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真珠色に沈む
COLORFUL LOVE
5

 やがて車は速度を落とし、静かに止まった。
 つくしと美穂は驚いた。
 そこは、パーティー会場としてあきらが貸し切ったレストランの前だった。

 ――嘘。こんな偶然あり?

 車を降りたつくしと美穂は、思わず顔を見合わせる。
 その二人の反応をどう捉えたのか、百合は訝しげな表情を浮かべた。

「ここ、お気に召さなかったかしら? 結構人気のカフェなのよ?」
「あ、いえ。そんなことは全然」
「随分混んでるみたいですね」
「心配はいらないわ。きちんと予約してあるから。……あ、でもお友達の席がないわね。すぐに用意させるわ」
「いえいえ。自分でなんとかします。一人くらいどうにでもなると思いますから」
「そう?」

 美穂が頷くと、さして気にした様子もなく「では入りましょう」と百合が歩き出した。
 つくしと美穂は再び顔を見合わせる。

「まさかこことは」
「うん。びっくり」

 顔を寄せ合い囁き声でその言葉だけを交わし、二人は百合の後に続いた。

 店内に入るとすぐに、百合とつくしは予約席に案内された。
 椅子に座るや否や、美穂はどうしただろうかと見渡すと、つくし達のところからは少し離れた席に案内されていた。
 無事に座れる席があったことにホッとする。
 おそらくそんなつくしの視線を追い、その様子を見ていたのだろう。百合がつくしに声をかけた。

「お友達、無事に座れたみたいね」
「あ、はい」
「運がいいわ。普段なら、空席が合っても予約席で座れないことのほうが多いのよ」
「そうなんですか」

 つくしはその言葉に頷いたけれど、もしかしたらスタッフが無理をしてくれたのかもしれないと、心の中で思っていた。

 店内に足を踏み入れたつくし達を「いらっしゃいませ」と温かな笑顔で迎えてくれたのは、つくしも見覚えのあるスタッフだった。たしか、フロアマネージャーだったと思う。
「ご来店いただきまして……」等という挨拶を百合と交わしていたが、つくしの顔を見てハッと表情を変えた。
 気付いたのだ。つくしが、美作あきらがいつも連れ立ってくる女性だということに。そして、本日二階のレストランで予定されているパーティーの参加者であろうことに。
 つくしもその瞬間、気付かれた、と思った。思った心の内で「それを口に出さないで」と祈った。今は百合に何もかもを悟られたくない。――どうしてか、そう強く思った。
 ほんの一瞬の沈黙の後、フロアマネージャーは変わらぬ様子で再び百合と話し出した。
 つくしの祈りは届いた。今は何も言わない方がいいのだろうと、その空気を察してくれたのだ。
 良かった、と安堵し、そして感謝した。

 席へ案内される直前に、つくしが振り向いて「美穂、平気?」と心配していたその声を、フロアマネージャーは聞き逃さなかったのだろう。その瞬間、美穂はつくしに関係する――つまりは、あきらに関係する客として認識されたはずだ。
 きっと優先的に席を用意してくれたのではないかと、つくしはそう感じた。

 ――あとで、マネージャーさんにお礼を言わなきゃ。

 笑顔で接客中のその姿を視界に捉え、そっと思った。


 百合とつくしの間には、沈黙が続いていた。
 スタッフがオーダーを取りに来た時以外、待っている間も、それが運ばれてきた時も、百合は一言も言葉を発せず、故につくしも何を言っていいかわからず黙っていた。
 百合の前に置かれたミルクティとつくしの前に置かれたハーブティからは、ほんわりと湯気があがっている。
 周囲から聞こえる音以外に何もない静まり返った空間で、その湯気が唯一の「動」だった。
 やがて、百合がカップを口に運び、ミルクティを一口飲んだ。
 それを見て、つくしもカップを口に運ぶと、同じようにハーブティを一口飲む。
 身体の中を充満する緊張感が、ほんの少し溶けた気がした。
 カップをソーサーに置く。と同時に、百合の声が沈黙を破った。

