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ミルクティー色に、そっと
COLORFUL LOVE view of AKIRA
3
 一礼して顔を上げた白川が、まっすぐにこちらを見た。

「美作専務にお話があります。五分でいいんです。お時間をいただけないでしょうか」
「俺に?」
「はい」

 思いつめた様子で俺をじっと見つめる白川に、嫌な予感がした。
 でも、まさかな、と思う俺もいて、ひとまず話を促す。

「……かまわないけど、何かな?」

 すると白川は、そこではっきりと視線を牧野に移した。

「牧野様。申し訳ありませんが、美作専務と二人だけでお話をさせていただくわけにはいきませんか?」
「……あ、ごめんなさい。そうですよね。じゃあ、あたし――」
「白川さん、一体何の話? 牧野がいたんじゃ話せないこと?」

 慌てた様子で動き出した牧野を制して、俺は白川をまっすぐ見据えて問うた。とはいっても返事を求めたわけではない。
 有り体に言えば、少々カチンときたのだ。
 白川が――俺ではない誰かが、牧野をこの場から去らせようとすることに。
 ここは俺の執務室で、入退室の権限は俺にあるのだから、二人で話したければ俺に言えばいい。牧野に言うべきことではない。
 しかもその俺が、出ていこうとした牧野を止めたのだから、それが俺の「今この場で二人きりになるつもりはない」という意思表示だ。つまりは「二人きりでなければ話せないようなことを今この場で口にするな」ということだ。

「仕事の話なら気にしないで話していいよ。彼女に聞かれてまずいようなことは何もないから」

 白川が聡明な女性だということを俺は知っている。
 だから汲み取ってほしかった。俺の気持ちを。どうかわかってくれ、と、乞うような気持ちだった。
 ――でも。

「仕事のことではないんです」

 俺の想いは、届かなかった。
 悪い予感ほどよく当たる――そんな言葉が頭をよぎって、心の内側に重苦しい嫌な感覚が広がっていく。

「プライベートなことなんです」
「白川さん、失礼ですよ。それ以上――」
「お願いします」
「白川さん!」
「今じゃなきゃダメなんです。今しかないんです。お願いします。五分だけ……三分でもいいです。お願いします」

 今度こそはっきりと声を荒げて制する松本をすっかり無視して言い募り、ガバリと頭を下げることで逆に松本を封じてしまった白川を前に、こらえきれない溜息が零れた。
 悪い予感は、本当によく当たる。忌々しいくらいに。

 どうしてこうなってしまうのか。どうしてこうなってしまったのか。
 考えたところで答えを導くことなど不可能だろうが、ひとつだけはっきりしていることがある。
 元凶は、俺だ。

 白川が何を思って何を言おうとここへ来たか。訊かずとも、その表情を見ればすぐに察しがついた。
 俺は、白川の好意に気付いていたから。
 ただ、直接告げられることのない想いはどうすることも出来なくて、見て見ぬふりをしてきた。気付いた日から今日までずっと。
 白川に限ったことではない。他の誰に対しても俺は同じことをしてきた。それが特段いけなかったとは思わないし、むしろ普通のことだと思っている。
 でも白川とは、先に話をつけておくべきだったのかもしれない。彼女の俺への好意のことも、牧野のことも。
 白川は、気心の知れた同期の一人であると同時に、同じフロアで働く唯一の同期だから。
 事実、俺は少しだけ迷った。小野に話すタイミングで一緒に話してしまおうかと。

 今日の午後、小野を呼び出した時に部屋まで案内してきたのが白川だった。
 三人で顔を合わせるのは久しぶりで、懐かしさも手伝ってほんの少し気持ちが緩んだ。
 このまま白川にも残ってもらって、一緒に話をきいてもらおうか。そのほうが後から白川だけ呼び出して話すよりもずっと自然だ。
 ――考えたことは考えたのだけれど、でもそうしなかった。
 やっぱり先に、小野にだけ話したいと思った。同期として。友人として。同じ男として。
 小野は白川に好意を寄せている。昔から一途に。白川はそんな小野の想いには気付かず、俺に好意を寄せている。このシンプルだけど複雑な構図があるからこそ、まずは小野に話すべきだと思った。
 そして白川は、気心の知れた同期の一人で、同じフロアで働く唯一の同期で、けれど、同じフロアで働く社員の一人――それ以上でも、それ以下でもない。無暗な特別扱いは避けるべき。
 それが俺なりの正義であり誠意だった。
 けれど、結局それは俺の独りよがりで、結果はこれだ。
 その存在やその想いに対する懸念は僅かなれど俺の中にはあったのに、「白川ならわかってくれる。白川なら大丈夫。白川なら……」――思い込みで手をこまねいた。
 どれだけ俺は甘いんだ。これでは百合さんの時と何にも変わってないじゃないか。
 心底、自分に嫌気がさした。
 とは言え、自分に腹を立てていたところで事態は何も変わらない。とにかくこの状況を何とかしなければ。

 静まり返る室内。
 未だ頭を下げ続ける白川がいて、苦虫を噛み潰したような表情でそれを見下ろしている松本がいて、俺の後ろにはおそらく戸惑い立ち尽くしているだろう牧野がいて。
 先程までとは一変してしまったこの部屋の雰囲気は、どう楽観視しても最悪だ。
 本音を言えば、今すぐ牧野の手を取ってこの部屋から出ていきたい。けれどそれでは何の解決にもならず、第一、牧野がそれを許しはしないだろう。となれば、今ここで白川の話を訊くしかない。この場を治めるためにも、この先の日々のためにも。
 それにはまず――。
 俺は観念して、視線を牧野に向けた。
「牧野、悪い。少しだけ外で待っててくれるか」――本意ではない、けれどこの状況ではベストだろう言葉を告げるために、すっと息を吸い込んだ。

