、尊重することも」
「……」
「それから、牧野は……貴方の言うとおりです。間違いなく気にします。割り切るように必死に努力もするでしょうけど……でも、きっと無理でしょうね」

 視線の先で、彼女が小さく笑った。

「たしかに彼女はどんな小さなことにも一喜一憂しそうね。考えてることが全部表情でわかる人。さっき、そう思ったわ」
「そうですね」
「もっとポーカーフェイスでやり過ごすことを覚えないと、あっという間につけ込まれちゃうわよ」
「そんな器用なやつじゃありませんから、牧野は」
「そう。でも、そうね。彼女には必要ないのかも。あきらくんが全力で守っているものね」

 その言葉に、今度は俺が小さく笑った。自嘲気味に。胸の奥に重苦しい痛みを感じながら。

「なんでそんな顔するの? 私、間違ったこと言ったかしら?」
「いえ。間違ってません。ただ、俺は牧野を守り切れていないなって……そう思って」

 最近見たばかりの、牧野の傷ついた顔が脳裏に浮かんで、胸の痛みが増す。

「百合さんには失礼なことを承知で言います」
「何?」
「あのパーティーで貴方をエスコートしたこと。正直、死ぬほど後悔しているんです」
「……え?」
「あのことで俺は牧野を心底傷つけた。誤解させて、余計な邪推をさせて、別れることまで考えさせて……負わなくていいはずの傷を負わせたんです。――その傷、まだ全然癒し切れてなかった。そっと塞いで完全に治るまで見守って、ゆっくり忘れさせてあげたいって、そう思ってたのに」

 それなのに、俺はまた傷を負わせてしまった。その傷を抉る形で、更に大きく。更に深く。

「あいつは見た目ではわかりにくいところがあるから。どんなに明るく振舞っていても、どんなにしっかり立っていても、それが全部強がりだったりする時があるから。周囲に心配をかけないための、あいつの精一杯の気遣いだったりするから。俺はそれをよく知っていて、そんな無理はさせたくなくて……だから、この手で守りたかったのに」

 けれど思うままにはいかなかった。
 向かい合って一目でわかった。牧野が百合さんと向き合った時間に、どれほどの緊張と不安を抱えたか。
 その表情で、すぐにわかった。俺が百合さんとここに残ることに、どれほど複雑な想いを抱えているか。
 牧野はそのどちらにも何も言わなかったけれど――むしろ気丈にも、自分の想いを伝えることで前に進む姿勢を見せてくれたけれど、それでも牧野は割り切れない想いを抱えて、怯えにも似た不安を抱えて、深い痛みを感じていた。
 このカフェの店内――公衆の面前で、周囲の目を気にするあいつが怒ったり真っ赤になったりするかもしれないことを承知で抱き締めたのは、その消えない痛みを取り除いてやりたかったから。もちろん、「抑えきれない」と告げたその言葉に嘘はない。牧野が百合さんに告げた言葉は、俺に大きな喜びを与えてくれた。愛しくて愛しくてたまらなかった。
 でも――いや、だからこそ、牧野の心だけが冷えて震えているのは耐えられなかった。「不安にさせてごめん」なんてどこか表面的に聞こえてしまう言葉じゃなくて、「大丈夫だから信じて待ってろ」なんてわかりきってる言葉じゃなくて、俺が貰ったこの熱を分け与えたかった。それで、少しでも心が温まって、少しでも不安が小さくなって、少しでも重苦しい痛みを忘れてくれたら。――そう、思った。
 守りきれなかったのは俺だから。間に合わなかったのは、俺の落ち度だと思うから。

「貴方が牧野のことを知ればきっと会おうとするだろうって、俺はそこまで予測できていたのに守りきれなかった。貴方と貴方の親父さんの策略にまんまと嵌って身動きが取れなった俺は、すぐに駆けつけることも出来なかった」
「……え?」
「思いつく限りの手を打って守ろうとはしましたけど、でも現実には全然守れてませんよ」
「ちょ、ちょっと待って」

 ずっと黙って聞いていた百合さんが、不意に声を発した。

「父が、どうかしたの?」

 彼女の声にも表情にも戸惑いが滲んでいる。演技でもなんでもなく、思考回路の外側に突然ぽんっと押し出されたような顔。
 そこで気付いた。

 ――そうか。百合さんは何も知らないんだ。

 俺は、口を噤んだ数秒の間にありとあらゆる思考を巡らせた。そして小さく溜息を吐き、再び口を開いた。

「ここへ来る寸前まで一緒だったんです、大木社長と。突然俺を訪ねてきて、なぜ百合さんでは駄目なのかと」
「……父が、それをあきらくんに?」
「ええ。そこへ、牧野と貴方が一緒に居るという話が飛び込んできたんで、俺はてっきり二人が示し合わせてタイミングをぶつけてきたんだと思い込んでいたんですけど……どうやら違っていたようですね」