「何から話そうかと考えていたんだけど……率直に言うわ」

 つくしが顔を上げると、真っ直ぐにこちらを見ている百合と目が合った。
 見つめ合う中、言葉は紡がれる。

「私、あきらくんが好きなの」

 つくしの心臓がドクンと大きく鳴った。
 予想通りの言葉。話があると言われた瞬間から、言われるだろうと予想していた言葉。
 それでも衝撃は、大きかった。

「もうずっと……何年も何年も、彼だけを想ってきたの、私。いつか彼の隣に並んでいたいって、その日を夢見てきた」

 静かに紡がれるその言葉には強い想いが込められていて、それがわかるから余計に、紡がれる言葉の一つひとつがつくしの胸を締め付ける。

「私があきらくんと出会ったのは、あきらくんが高校一年生の夏だったわ。大学のお友達とランチをしたその帰りに父の会社に寄ったら、そこにあきらくんがいたの」

 百合は当時のことを思い出すように、つくしから視線を外し、宙を見つめる。
 そして、長い長いあきらとの思い出が語られた。

「あきらくんはお父様の美作社長に連れられて来ていて、社内を見学した後のようだったわ。父達が仕事の話を始めて、私とあきらくんはカフェテリアでお茶を飲むことになったの。なんて綺麗な男の子だろうって……それが第一印象。顔も仕草もなんだかやけに綺麗で、向かい合って座った私はとても緊張したわ。しかも、初めて会った高校生の男の子と何を話したらいいのかまったくわからなくて。……でも、そんな緊張や心配は無用だった。あきらくんが、話題もきっかけも全て与えてくれて、私はただそれに乗るだけで良かったの。穏やかに話す彼の話に相槌を打って、柔らかに笑う彼と一緒に笑みを浮かべて。それだけで彼との時間はとても楽しいものになってた。――すぐに、あきらくんを好きになったわ」
「……」
「それから顔を合わせる度に、ちょっとした会話をしたり、たまに父達とみんなで食事をしたり。二人きりということはなかったけれど、会うたびに彼を知って、会うたびにますます好きになった」

 高校生のあきらと、大学生の百合と、二人が言葉を交わす光景が目に浮かぶようで、つくしの胸はズキズキと痛んだ。
 過去に嫉妬しても仕方がない。それに、それは百合が見ていた風景で、あきらのそれではない。
 わかっていても、やはり胸は痛い。
 つくしは膝の上でぎゅっと拳を握る。
 百合は、そんなつくしを見ることなく、宙を見つめたまま、話を続けた。

「でも、好きな気持ちと同様に辛い気持ちも膨れたわ。私は、あきらくんよりも五つも年上だったから。彼が高校を卒業するよりも先に、私は社会人になってしまうのよ。歳を重ねてからの五歳差なんて大したことないのかもしれないけれど、その頃の私には、それはとても大きな差に思えた。……だからかしら。なんだか『好き』と言う感情を抱えていることが後ろめたく思えてしまって、でも想いは膨れるばかりだから、本当に苦しくてたまらなかった」

 当時の苦しい想いがそのまま滲む様な表情の百合は、とても切なく、でもとても美しい。

「あきらくんが二十歳になった時だったかしら。思わず言ってしまったの。『羨ましい』って。私はもう二十五になるところで、二十歳になったばかりのキラキラしたあきらくんと比べたら、自分がものすごくオバサンに思えて――だから、羨ましいなって。私にもそんな頃があったのに、って。……そうしたらあきらくんが言ったのよ。『年齢なんて関係ない。百合さんはとても魅力的だと思う。しかも出会った頃より今の方が、俺には魅力的に思えるよ』って」
「……」
「嬉しかったわ。嬉しくて、でも本気にしていいのかわからなくて、『お世辞でも嬉しいわ』って言ったら、『お世辞じゃないよ。心からそう思ってるよ』って……『俺は年上好きなんだ』って笑ってくれて。……うわあって泣き出したい気持ちになった。嬉しくて嬉しくて、あきらくんを好きな自分にようやく自信が持てて、ますます彼が好きになった。もう、この人しかいないって思ったわ」

 過去の想いと今の想い。何年にも渡るその想いのすべてを抱きしめるように、百合はそっと瞳を伏せた。口の端に小さく笑みを湛えたその表情は、儚く柔らかく、本当に美しい。
 百合の抱える想いの全てが今ここにある。……それを感じて、つくしは胸が苦しくなった。
 彼女がどれほどあきらを好きか、つくしにはそれがわかるから。
 想いの滲む沈黙が、二人の間を流れていた。
 やがて、百合の顔から笑みが消えた。

「でも、どんなに想っていても、届かなければ意味がないのよね」
「……」
「私の想いは、完全に私の独りよがりだった」

 悲しみが、声に滲む。

「パーティーでエスコートしてくれたあきらくんは、最初から最後まで本当に優しかった。だから私は今しかないって決意して、ずっと抱え続けてきたその気持ちをやっとの思いで伝えたのに。……それなのにあきらくんは」
「……」
「気持ちには気付いていたけど、何とも思ってない。――はっきりそう言われたわ」

 つくしは、何も言えない。言えるわけなどない。
 ただ、あきらがそう言っている姿だけは脳裏にはっきり浮かんだ。
 もしそれが自分だったらと思うと、震えるほど怖いと感じた。
 百合の視線が宙に揺れる。

「私の気持ちを受け止めてほしいってお願いしたの。『なんとも想ってない』『そうですか』なんて、そんな簡単には諦められないもの。……でも答えはノーだった。それどころか、『俺には一緒に歩くと決めた人がいる』って、そう言ったのよ」

