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硝子の靴
CLAP STORY (COLORFUL LOVE -Extra Story- view of MIHO)
2
 それ以降、少しずつではあったがつくしは恋人のことを話してくれるようになり、私は少しずつその人を知っていった。
 知れば知るほど程素敵な人で、もし私だったら、自慢することはあっても黙っていることは無理だなあ、なんて思った。そして、それでも黙っているからには、やっぱりそれなりの理由があるんだろうと益々強く思うようになった。
 恋人の存在をようやく共有できた当初は「そのうち会えたりするかも」なんてことをこっそり思ったりもしたのだが、思った以上にその道のりは長く険しそうだと思い直したりもした。

 だから今。つくしが「会ってほしい」と言っていることが、私はすぐには信じられずにいるのだ。

「やっぱり嫌……かな。こんな突然」

 不安を滲ませた顔で言うつくしに、私は慌てて首を振る。ぶんぶんと音がする程。

「ううん。全然嫌じゃない。むしろ大歓迎。すっごく嬉しい。だって私、ずーっと前から会ってみたいと思ってたから」
「本当に?」
「うん。本当に」
「そっか。ならよかった」

 つくしは安堵の笑みを浮かべた。

「でも……本当にいいの? 彼に了解は得たの?」
「ううん、これから。今、メールで相談したいことがあるって送ったから、そのうち電話が来ると思うんだ」
「じゃあ、まだ本決まりじゃないのね」
「うん」
「なんだ」
「あ、ごめん。でも、み――……彼は、絶対に大歓迎だから。仕事の都合でダメって言われることはあるかもしれないけど」

 ――っていうことは、誰にも言わずにいるのは、彼の意思ではなく、つくしの意思ということなのね。
 何となくそんな予感はしていたが、やっぱりそうなんだ、と改めて思う。
 自分の存在を隠し通そうとする恋人を、彼は一体どんな風に感じているのだろう。もちろん、そのことを知らないわけはないし、理解を示しているからこその今なのだろうけれど……もし彼が、恋人の同僚である私に会う事を喜んで受け入れるとしたら、理解は示していたものの、彼の本心はまた別だったのかもしれない。普通に考えればそうだろう。自分の恋人がフリーだと思われて嬉しいことなどないだろうし。
 ――まあその辺は、相手がどこの誰なのかが判れば、全部綺麗に片付くことかな。いざとなれば本人に聞くこともできちゃうかもだしね。
 余計なことと知りつつも、そんなことを考えていた。

 間もなく、本当に彼から電話が来た。
 すごく忙しい人のようだがこうした時間の融通は利く仕事なのか、つくしからの滅多にない電話の催促だから無理してでも時間を作っているのか――これは私の勝手な想像だが、つくしが彼に無理を言うのは極々稀なのではないかと思う。寂しくても寂しいとなかなか言えない子だもん。仕事中に電話をくれなんて、滅多に言わないだろう――、とにかくあまりにも早かったから驚いた。つくしは、「あ、来た来た」と嬉しそうに通話ボタンを押す。

「もしもし。ごめんね、忙しいのに。……そうなの。今日ね、三時で仕事が終わりになっちゃったの。ほら、先週――」

 仕事が早く終わりになった理由を説明するつくしの声は弾んでいて、彼と話せることが凄く嬉しいんだろうなあと、隣でぼんやり聞いているだけでもそれははっきりと伝わってくる。なんだかその横顔がやけに可愛いくて、思わず笑みが浮かぶ。
 そんな私の視線に気付くことなく、つくしはどんどん会話を進め、話題は本題へと入っていく。

「あのね、美穂も連れていっていいかな? 突然、すぎる? ………良かった」

 つくしの言葉と表情から、彼がすんなり了承してくれたことが窺えた。つくしは私の顔を見た。「ほらね」と言いたげに。
 その後も私の顔を見つめたまま話は続く。

「美穂? うん。話した」

 今度は彼に、私の意思を問われているのだろうと思った。

「私は是非お会いしたいです、って伝えて」
「うん。是非お会いしたいです、って……今隣で言ってる」

 彼と話しているつくしの表情は、コロコロと色を変える。穏やかだったり、楽しげだったり、苦笑したり頬を引き攣らせたり……それでも終始、とても幸せそうで、おそらく電話の向こうの彼も、声は漏れ聞こえてこないが、きっと同じように幸せを滲ませて穏やかに話しているんだろうなと想像出来た。