 決して示し合わせたわけではなく、娘の行動を察知した父親が娘のために一肌脱いだ。おそらく、そんな単純なことだったのだ。

「認めない、理解出来ない、自分の立場をわかっていない。散々言われましたよ」
「……そう。父が……ごめんなさい。黙っていてほしいって言われたのに、父に言ってしまって。私、本当につらくて、つい……」
「だけど、俺の名前は出さなかったんですよね?」
「え?」
「俺が牧野にプロポーズしたことは話したけど、俺がそれを言っていたってことは、言わなかったんでしょう?」

 よく考えればわかったんだ。なぜなら大木社長は言っていた。一体どこでそんな話を訊いたんだと問い詰めても、それは言えないの一点張りだったと。
 相手の名前を聞き出せなかった父親が、娘と示し合わせて行動するも何もない。
 それは、冷静さを失った俺が勝手に作ったシナリオで、決して現実に忠実ではなかった。

「でも、言ったも同然よね。あきらくんは、それさえも言わずにいてほしかったんだものね。本当にごめんなさい」
「俺も冷静じゃなかったですね。すみませんでした。決めつけて責めるような言い方をして」

 俺の言葉に、百合さんは泣き笑いするかのような複雑な表情を浮かべ、小さく息を吐いた。父親のことを考えているのかそれとも別のことなのか、視線を宙に彷徨わせ、それから俺を見た。

「父のこと、怒ってる?」
「別に怒ってませんよ。まったく認めてもらえませんでしたけど、それは当然の反応だと思ってますから」
「そう。なら、父とは今まで通りにお付き合いしてもらえるかしら?」
「ええ、もちろん。それにもう、百合さんのことも怒ってません。さっきも言いましたけど、百合さんとも変わらず顔を合わせるつもりですよ。それはそのまま、大木社長との関係も変わらないってことです」
「……良かった。このことで、うちと美作との関係がこじれたらって、一瞬心配になっちゃった」

 泣き晴らした顔を安堵に緩める彼女を見つめながら、俺は心の内でひしめき合う感情達が複雑に絡み合って交じり合って、更に複雑に膨れていくのを感じていた。それはもうあちこちを刺激してズキズキと痛い程で、やるせない想いばかりが膨れ上がって――気づけば、口を開いていた。

「後先考えずに怒り狂えたほうが良かったんですけどね」
「え?」

 それは本当に、思わず口をついて出た言葉だった。

「どういう、意味?」

 零れた言葉の真意を確かめようと、彼女が俺をじっと見る。
 俺はその視線の先で迷っていた。
 その言葉には、たくさんの感情がぶら下がっている。けれどそれは俺の中だけで片付けたい感情も多くあって、聞かせた人間を幸せにするようなことじゃなくて……。
 真っ直ぐに訊いてくる彼女と黙り込む俺の間に、沈黙が流れて、迷う心だけが揺れる。
 でも俺は気付いている。
 揺れていると思うのは、揺れていることにしたいからだということを。
 本当は揺れてなどいない。選択肢はひとつしかないのだ。
 もやもやと胸に巣食う感情が苦しくて。ドロドロと渦巻く感情が重すぎて。
 選択肢の全てが埋もれて消え失せていた。

「百合さんが、大木社長と示し合わせてこの状態を作り上げていたほうが良かったです。俺にとっては。もしそうなら、俺は何の躊躇いもなしに貴方を責められたから。計算高くやってのけてくれたほうが、俺にとっては都合がいい。怒りを爆発させてそこで自分を紛らわせることが出来るから。でも現実はそうじゃなくて……だから俺は、何も爆発させられない」
「……あきら、くん」
「知ってるんですよね、俺。百合さんが感情だけで動く純粋な人だってこと」

 そう。俺は知っていた。
 大木百合という女性が、その見た目の華やかさと気高さとは異なる純粋さを持つ女性であることを。計算高く見えて、実は意外とそうではないことを。無知で無謀で、自分の感情にひたすら真っ直ぐな人だということを。

「だからそんな貴方が、父親と結託してこんなことを起こしたなら、すっぱり切り捨ててやろうって思ってたんです。もしそうなら、貴方をどんなに責めても俺の心は痛みませんから。だけど……」

 だけどそうでないのなら。
 俺は彼女を責めきれない。この行動が想いの深さ故だと理解出来てしまうから。
 だからと言って、もちろんすべてを許せるわけではないけれど。

