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硝子の靴
CLAP STORY (COLORFUL LOVE -Extra Story- view of MIHO)
3
 つくしに恋人がいると確信していた私は、つくしがそれを認める前からずっと相手のことをあれこれ想像していた。

 一番最初に考えた可能性は不倫。もしそうなら、自ら進んでなんて言えないだろうと思ったから。
 次に考えたのは社内恋愛。上手くいっているうちはともかく、別れることになった時に面倒臭すぎるこの恋愛も、あまり人に言いたくないかもしれない。
 その次が有名人。顔の知れてる相手は、言えない事情も言いたくない事情もあり過ぎるほどあるだろう。
 他にもいろいろ考えた。
 会社に出入りしている清掃業社のかわいい顔したバイトくんじゃないかとか――これは、そのバイトくんがいつも熱心につくしを見ているからそう思った。でもどうやら彼の一方的な片想いのようだ――、会社から程近い居酒屋のイケメン店員じゃないかとか――つくしが昼休みに出入りしているのを目撃した。訊けば昼は定食が食べられるそうで、それがとても美味しいんだとか。単なる言い訳かと思ったが、行ってみたら本当に美味しかった――、先輩達が時々行くと噂のホストクラブのナンバーワンホストじゃないかとか――もうこれは単なる憶測。一度だけ連れていかれてその格好良さに驚いたってだけ――、長身と甘く響く声が素敵な最寄駅の駅員じゃないかとか――もはや単なる妄想。私好みってだけのこと――、……とにかく、ありとあらゆる可能性を考えた。
 そんな様々な想像の中心にあったのが、美作商事の社員だった。それはかなり初期の段階から私の頭の中にあった可能性。
 美作商事と言えば、一流企業でエリート揃い。高学歴高収入の男性がわんさかいる。そこに恋人がいると言えば必ず羨ましがられるだろうし、それだけに会社の人間には黙っていたいとつくしが思ってもおかしくない。うちの親会社だから尚更だ。あれだけ「男に飢えてます」と日頃から顔に書いているような先輩達が周りにうじゃうじゃいるのだ。知られた途端、「合コンのセッティング、お願い!」と言われるだろう。それはつくしじゃなくとも避けたい展開だ。
 ――やっぱりこれだったか。
 海外を飛び回るエリートサラリーマン。会社で隠しておきたい心情。私が会ったことのある人。どれにもぴったり当てはまった。
 先日のパーティー会場で様子がおかしいと感じたことも、私の中ではちょっとした決め手だった。
 ――あの会場で会った誰かなのよね、つくしの恋人は。
 それは紛れもない事実で、もはやつくしも否定しない。 ただ私には、そこから先がどうしてもわからなかった。どう考えても当てはまる人が出て来ないのだ。
 記憶力は良い方だと思う。だからあの時会ったどの顔もどの名前も、会話から得た小さな情報も、そのほとんどを今もきちんと記憶している。でもそれらを総動員して考えても、相手が浮かんでこなかった。
 候補は二十人近くいるのだからそう簡単なことじゃないとは思うが、「ずっと海外出張に行っていて、パーティー直前に帰って来た人」というわかりやすい条件があるのだから、ある程度絞られてもいいはずだし、たった一人がぽんと浮かんでもいいはずなのに。

「やっぱり、どう考えても私が話した人の中にはいなかったな。あ、でも待って。具合が悪いって帰ったつくしを追い掛けて行ったってことも考えられるか……いやでも、途中から姿が見えなくなった人なんていなかったよなあ。だって私が知り得る限り、途中で帰ったのは、急用が出来たらしい美作セ――……」

 誰だ誰だとぐるぐると考えを廻らせながら何気なく口にしていた言葉だった。けれど、あのパーティー会場にいた特別な存在の顔が浮かんだ途端、思考も言葉も、私を形成するものすべてが時を止めた。特別な存在ゆえに、その候補からは除外していた。特別過ぎるゆえに。
 ――でも。
 刹那、これまでに見てきた様々な物事、これまでに耳にしてきた様々な言葉、そこに関わるすべてのことが甦り、私をいっぱいにした。