 ――いいなあ……。
 別に今すぐ彼氏が欲しいなんて思わない。でもこういう表情を見ていると、その温かさに心が疼く気がして、私はしばらくつくしをぼんやり見つめていた。
 それから、あまりにもじっと見つめているのも聞き耳を立てているみたいで悪い気がして、私は何気なく自分の携帯電話を取り出した。
 その時だった。

「……え!?」

 つくしが、当然大きな声を出した。
 驚いて見ると、つくしは驚きと戸惑いを露わにしてオロオロと言葉を繋げていた。一体何がどうしたのかはわからないのだが、「美穂と一緒でも、さすがにそこは勇気がいるよ」という言葉が飛び出したりしていて、つくしにとって予定外の何かが起きていることだけは予想がつく。しばらくして、覚悟を決めたように「わかった」と言ったから、話がまとまったであろうこともわかったけれど、やっぱり困惑を隠せないのか瞳を左右に動かしている。

「どうかしたの?」

 小さな声で訊くと、つくしは困ったように眉を寄せ、「どうしよう。会社まで行くことになっちゃった」と囁くように言った。
 ……それがどうしたと言うのだろうか。最初から、彼の会社の近くまで行くという話をしていたではないか。それが、会社の近くじゃなくて会社まで行くことになったからと言って、どんな問題があるというのだろう。会社の目の前や、もうちょっと踏み込んでロビーで待ち合わせることくらい、別になんてことはないのに。
 それが私の率直な気持ちだった。
 それよりも「着いて行ったら私は彼の会社まで知れるんだ」とそっちに反応してしまう。ちょっとした期待と好奇心で心が浮き立つのを感じている間に、つくしは再び彼と話し出す。時間などの約束をして、それからつくしは「ちょっと待って」と断りを入れてから私を呼んだ。

「美穂、今日何時まで平気?」
「え、何時まででも平気だけど……なんで?」
「夜、一緒にごはん食べようって」
「えー。嬉しいけど、でも遠慮しとく。二人で行きなよ」
「なんでよ。一緒に行こうよ。是非って言ってるからさ」

 つくしは「いいレストランとかいっぱい知ってるから、美味しい物食べられるよ」と声を弾ませたが、私は本当にそれに頷いていいものか迷っていた。今日初めて会う相手だし、突然ご馳走になるってのも図々しいだろう、そしてそれ以上に、つくしは彼と二人でゆっくりしたいのではないかと思ったのだ。彼は海外出張から帰ってきたばっかりで、ようやく二人で過ごせる時間が出来るのだから。
 つくしの顔をじっと見る。「いいでしょう?」と笑みを浮かべて小首を傾げるつくしからは、本心を隠しているような、そんな影めいたものを感じることは出来ない。私に気を使っている、ということは多分ない。感じられる範囲では。
 ――まあ、いっか。お邪魔なようなら後で断ってもいいもんね。
 心の中で結論を出した私はつくしに向かって頷いた。つくしは嬉しそうに笑みを広げ、彼に報告すると、あっという間に話をまとめて電話を切った。
 携帯電話を鞄の中に戻しながら、つくしは声を弾ませる。

「美穂、何が食べたい? 考えておけって言われたんだけど……私、そういうの思いつかないんだよね」
「そんなの私だって思いつかないよ。というかそもそもご馳走になる私が意見出来ると思う?」
「まあそうなんだけどさ」
「連れて行ってもらうんだもの。どんなものでも美味しく有難く戴くわよ。つくしの彼なら絶対ハズレはないだろうし」
「うん。それは大丈夫。安心して」

 つくしが選び与えられている物のセンスとか、話を聞く限りの印象で適当なことを言った私だったが、どうやらその読みは当たっていたようで、つくしはすんなりと認めて嬉しそうに笑った。
 今日は何が食べたい気分かなあ、なんて真剣に悩むつくしの呟きを聞きながら、私とつくしはカフェに向かって歩き出す。けれどつくしには、それよりも気になることがあるようで、呟きはすぐに話題を変えていた。

「あー、それにしても緊張するなあ。どうしよう、行くなんて言っちゃったけど。大丈夫かな」
「彼の会社に行くのって、そんなに緊張すること?」
「え? ……あ、その」

 もしかしたらそれは、心の中で呟いたつもりだったのかもしれない。どうやらつくしは独り言が表に出てしまうタイプのようで、今までにもそんなことはよくあった。だから私もあまり気にせず、流せることはそのまま流すし、興味を惹かれれば口を挟む。今回は後者だったのだが、つくしは驚いた顔をして、それから少々気まずそうに笑った。