「貴方が今も変わらず俺の知ってる百合さんであるなら……俺の願いは聞き入れられるって思ってます」
「……」
「俺に黙って牧野と会おうとしたりしないで下さい。二度とこんな思いはさせないで下さい。こんな気分、二度と味わいたくない」

 吐き捨てるように言って、俺は視線を窓の外へと向けた。
 ライトアップされたカフェテラスに、寒そうに、けれど楽しそうに肩を寄せ合う笑顔が並ぶ。 けれど俺の瞳に映るのは、実際に見えているそんな和やかな光景じゃなくて、ドロドロと苦々しい想いが沈む己の胸の中。今にも飲み込まれてしまいそうなその感情の淵で、俺は必死にもがいている。
 そんな俺の言葉や表情は、一体どんな風に届いただろう。

「こんな、気分って?」

 小さな問い掛けが耳に届いた。
 視線をそちらにやれば、戸惑いが揺れる、幾分心配そうな瞳にぶつかった。
 ふと、心が零れた。

「こんな、惨めな気分ですよ」

 普段の俺なら、絶対に言わなかったと思う。この状況で彼女に本心をぶつけることなど、絶対にしなかったと思う。
 でも残念ながら今の俺は普段の俺じゃなくて、惨めな気分を抱えて鬱々としていた。――そう、もうずっと。

「牧野と二人でいるところに、一人、また一人と俺の友人が現れて……どう思いました? あいつらが百合さんに何を言ったか、具体的なことはわかりません。でも多分相当辛辣な言葉をぶつけただろうことは想像出来ます。厭な思いしただろうけど……あいつらは貴方を傷つけようと思ったわけじゃない。ただ牧野を守ろうとしただけです。あいつらは、牧野を守ってくれた。俺の代わりに。……頼んだのは俺です。俺がここに駆けつけるよりも確実に早かったから。困ってるだろう牧野を一秒でも早く助けたかったから。だけどそれは、俺が心から望んでたことじゃない」
「……」
「本当は――俺がこの手で牧野を守りたかった」
「……」
「一人二人と彼女を慕う人間が現れて、最後に真打ち登場。――そう言えば格好良く映るかもしれませんけど、真相は、ただ単純に遅れてきただけです。仕組まれた足止めにまんまと引っかかって。しかも必死に駆けつけたそこではすっかり話がついていて、もう出番もなし。格好悪いったらありゃしない、でしょ」

 ドロドロとした感情が、濁流となって蠢く。言っていることの整合性なんて考えられないくらい、このぐちゃぐちゃと絡まり膨れた感情を吐き出さずにはいられなかった。

「俺がしなきゃいけなかったのは、おいしいところだけ持っていく格好良い登場なんかじゃない。そんなものクソくらえだ。どんなに格好悪く映っても、一番に駆けつけて守りたいんですよ。そうじゃなきゃ、意味なんてないんですよ」

 文字通り、吐き捨てられたその言葉が、宙に舞い散った。

「守りたいんです。俺が、この手で」
「……」
「牧野は、黙って守られるような女じゃない。それを知ってるから、だから余計に守りたい。俺だけは。――ただそれだけなのに、それだけのことが酷く難しい」

 思い通りにならないのはいつものこと。自分の不甲斐なさを痛感するのも。でもこんなに心が荒れたのは、多分初めて。こんなに締め付けられるように痛いのも。
 理由は……――わかっている。
 牧野の隣に立ち牧野を一番に守ったのが、司だから。総二郎でも類でもなくそれが司だから。
 世界中のすべての敵から守れるだけの確かな強さを持つ、牧野が過去に惚れた男。
 自分がどれだけ小さいことにひっかかっているのかくらいわかっている。どれだけ小さいやつなんだと呆れてもいる。
 それでもこの気持ちばかりはどうしようもなかった。
 牧野は俺を待っていた。どんなに司が守ってくれていても、それでも俺を待っていた。
 それは紛れもない現実で、事実で。それを知っていて尚こんな想いを抱くなんて馬鹿げている。
 けれど、決して消えてはくれない。
 それもまた、間違いなく俺の現実だった。

 ガシャン――突然、店内のどこかで少々派手な音が響いて、俺はハッと我に返った。
 反射的に音のほうを見れば、慌てた様子の客と、駆け寄る店員。カップか何かを倒したのだろうと当たりをつけて、俺は小さく息を吐いた。
 突如響いた音の正体がわかったからではない。いつの間にかドロドロとした感情の真ん中に立っていたことに気付いたから。そして、それに飲み込まれる寸前だったことにも。
 ――……どうかしてる、俺は。
 ぐっと瞳を閉じて、意味を成さない想いを沈めた。今ここには必要ない。
 俺は改めて、百合さんに告げた。

