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硝子の靴
CLAP STORY (COLORFUL LOVE -Extra Story- view of MIHO)
4
 *


 つくしが帰って間もなく、美作専務が私達のところへ挨拶にやってきた。その後ろにはもちろん大木社長の娘がいて、にこやかに笑みを振りまいていた。けれど美作専務の顔には、それほど鮮やかな笑みはなかった。注意深く見なければわからないかもしれない程度ではあったが、どこか落ち着きがなく、笑顔の奥で全く別のことを考えているように感じた。どうしたのだろうと思いながら、平野部長と話す美作専務を見ていると、ふいに美作専務が私達を見渡して言ったのだ。

「今日は部署全員で出席してくださったのですか?」

 おそらくそれは平野部長に行った言葉なのだろう。けれど言葉を言い終える頃、どういうわけかその視線は真っ直ぐ私に向けられた。「ええ、全員です」と部長が答えたけれど、私はその真っ直ぐな眼差しに操られるように言葉を継いでいた。

「あ、でも一人先に帰りました。具合が悪くなったみたいで」

 そこまで詳しく知りたいわけじゃないかもしれないと思いながらも、なぜかそう言っていた。

「一人で帰られたんですか?」
「はい。一緒に行こうかって言ったんですけど、人に酔っただけだから大丈夫だって」

 美作専務はどこか思いつめた表情で何かを考えながら数度頷いた。それから、そんな美作専務をじっと見つめる私達ロサードの人間全員に向かって優しい笑顔を向けた。

「こういうパーティーは慣れない格好で慣れない時間を過ごすので、皆さんも無理しないで、疲れたらロビーで休むとか、抜け出して帰ってしまうとか、自由にしてくださいね」

 私達が頷くのを確認すると、あっという間に笑顔を残して去って行った。
 平野部長と私の直属の上司である佐々木課長はその後ろ姿を見つめながらポツリポツリと言葉を吐く。

「カッコ良すぎるよなあ」
「ですね。改めて、完敗です」

 感服したような感動したような、そんな笑みを浮かべていた。常日頃から美作専務に夢中な先輩達は、その場に座り込んでしまうのではないかと心配になるほど蕩けていた。

「なんて素敵なの。なんであんなに優しいのかしら。あんな人を知ってしまったら、もう誰を見てもときめかないじゃないのよ。どうしてくれるのよぉ」
「ホントよね。あんな素敵な人とはもう二度と出会えない気がする」

 大袈裟な言葉を並べて悶え嘆くその様子、普段なら呆れ果ててしまうかもしれないが、この時ばかりはぶんぶんと大きく頷きたい気分だった。私だってそう思ったし、見つめられてドキドキした。こんな人が自分の勤める会社の本社専務でいてくれることを誇りにさえ感じた。


 *


 今ならわかる。あれは私とつくしが会場内で一緒に居たのを見ていた美作専務が、姿の見えないつくしのことを心配して、情報を知りたくて私に視線を向けたのだ。きっと美作専務はすぐに、つくしが帰った本当の理由に辿り着いていたに違いない。

 その後、先輩数人――もちろん女性――と私は、ロビーで本社営業社員と話をしたのだけれど、携帯電話を握りしめた美作専務が数回前を通った。
 何気なくその姿を追うと、ロビーの隅へ行って電話を掛けていた。とても真剣な横顔だった。
 同じようにその姿を目に止めた誰かが「専務、トラブルかな?」と呟いて、「大変だよなあ。帰ってきたばかりなのに。あちこちから頼られるからな」と続いた言葉に、私は頷いた。
 間もなく、急用が出来たと美作専務は帰っていった。
 その事実は、おそらく多くの女性客をガッカリさせたことだろう。「美作専務、帰っちゃったの?」なんて声が会場内を歩くだけで幾つも聞こえてきたから。
 うちの会社の先輩達も例外ではなく、気が抜けたのか緊張が全て抜け出たのか、それまでは嗜む程度だったアルコールをがんがん飲み始め、私もそれに付き合わされて大変だった。

 今ならわかる。
 あの時真剣な顔で話していた電話の相手は、つくしだ。そして美作専務はその足でつくしの元へと向かったのだ。
 全てが繋がった今、なんだか心の底がくすぐったい気がする。
 全てはここへ向かっていたのかと思うと、くすぐったくてたまらない。