 そしてその視線が、ゆっくりとつくしの顔に降りてきた。

「それが、牧野さん――あなたなのよね」

 再びつくしの心臓がドクンと鳴る。

「プロポーズ、されたんでしょう? あなたはそれを、受けたんでしょう?」

 悲しみの滲む百合の瞳は、真っ直ぐにつくしを捉えていた。
 つくしは口を噤んだまま、その視線をただ受け止める。
 百合の言う事はその通りだった。けれど、それに対して頷いてしまっていいのか、何を言えばいいのか、つくしにはわからなかった。
 沈黙が続き、やがて百合が小さく口の端に笑みを浮かべた。

「いいのよ、隠さなくても。もう何もかも知っているんだから」

 おそらくそれは本当だろう。何をどこまで知ってるかはわからないが、ロサードの前でつくしを待っていた百合は、かなりのことを調べ上げている。
 けれど、だからと言って「そうですか」と口を開くわけにはいかなかった。

「すみません。大木さんの言葉を疑うわけではないんですけど、今のあたしには答えられません」
「どうして?」
「美作さんから、何も聞いていないので」

 つくしにとって問題なのは、百合がどこまで知っているかではなく、あきらがどこまで話したか、だった。
 話の流れから考えて、この数日の間にあきらは百合と二人きりで話をしている。けれどそのことをつくしは知らされていない。
 それ自体は別にいい。まったく気にならないと言ったら嘘になるけれど、そのすべてをつくしが知る必要はないのだろうし、そんなことは不可能なのだから。
 でも話の内容を知らない以上、つくしは何も言えないのだ。
 あきらが伝えたこと、百合が調べたこと、その境目がわからないまま「何もかも知っている」という言葉に乗せられてしまっては、後々あきらに迷惑が掛かってしまうかもしれない。
 つくしはそれが怖かった。

「……あきらくんの許可がないと言えないってこと?」
「許可ではないんですけど……。美作さんが大木さんと何を話したのか、何も知らないあたしが勝手な判断で話すことは出来ないんです」

 すみません、と頭を下げるつくしをじっと見つめていた百合は、小さく息を吐いた。

「なら、違う事を伺うわ」
「……なんでしょうか」
「美作商事にとって、あきらくんがどんな結婚をしたら有益だと思う?」
「……え?」
「いずれ美作商事のトップに立つあきらくんの結婚相手として、ふさわしいのはどんな女性かしら」

 つくしはハッとした。
 それは明らかに、一般人のつくしがあきらと結婚することに対する抗議だった。
 あなたは美作あきらにふさわしくない――そう言っているのだ。

「えっと、あの……」
「勘違いしないでね。私は自分が誰よりもあきらくんにふさわしいって思ってるわけではないの。でも、それなりに条件は満たしているつもりよ。胸を張って彼の隣に立てると思うわ。そう出来るように努力もしてきたつもり。だから、好きで居続けたし、告白も出来たの。……あなたは?」

 つくしはドクドクと忙しなく鳴り響く鼓動を抱える。心の内を透かし見るようにじっと見つめる百合の視線に、やがてつくしは目を伏せた。

 つくしにとって最も胸の痛む話だった。
 どんなにあきらの想いや言葉を信じていたとしても、それでもどこか負い目に感じてしまう、そんな自分をどうしても拭い去れないつくしがいるから。
 だからそのことを言われてしまうと、自然と顔が俯いてしまう。
「いいじゃない。美作さん本人がいいと言ってくれているんだから」
 そう言えてしまえばいいのだろう。そして、それだけの強さが必要でもあるのだろう。
 わかっている。わかっているけれど、どうにもならないのだ。つくしには、抱えきれない程の苦い経験がある。それがつくしの頭をもたげさせてしまうのだ。

 ――でも、ここを越えなきゃ。

 あきらと共に生きて行くと決めた以上、立ち止まって蹲ってばかりいてはいけないのだ。

 ――きちんと言わなきゃ。それでも譲れない想いがあること、きちんと伝えなきゃ。

 心の底に沈む勇気を奮い起す。未来へと、もう一歩踏み出すために。

「この質問にも、答えてはもらえないのかしら?」

 再び百合の声がする。
 つくしは膝の上で握りしめている拳にぐっと力を入れ、すうっと息を吸った。
 その時だった。

「そんなこと、答える必要性がねえな」

 凛とした声が耳に届いた。
 聞き覚えのある――いや、そんな表現では生温い程に訊き馴染みのある声。けれど、そこに居るはずのない人物の声。
 ハッとしてその声の方を見る。おそらく、百合も同時に。
 そして、つくしと百合は驚きに目を見開き、ほぼ同時に声を上げた。

「……ど、道明寺!」
「ど、道明寺司、さん?」

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2011.06.09 真珠色に沈む
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