「つまらない話をしました。全部忘れてください。わかってほしいのは、俺にとって牧野は唯一無二だっていうこと。ただそれだけです」

 言い切って口を噤めば、店内の遠慮気味な喧騒が耳に届く。
 ふと先程の席を見やると、元の空間が取り戻され、ちょうど店員が去るところ。
 いつの間にか昂っていた心を静めるには、ちょうどいい。ぼんやりそんなことを思いながら、俺はしばらくその空間を見るともなしに見ていた。
 やがて、ぽつりと呟くような声がした。

「あきらくんて、酷い人ね」

 その言葉に視線を戻すと、潤んだ瞳で俺をじっと見つめる百合さんがいた。俺の視線を真っ直ぐ受け止めた彼女は、ゆるりと目元を緩ませ、何かを懐かしむような微笑を浮かべた。

「私、あきらくんが『百合さん』って呼んでくれる笑顔と声がすごく好きだった。いつだって優しくて温かくて。ただ優しい人はたくさんいるの。でもあきらくんは私を特別視しなかったから。外見も育ちも年齢も関係なく等身大で私を見て話してくれる唯一の人な気がしてた。だから嬉しかったの。あきらくんが、人としての気遣いだけを持って接してくれることが」

 そう語る彼女の声や表情は、深い喜びに満ちていた。

「私はその優しさを、特別だと思ってた。そうじゃないって言われたけど、正直それを受け入れることが出来なかった。あれは絶対私だけのもので、私以外には向けられないものだって思いたかったし、そうとしか思えなかった。……でも、本当に違ったんだなって――今、実感してるわ」

 ぽつりぽつりと紡がれる言葉と共に笑顔が曇り、声に悲しみが滲む。

「今日のあなたは、私の知らない人みたいよ」
「……」
「牧野さんの前に立ったあきらくんは、まるで別人。声も表情も、彼女に触れる手も」

 脳裏に浮かぶ何かをはっきり捉えるように、その視線が宙を彷徨い、そして留まった。

「あきらくんってこんな風に笑うんだ、こんな風に話すんだ、こんな風に触れるんだ、って。本当に見てるだけで涙が出そうな程、優しくて温かくて深くて。――それを見ちゃったら、私が感じていた優しさは、本当に本当に特別なんかじゃなかったんだって……そう思ったわ」
「……」
「しかも、いつも冷静で大人な表情を見せるあなたが、彼女のことになるとあちこちに感情を揺らしている。切なくなったり悔んだり、思い通りにならないことに苛立ったり。――私、そんなあきらくんを今日初めて知った」

 言葉が止まり、はあ、と深く息が吐かれた。

「牧野さんと話しながら、自分との違いを必死に探してたの。私の何が受け入れられなくて、彼女の何が受け入れられたのか。何が足りなくて何が必要なのか。……でも、探すだけ無駄だったわね。そんなことじゃないんだもの」

 百合さんの視線がゆっくりと動き、真っ直ぐに俺を捉えた。

「その瞳には私が留まらないのよね、最初から。どんな時でも、その瞳には牧野さんだけがいる。唯一無二って言葉、今は胸に沁みるわ」
「……」
「でも」

 見つめる先で瞳がぐらりと揺れる。
 そして、震える唇から囁くような小さな声が零れ落ちた。

「でも、それでも、好きなのよ。どうしようもないくらい。だから……」

 声が震え、涙が頬を伝った。

「すっぱり嫌われたほうが、私にとっても良かったのかも。もう顔も見たくないって冷たくあしらわれたほうが良かったのかも。そんなのきっと耐えられないって思ってたけれど、今は、あなたのその優しさがつらい」
「……」
「こんな私に優しくしないで。心の内を見せたりしないで。認められている気がしてしまったら、諦められないじゃない。……それとも、これは私に対する罰?」
「……」
「あきらくんは酷い人よ。辛辣な言葉で罵られるよりも、ずっとずっと酷い。……本当に、あなたは……」

 言葉はそこで途切れた。

 随分経ってからぽつりと呟かれた言葉は、俺に対して告げたのか、それとも彼女の独り言なのか。
 けれど後から後から伝い落ちる涙の間から紡がれたそれを耳にした俺は、もうこれ以上の言葉はいらないことを悟った。
 彼女は俺の想いを理解した。今度こそ、きちんと。
 大木百合という人間を知る、俺の確信だった。

「だけどやっぱり好き。――……ごめんね」

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2011.09.30 月色の雫
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