「ロサードが美作商事の子会社だって知ってたら、入社してなかったと思う」

 つくしはあの時、どこか困ったように笑ってた。

「美作部長って専務になったの? 全然知らなかった。……すごいなあ」

 つくしはあの時、どこか寂しげに、でもどこか誇らしげに目を細めた。

「美作商事の専務が来社? ……あたし、何も聞いてないんですケド」

 つくしはあの時、ひどく怪訝そうに、不思議そうに呟いていた。

 どの時だって、一瞬小さな「あれ?」が私の中に浮かんでた。それだけじゃない。美作専務の話題になると、つくしはいつだってやけに淡泊で、いつになく無口で、いつもより一つ一つの言葉に気を使っていた。いつもより喜怒哀楽が少なくて、いつだって小さな笑みを浮かべているだけだった。
 興味がないのかな、と思った。けれどいつだったか、ふと覗き見た瞳の奥がぐらぐらと揺れている気がして、そのアンバランスさを不思議に感じた。けれどそれらに関連性は見つけられなくて、やっぱり小さな「あれ?」を抱えただけで全く別のことだろうと片付けてしまっていた。
 別のことなんかじゃなかった。いつだって言葉にして吐き出すことの出来ない強い感情をぎゅうぎゅうと自分の中に押し込めていたのだ。周囲が何を言っても、周囲から何を聞かされても、周囲でどんな話題がのぼろうとも、つくしはいつでも小さな笑みを顔に貼り付けて。きっと、警戒心に身体を固くして。

「……そっか。美作専務だったんだね」

 ――この答えなら、全てが納得出来るよ、つくし。
 やけに胸がいっぱいで、思ったよりも熱く重い声が出た。

「……ごめんね、ずっと言えなくて」

 小さな声で謝るつくしに私はフルフルと首を振る。つくしが謝らなければならないことなど、何もない。

「やっぱり私は名探偵でもなんでもないね。一番大きな可能性を見逃してた」
「……」
「わかるよ、つくしの気持ち。それは誰にも言えないよ。言ったらどれだけ大騒ぎになるか簡単に想像がつくもん。私でも、やっぱり言えないと思う」

 言えるわけなどない。あの会社では、特に。合コン云々なんて、そんなかわいい話ではない。事態はもっと深刻化する。
 その話が社内に広まるだけなら大したことではない。驚かれて羨ましがられるくらいなら可愛いもんだ。問題はその先だ。この手の話は必ず尾ひれをつけて広まっていく。ある事無い事噂されて、どうでもいいことで傷つかなければならなくなる。僻み半分で厭味を言う人もいるだろうし、心ない発言をする人もいるかもしれない。
 美作専務は美作商事の単なる社員ではない。会社を動かす経営側の人間で、今だってすでに「専務」で、そしていずれトップに立つ人間だ。つくしを利用してなんとか近づこうとする人だって現れるかもしれない。そういう人とつき合うということは、そうしたややこしい問題が必ず付いて回ってくるのだ。いつだって。
 しかも美作専務は――美作あきらと言う人は、誰もが憧れる程に魅力的だ。そのややこしさは倍増するだろう。
 つくしはそのことを理解している。だから頑なに口を閉ざしてきた。ずっと。
 自分の胸にひっそりと抱え込んで過ごす日々、一体どれほどの苦悩と緊張を繰り返しただろうか。どれほどの焦りと安堵を重ねただろうか。
 その胸中を思ったら、切ないような、いじらしいような、頭を撫でてあげたくなるような、ぎゅっと抱きしめてあげたくなるような、言葉に出来ない複雑な想いが込み上げた。
 なんだかとても愛しくて、どうしてか涙が零れそうだった。
 見れば目の前のつくしの瞳が潤んでいた。
 今泣きたいのは、私よりもつくしのほうだ。そう思った。
 ようやく伝わって、伝えることが出来て、全身の力が抜けそうな程安堵したに違いないから。
 ――泣いてもいいのに。そしたら私が抱きしめてあげるのに。
 けれどつくしは泣かなかった。ぱちぱちと何度か瞬きをして、そして真っ直ぐに私を見て話し出した。