「あたしは美作さんほど優しい人を他に知らない。きっとこの先も、一生知ることはない気がする」

 きっぱりと言い切るつくしは凛としていて、でもどこかほんわり優しくて、幸せが滲み出ていた。

「あーあ。結局は惚気られたのね、私。ご馳走様」
「別に惚気てなんて――」
「それが惚気じゃなくてなんだって言うのよ」
「でも、そんなつもりは……」
「まーったく。彼氏のいない寂しいクリスマスを過ごした私の前でよくもぬけぬけとーっ!」

 頬を膨らませる私も、それを笑うつくしも、心が弾んでいた。
 つくしの恋人が美作専務で良かったと、優しい人で良かったと、この時心から思った。笑いながら心の中で、「良かったね、つくし」と何度も何度も囁いた。



 カフェを出ると、日が落ちたせいかぐんと寒さが増していた。

「うわー、寒いね、やっぱり」
「だねえ。ほら、息が白い」

 宙にハーッと息を吐くつくしの横顔を見ながら、私は思わず呟く。

「いやー、それにしても……」
「ん? 何?」
「あ、ううん。なんでもない」
「もうっ。さっきからそればっかり。……悪かったわねー、驚かせて」

 頬を小さく膨らませて私を睨んだつくしは、すぐににっこりと笑みを浮かべて歩き出した。私はその横を歩きながら、死ぬほど驚かされた先程の会話を思い返す。


 *


「ところでつくし。美作専務とのこと、私に話して良かったの? もちろん嬉しいし、誰にも言ったりしないけどさ。……無理させちゃってない?」
「無理なんてしてないよ。あたし、決めてたから。美作さんとのことを会社の人に話す日が来たら、一番最初に美穂に言うんだ、って」
「会社の人……? え、みんなに話すつもりなの?」
「みんなに話すかはまだわかんない。でもとにかく、社長や部長には話す。近いうちにね」
「社長や部長? あー、相手が相手だし、話すとなればそうなるのかな。……でもなんで?」
「うん。……あのね」
「うん……?」
「あたし……プロポーズされたの。美作さんに」
「……」

 一瞬、理解が出来なかった。けれど、それは本当に数秒の話。

「プロポーズされたの。美作さんに」――その言葉がどこへ行っていいのか迷子状態で私の全身を回りようやく脳内にきちんとインプットされた瞬間、 あまりの驚きに、私は大声を上げていた。

「えーーーーーー!!!」

 えー、に濁点が付くような絶叫には、さすがのつくしも驚いたようで、ぎょっとした顔で慌てて私に手を伸ばしてきた。きっと口を塞ごうと思ったのだろう。けれどその手は慌て過ぎて水の入ったコップを倒した。

「ぎゃあっ!」
「うあっ! ごめんっ!」

 またまた悲鳴。私達は角の少々奥まった場所に座っていたから、店内にはその声だけが響き渡って店内中の人間が「一体何事? 何が起きたの?」と怯えにも似た感情を抱いたことだろう。店員が大慌てでやってきて「いかがなさいましたかっ!?」とこれまたかなりの大声で言った。ただ会話中に驚いて声を上げてしまっただけだと説明するのは、非常に恥ずかしかった。呆れたようなほっとしたような表情を浮かべた店員にペコペコ頭を下げて謝ったり、零れた水を一緒になって拭いたり、その場は一時騒然となった。
 けれど私の頭の中は一時どころではない、万事騒然としたまま。
 ――ちょっと待ってよ。プロポーズって、プロポーズって……つくし、まさかそれを受けたの? ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って。ってことは、つくし結婚するの!? み、美作専務と!?
 ぐるぐるとそればかりが全速力で駆け廻っていた。
 やがてテーブルの上が元通りになり店員が去っていった。それでも尚私はその溢れんばかりのどうしようもなく慌てふためく感情でいっぱい。ホッとした表情で難を逃れたショコラ・ショーを飲もうとしているつくしに、飛びかからんばかりの勢いで言葉をぶつける。

「ちょっとつくし! あんた呑気に飲んでる場合じゃないわよ。私は聞きたいことが山のようなんだから。こうなったらとことん答えてもらうからねっ! 覚悟はいいわね!?」
「え……あ、はい」

 圧倒されたように頷いたつくしを、私は容赦なく質問攻めにした。

「いつ?」
「どこで?」
「なんて言われたの?」
「指輪はもらったの?」

 噛み付きそうな勢いの私に押されるようにつくしは小さな声で答えたり口ごもったりして、そして最後に鞄の中からおずおずとリングケースを出した。真新しい濃紺のベルベットで覆われたリングケースは、ただそれだけで艶やかに輝いて見えた。