「そう。……初めて行くの」
「へえ。でもいいじゃない、別に」
「いや、そうだけどさ、そうじゃないっていうか……そう簡単じゃないっていうか」

 ブツブツと言い募るつくしに私は小さく笑い、前を向いて歩き出した。恋人の会社に随分拘るなあと、不思議に、そして少々可笑しく感じながら。それでもそれ以上はそのことを追求せずに「今日はいつもより暖かい感じがするね。時間が早いせいかな」なんて他愛もないことを言いながら。
 私の頭の中は、これから会うつくしの恋人のことでいっぱいだった。一体どんな人なのか、会社はどこなのか……あれもこれも気になって仕方ない。
 ――だからと言って、突然根掘り葉掘りあれこれ訊くのもおかしいわよねえ。
 数時間後には確実に会える相手なのに、今すぐにでも会いたいような、でも会うまでの時間、考えを廻らせて楽しみたいような……隣で緊張を顔に貼りつけてどこか落ち着かない様子のつくしとは別の理由で、私もそわそわと落ち着かずにいた。



「かわいいラテアートって、飲むのがもったいなくなっちゃうよね」
「わかるー。でもこれ、すっごく美味しい」

 カフェに着いた後も、私とつくしはこれといって確信に触れる会話をしていなかった。余裕で合格点の居心地の良い店内について語ったり、飲むのがもったいないほど可愛いラテアートが施されたカフェラテに感動したり、会社でのちょっとした出来事を話して笑い合ったり。それは極々普通のありふれたティータイムだった。
 でもつくしがどこか落ち着かず、私の様子を窺うようにちらちらと視線を送っていることには気付いていた。何か話したいことがあるんだろうなと、きっとそれは、これから会わせる恋人のことなのだろうなと、その心中を察することは容易で、でもこちらから口火を切っていいものか、そこが悩みどころだった。
 ただ、このつくしの様子では、いつまでもこの状態が続いてしまう。そんな予感がした。

「つくし、どうしたの? 恋人を私に会わせるのがそんなに緊張する?」

 私から話し出したことは、ある意味正解だったと思う。つくしはゴクリと唾を飲むと、緊張の面持ちで私を見つめた。

「あのさ、美穂」
「ん?」
「……気に、ならないの?」
「何が?」
「これからどこへ向かうとか、誰に会うとか……」

 つくしは私が訊くのを待っていたのだ。私の様子をこっそりと窺いながら。「いつだろう。なんて言うだろう」と私の思考を想像しながら。でもそれでは話が進むわけがない。私はつくしが話し出すのを待っていたのだから。

「もう訊いてもいいの?」
「え……」

 つくしは不思議そうな顔をした後、ハッとして、「あ……」と小さく声を漏らした。私が訊くのを躊躇う理由に、その時ようやく思い当ったようだった。
 ――ああ、そうか。
 そんなつくしに、私もようやく理解したことがある。
 つくしはこれまで、私や会社の人間に限らず、恋人の存在をあまり公にしてきていないのだ、きっと。学生時代からつき合いのある友人達はさすがに知っているだろう。けれどそこでも、つくしから進んで話すことはないのかもしれない。
 誰かが気付いて声をかける、訊き出す、自然と話が伝わる範囲の仲間内だけで共有する。きっとつくしとつくしの恋人の関係は、ごく親しい少数の人間のみが知り得るものなのだ。だからこういう状況になった時、自分から話さなければという考えに至らない。あまり経験がないから。
 つくしにとって、恋人の存在を明かすというのは、私が思っている以上に大きなことで、それだけでも余裕がなくなってしまうことなのかもしれない。
 目の前に座るつくしの緊張が、ほんの少し理解出来た気がした。
 それならば、私から知りたいことをぶつけた方がいいのだろう。そのほうがきっとつくしも話しやすいのだろうから。
 ――となれば……。
 何から訊こうかと頭の中をぐるりと廻らせ始めた時、つくしがものすごく気になることを口にした。

「あのね、これから会う人なんだけど……美穂が知ってる人なの」
「え、知ってる人?」

 刹那、頭の中がぐるんと回転して、それから猛スピードで様々なことが右から左、左から右へと廻っていった。
 ――私の知ってる人? 知ってるっていうことは……。

「知ってるっていうのは、会ったことがあるってこと?」
「うん。そう」

 そのつくしの返事に、頭の中をすごいスピードで駆け巡る全てのものが少しずつ速度を緩めて、形になっていく。そして浮かんだ可能性を――私の中では確信に近いものなのだが――ぶつけてみた。

「つくしの彼って、もしかして美作商事の人?」

 つくしの目が大きく見開かれた。

「やっぱりそうか」

 言葉は何もなかったが、それで充分だった。

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