「あのね、美穂。あたし、美穂に謝らないといけないの」
「謝る?」
「うん。――ごめんね。あたし、美穂にいろいろ嘘ついてた」
「嘘? ……ああ、もしかして、これまでにした会話の中でのこと?」
「うん」
「そんなの謝る必要ないよ。だって、内緒にしてたんだから仕方ないじゃない。むしろ、触れてほしくない方向に話が進むこともあって随分神経すり減らしたんじゃない? だとしたら、謝るのは私のほうかも」
「ううん。そんなのは別に」

 つくしは泣くことではなく、話すことを選んだ。ならば私もそれに応えよう。それが、話してくれたつくしへの感謝の証になるだろうから。

「じゃあお互い様ってことでいいよね? ねえそれよりも、嫌じゃなければ少しだけ教えてよ。出会いとか、つき合うきっかけとか。あと、美作専務の性格も知りたいな。これから会うんだし」

 笑みを浮かべて言った私に、つくしは笑顔で頷いてくれた。

「じゃあ何から訊こうかなあ。……その前に、何か頼み直そうよ」

 そうだね、とメニューを手に取り眺めるつくしの俯き加減の顔が、ひどく穏やかに見えた。それを見たら、やっぱり涙が零れそうだった。


 耳触りの良いボサノヴァが流れる空間で、私はつくしに様々な質問をぶつけた。

「いつ出会ったの?」
「どっちから告白したの?」
「どんなデートしてるの?」

 それはもう余計なお世話的なことを幾つも。

「美作専務は普段どんな人?」
「学生時代はどんな感じだった?」
「アルコールには強い?」
「甘いものと辛いものとどっちが好き?」

 ここぞとばかりに興味本位でその素顔を覗き見ようとした。つくしは照れ笑いを浮かべたり、困ったように眉を寄せたりしながらも、その一つずつに丁寧に答えてくれて、私は二人のことをすっかり理解した気分になった。
 それから、少しだけ迷って、パーティーの話題を出した。
 あのパーティーで、美作専務はとても綺麗な女性をエスコートしていた。後にそれはグループ会社の社長令嬢だと判明したが、あれをバッチリ見てしまったつくしの胸中が気になって仕方なかった。あの時は、つくしの恋人が美作専務だなんてこれっぽっちも思っていなかったから、お似合いの二人だなあなんて他人事の呑気な感想しか抱かなかったけれど――中には本気で嫉妬している女性は大勢いた――、こうなると私としても話は全く違ってくる。美男美女が並ぶとこうも眩しく感じるものだろうかと驚き見惚れたあの光景も、つくしにとってはこの上ない悪夢の光景だったに違いないのだから。

「相当傷ついたよね、あの時」
「洞察力っていうか推理力って言うか……ホント美穂には驚かされる」

 つくしはその時の心境を話してくれた。つくしの痛みが、ストレートに伝わってきた。そして、美作専務の深くて大きな優しさも。

「あたしが帰ったことを知って電話をくれたの。『抜け出して行くから待ってて』って言われたのに、来なくていいって言った。『会いたくない』って」
「なんで?」
「なんか、何もかもを信じたくないっていうか……考えたくないっていうか……とにかく、現実を見つめるのが怖くて」
「うん。それはなんとなくわかるかな」
「逃げたかった。……でも、会いたくて」
「……」
「会いたくて、会いたくて、勝手だってわかってたけど、今度はあたしから電話をして、会いたいって言ったの」
「そしたら、会いに来てくれた?」

 つくしはコクンと頷いた。

「嬉しかった?」
「うん。嬉しかった。……すごく。ずっとずっと会いたかったから」
「そうだよね。美作専務は出張に行ってたから、ずっと会ってなかったんだもんね」
「うん。必死に逃げようとしてた現実なんて、どうでもよくなったよ」
「そっか」
「会いたくないなんて言って、きっと悲しませたなって思ったら切なくなった。それでも会いに来てくれた美作さんに申し訳なくて……でもとにかく会えて嬉しくて。……パーティー会場で見た時はまるで別人のように思えていたのに、会ったら美作さんはやっぱり美作さんで……なんかいろんな感情が溢れて泣いちゃったよ」

 ポツリポツリと話すつくしの顔にも声にも、美作専務への愛おしい想いが溢れて出ていて、私まで胸の奥が熱くなった。
 そして私の中ですべてが繋がってゆく。

 あの日、つくしが帰ったことを美作専務に告げたのは、私だ。

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