「開けてもいい?」
「どうぞ」

 私はゴクリと唾を飲み、ケースにそっと触れると、ゆっくりと開いた。そこには、生まれて初めて目にするだろう上質なダイヤモンドの輝きがあった。

「うわ……綺麗ねえ」
「ロンドンで買ったんだって」

 言ったつくしの言葉に、咄嗟に「いくらなんだろう」と思ってしまった私は、完全なる小庶民だ。けれどこれをもらった本人も「いくらしたと思う?」なんて言っていて、つくしも立派な小庶民であることがやけに嬉しかった。

「ねえつくし、はめて見せてよ」
「え、今?」
「これから会いに行くんだから、指輪をしていたらきっと喜ぶよ」
「そ……かな」
「当然でしょ?」

 つくしは指輪をじっと見つめながら暫く考え、それから恥ずかしそうに頷くと、大切そうにゆっくりとケースから取り出して左手の薬指にはめた。まるで自分の居るべき場所に還ったかのようにストンと納まるその指輪と、それを愛しそうに見つめるつくし。美作専務の想いの深さが見えた気がした。

 宝石に人並み以上の知識があるわけではないが、ジュエリーショップが好きであちこち覗いているので結構数は見ている方だと思う。何百万もする宝石だって何度も見ている――もちろん、ショーウインドーのガラス越しに、だけれど。それでもこんなに心奪われる輝きは見たことがない。きっと質もカットもすごくいいのだろうと、その輝きを見てすぐに思った。
 ただ、大きさはと言えば、決して「驚くほど大きい」というわけではなかった。もちろん十分大きい。質とカットと大きさを総合的に見れば、どう考えても普通のサラリーマンじゃ十年働いても買えないだろうし、エリートのつくサラリーマンでも働いて二年三年じゃ無理だろう。
 もし私にこんな指輪を差し出してくれる男がいたら、少々性格に難があっても、食べ物の好みが違うから一緒に住むのは大変そうだって感じていたとしても、プロポーズは二つ返事で了承してしまう気がする。
 けれど、美作専務はそんな普通のサラリーマンでも、ただのエリートサラリーマンでもない。美作商事の総資産――もっと言えば美作家の、もしくは美作専務の財産なんて知り得ないけれど、日本有数の総合商社なのだし、その御曹司なのだし、きっと想像もつかないくらい大きなダイヤがついた指輪なんだろうなと、ケースを開くその瞬間まで期待を膨らませていた。
 でも実際は、そうではなかった。膨らみ過ぎた期待をどう萎めていいのかちょっと困るくらいに、普通の――きっと誰もが想像出来る範囲内の大きさだった。言葉にするなら「なんだ、案外普通なんだ」だ。失礼過ぎて決して口には出せない。
 エンゲージリングよりもマリッジリング重視かなあとか、美作専務の純粋なお給料だけで買おうと思ったらここが精一杯なのかなあとか、本当に失礼過ぎて墓場まで持って行ってもまだ隠し足りないようなことばかりがポンポン浮かんだ。
 でもその理由は、こうしてつくしが身につけてわかった。婚約指輪を軽視したわけでも、予算上の都合でもない。美作専務は考えに考え抜いてこの大きさを選んだのだ。
 なぜなら、この大きさが、つくしに一番良く似合うから。
 美作専務にとって重要なのは、その指輪を見た周囲がどう思うかではない。見た人間が「すごいねえ」と感嘆の声を発したり「さすが美作専務」と称賛することではない。その指輪を薬指に輝かせたつくしが周囲からどう見えるか。きっとそこなのだ。
 指輪単体を見た人の言葉なんて関係ない。感想なんてどうでもいい。それを身につけるつくしが指輪以上に輝いて見えたなら、美作専務は心底嬉しいに違いない。
 それに気付いたらもう、その想いの深さを感じずにはいられなくて、思わず感嘆の息が零れた。そして、その想いの深さにも気付かずに見た目だけで判断して失礼すぎることを思った数分前の自分を蹴り倒したくなった。

「すごく似合ってるよ、つくし」
「そうかな。立派すぎるよ」

 つくしは恥ずかしそうに笑った。こんな性格のつくしだから、だから美作専務はこの大きさを、この輝きを選んだ。
 感動にも似た思いが込み上げた。そして、本当にプロポーズされたんだなあと、言葉で聞かされた時の何十倍も実感した。
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2011.03改定 硝子の靴
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