「美作さん、あたし外で待ってるよ」

 沈黙を破ったのは俺ではなく、その視線の先の、牧野だった。
 吸い込んだまま行き場を失った息を吐くよりも先に、牧野が俺に微笑んだ。
 大丈夫だよ――微笑みの向こうに、声が聞こえた気がした。

「牧野様。牧野様がそんなことをする必要はありません。申し訳ありません、気になさらないでください。白川さん、とにかくその話は来週に――」
「松本さん、いいんですよ。今すぐ話したいことを土日ずっと抱えてるなんて休んだ気がしませんよ」
「ですが――」
「えっと、白川さん、でしたっけ……?」
「……はい」
「あの、頭あげてください。そんな頼み込むようなことじゃありませんから。ほんとに、頭あげてください」

 牧野の声はとても優しくて、その声に、白川がようやくゆっくりと頭を上げた。
 すみませんと小さく呟いた白川に、牧野はふるふると首を振る。

「美作さんの仕事が終わったので、ちょうどもう帰るところだったんです。だからゆっくり話せますよ。ね、美作さん?」
「牧野――」
「別に大急ぎの用事もないんだし、少し話を聞くくらいかまわないでしょう?」 
「そうだけど、」
「社員のプライベートな相談に乗ってあげることだって、専務として大事だと思うよ? 困ったときはお互い様でしょ?」

 俺がすべき決断を、すべて牧野がしていた。
 白川の気持ちも、頭を下げる理由も、これから紡がれるだろう言葉も、きっとすべてをわかった上で。わかっているのに、何にも気づかないフリをして。
 牧野は、こういう女だ。
 いつだって、自分よりも人の気持ちを優先する。もし自分が相手の立場だったら――いつだって、それを考える。息をするくらい普通に、自然に。
 牧野には、かなわない。――強くそう思った。

「牧野」

 部屋を出ていくその背中に呼びかけると、牧野はくるりと振り向いた。

「松本と受付のところで待ってて。すぐに行くから」
「うん。わかった」

 無理に浮かべたそれじゃない、いつもの笑顔。
 手を離してもどこへも消えない、いつもの牧野。
 俺はそれを確かめて、松本に牧野を託した。

「松本、頼む」
「はい」

 やがてパタンとドアの閉まる音がして、室内は再び静寂に包まれる。
 ふう、と大きく息を吐き、俺はソファに腰を下ろした。

「あの、」
「ん?」
「すみません。わがままを言って」

 未だドアの近くで身を硬くしている白川は、俺のよく知る彼女ではない気がした。行動も、そして表情も。
 けれど、それもこれも俺のせいなのだろう。
 ここへ彼女を乗り込ませてしまったのも、俺。強張った表情も……きっと俺のせい。
 思えば俺の表情も十分硬い。いつのまにか必要以上に神経を尖らせていたようだ。
 もうこうなったからには肩肘張ったところでどうなるものでもない。意識的に笑顔を作って、肩の力を抜いた。

「いや、かまわないよ。驚いたけど」

 ソファを勧めると、白川は自分が立っていることにようやく気付いたかのような表情を浮かべた。 一礼して近づいてくると遠慮気味に向かい側――さっきまで牧野が座っていたそこに座り、未だ硬い表情を俺に向けた。

「美作専務、私――」
「いいよ、専務なんてつけなくて」
「え?」
「プライベートな話なんだろ? だったらいつも通りでいいよ。俺も白川って呼ぶから」

「専務」に話したいわけじゃないだろうから、そのほうがいいだろう。
その提案に、白川の表情が緩んだ。ようやくいつもの白川だと思えた。

「で、話って?」

 本当は、こういう時は白川が話し出すのを待つほうがいい。けれど、牧野を待たせている以上はそんなわけにもいかない。それは白川もわかっているだろう。ようやく緩んだ表情を再び強張らせた白川が、俺をじっと見つめて、数秒の沈黙ののち、静かに俺の名を呼んだ。

「美作くん」

 その一言で。その声と、俺を見つめる瞳の揺れで。すべてが伝わる気がした。

「……私、美作くんが好きです。ずっとずっと、好きでした」

 思えばいつでもそうだった。白川は、いつだってそうやって俺に伝えていた。

「多分、初めて美作くんを知った入社式の日からずっと。新人研修で同じグループになって、どんどん親しくなって、美作くんをたくさん知って、私はその度に――……」

 白川の口から紡がれる俺への想いは、俺と白川が共有した時間のすべてだと感じた。俺の記憶に留まっていないような出来事の中にも俺がいて、その俺を白川が見ていた。
 こんなにも想ってくれていたのか、と。わかっていたけれど、それでもそれは素直に驚く程の深さだった。
 嬉しいと思う。よく知る人が、知った上でそうして想ってくれることを。けれど同時に、申し訳ないとも思う。どの時も、どの瞬間も、白川の一方通行だったのだから。
 やっぱりもっと早くどうにかするべきだったのだろう。特別でなくとも、こんなに近くから想いを投げられていたのだから。
 告げる言葉はどの時点でも変わることはないけれど、それでもきっと、もっと違う形があっただろう。

「ありがとう。それから……ごめんな」

 俺の言葉を真っ直ぐに受け止めただろう白川が、静かに微笑んだ。

「私こそありがとう。時間作ってくれて。最後まで聞いてくれて……本当にありがとう」

 白川は、聡明で素敵な女性だと思っていた。新人研修で出会って、少しずつ知って、今日までずっと。
 それに間違いはなかったと、改めて思った。
 不甲斐ないのはやっぱり俺だと、改めて悔いた。
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2018.11 ミルクティー色に、そっと
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